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クエリ検索: "独在性"
9件中 1-9の結果を表示しています
  • 井上 都之
    日本看護倫理学会誌
    2012年 4 巻 1 号 52-57
    発行日: 2012/02/25
    公開日: 2019/07/12
    ジャーナル フリー

    本論文において、現象論的に、看護場面における、自律性尊重原則が軽視されるような場面についての分析、および看護師の倫理観形成についての分析を行い、さらに、独我論・独在論-言語ゲームの世界観に触れることの自律性尊重原則重視の価値観形成への影響を検討した.まず、看護場面において、患者の自律性尊重原則が軽視されたり、尊厳が冒されるような日常的な場面の考察を行うことにより、自律性尊重原則の軽視はケアを行う看護師においても、それが人間本来自然な姿であり、それを乗り越えるための論理が必要であることが明らかとなった。次に、看護師の倫理観の形成についての分析によって、自律性尊重原則を重視するような倫理観を形成することの困難さが示された。

    最後に、これらの困難さを克服するために独我論・独在論-言語ゲームの世界観に触れることが、いかにして看護師の自律性尊重原則重視の価値観形成につながるのかについての議論を行った。

  • 神野 慧一郎他
    科学哲学
    1998年 31 巻 2 号 109-136
    発行日: 1998/11/15
    公開日: 2009/05/29
    ジャーナル フリー
  • 新山 喜嗣
    生命倫理
    2007年 17 巻 1 号 82-92
    発行日: 2007/09/20
    公開日: 2017/04/27
    ジャーナル フリー
    カプグラ症候群では、身近な人物における属性とは無縁な「このもの性」としての<私>が、自分の眼前から消失するという、言わば「純粋の死」を体験することになる。われわれにとっての死も、その核心がこのような<私>の消失を意味するとすれば、そのような死は善きことか悪しきことか、それとも、そのどちらとも言えないことなのであろうか。20世紀の分析哲学は、不在の対象について善い悪いといった何らかの言及をすることが困難であることを教える。このことからすれば、この世にすでに不在となっている死した人物についても、その死が善きことか悪しきことかを語ることができないことになる。今や、自分の死についても、また、他者の死についても、その死の意味の収斂先を失うのである。それでもなお死の意味を求めようとすれば、死を<私>の完全な消滅としてではなく、カプグラ症候群のように<私>の変更として捉える道があるかもしれない。しかし、属性を伴わない<私>の変更は、<私>にとって気づきうることでもなければ、<私>にとって何らかの関係を持ちうることでもない。もはや残された死の意味は、隣の<私>の消失としての他者の死と、将来における自分の<私>の消失としての自分の死という、虚空だけとなる。
  • *泉谷 洋平
    人文地理学会大会 研究発表要旨
    2007年 2007 巻 206
    発行日: 2007年
    公開日: 2007/12/12
    会議録・要旨集 フリー
    本研究では、地名を固有名と見なすわれわれの感性が何に由来するのかを哲学的に考察する。大平(2002)によれば、地名は一般名同様あくまで現実世界のカテゴリー化に関わるものであり、「地名が単一の場所を指示するという意味で固有名である」(命題1)、という認識は否定される。本研究はこの主張を基本的に承認した上で、「地名が固有名である」ということの根拠を、命題1とは別の考えに求める。大平がカテゴリー化という概念を用いて地名の持つ一般名的な性格を明らかにした以上、本稿で求められるべきはカテゴリー化されえないものと関わる概念であろう。そこで、「私/世界の
    独在性
    」から地名の固有名的な性格を説明する議論の提示を試みることにしたい。
    私はこの世界にただ一人しかいない。これはごく当前の言明に見えて、実は「そのように主張できる主体が、この世界には無数にいる」という相反する事実に常につきまとわれている。だが、たとえ「私」を名乗ることができる者が複数いることが事実だとしても、そうした複数の「私」は所詮、「この私」の世界に現れる登場人物にすぎず、そうした登場人物と「この私」の存在のありさまは、まるっきり異なっている。この水準においては、「この私」がそのまま「世界」を開く視点や原点そのものである。つまり、「『この私』が世界内の一存在者であるにとどまらず『世界』を開くただ一つの視点でもあるという点にこそ、『この私』の特異性がある」(命題2)。
    独在性
    とは、「私/世界」のこうした特異な存在の仕方を表現したものである。
    ここでの「この私」は、世界内で特定の動作の主体となるような存在者ではない。たとえば、今私は山下達郎の歌声を耳にしながら、ドーナツを頬張り、この文章を書いている。だがこれは、「山下達郎の…」、「ドーナツを…」、「この文章を…」などの事態が偶然「今」「ここ」という同じ位置で生じている、ということにすぎない。「この私」というのは、あえて言えばその「同じ位置」に与えられた名前であり、西田幾多郎の言葉を借りるならば、それは「(絶対無としての)場所」とも一致する(永井2006: 18-19)。さらに「ここ」は世界を開く原点であると同時に「世界」そのものでもあり、世界を開く原点と世界の区別もこの水準では生じていない。つまり、「
    独在性
    を帯びた存在としての『この私』は、世界を開く原点としての『ここ』、あるいは開かれた『世界』そのものとも未分化であり、一致している」(命題3)。
    さて、大平(2002: 133)は、「地名が固有名として、つまりあたかも固有の対象に直接対応する名辞であるかのように理解されることも、それぞれの地名が認知地図上に特定の位置を占めることが理由であるように思われる」と述べている。しかし、「都島」と「北緯34度42分31秒、東経135度31分32秒」はともに認知地図上の同じ位置を占めるにもかかわらず、われわれはおそらく前者のみを地名であり固有名と見なすだろう。この違いはなぜ生じるのだろうか。 今都島にいる人物が「都島に行こう」と言ったならば、われわれは「その人は都島がどこなのか分かっていない」と考えるだろう。「都島」という語を適切に使うには、使用者自身にとっての「この私」が存在する「ここ」(つまり「この私」と区別しえないような「ここ」)がその「都島」にあたるかどうかが理解できている必要がある。これに対して、経緯度を用いた表現は、そのような意味での「ここ」がその場所か否かの判断が語の使用上問題となる状況が日常的にほとんど存在しないし、そのことでこうした表現の使用に大きな問題が生じることもない。このことから、「『A』が『この私』と一致するような『ここ』に対して与えられた名前であるとき、『A』は空間内の位置を示す名辞であるとともに、固有名的な性格を帯びることになる」(命題4)と結論づけることができる。この「ここ」とは、認知された空間や認知地図の中に書き込まれる点ではなく、空間の認知そのものがそこから開ける点に他ならない。こうした特異な点「ここ」との関係において特定された位置の名前が、固有名としての地名の資格を充たすと考えられる。
    大平晃久 2002.カテゴリー化の能力と地名.地理学評論75: 121-138.
    永井均 2006.『西田幾多郎―<絶対無>とは何か』NHK出版
  • A・シュッツと独我論をめぐる関係性から
    周藤 真也
    年報社会学論集
    2003年 2003 巻 16 号 250-260
    発行日: 2003/06/13
    公開日: 2010/04/21
    ジャーナル フリー
    Although Schutz criticized Husserl and Sartre's theories of alter ego as solipsism, Schutz himself has often been criticized as a solipsist. This paper aims at affirming him as a solipsist in resistance to the sociological taboo of solipsism. Schutz appears as a phenomenological sociologist in the history of sociology, but his theory also had psychological aspects. When we forget these aspects of Schutz's thought the problem of sociological discrimination arises. Mixing his non-subjectivist and conservative images increases this problem.
  • 宮島 光志
    東北哲学会年報
    1997年 13 巻 1-16
    発行日: 1997/04/30
    公開日: 2018/02/28
    ジャーナル フリー
  • 一遍から妙好人へ
    末村 正代
    西田哲学会年報
    2018年 15 巻 110-125
    発行日: 2018年
    公開日: 2020/01/29
    ジャーナル フリー
    The purpose of this paper is to consider the building process of D.T. Suzuki(1870‒1966)’s Pure Land thought by dividing the process into three parts, that is, one is a period that Suzuki accepted the fundamental Pure Land literature in 1920’s, another is a period that he tried analysis by psychological method in 1930’s and the other is a period that his Pure Land thought developed into his Buddhist philosophy actually in 1940’s. Another purpose is to verify that Suzuki’s Pure Land thought was based on Ippen’s one. Traditional studies didn’t really focus that, but he accepted Ippen in relatively early time. Suzuki was a thinker who emphasized common religious experiences between Zen and Pure Land thought. He focused on Ippen’s thought because it was close to his view of religious experiences. He developed his Pure Land thought through understanding Ippen, especially an immediate integration of sentient beings and dharma. After he accepted Ippen by literature for the first time, he inspected that the case of seeing from psychological aspect, the immediate integration is the same experience as enlightenment in Zen. Suzuki passed through the consideration like this, then established his contradictory logic in 1940’s. It became the inclusive logic that contained his all arguments. Finally, he found Myoko-nin who are firm believers on Shin Buddhism. They were the very people that embodied Suzuki’s thought that had been fostered since adaptation of Pure Land thought.
  • 大石 敏広
    北里大学一般教育紀要
    2023年 28 巻 1-26
    発行日: 2023/03/30
    公開日: 2023/09/25
    研究報告書・技術報告書 フリー
     外的世界の懐疑論は一般的に次のような論証によって説明される。「(1)私は、自分が培養槽の中の脳ではないことを知っている場合にのみ、自分に手があることを知っている。(2)私は、自分が培養槽の中の脳ではないことを知らない。よって、(3)私は、自分に手があることを知らない」。この懐疑論的論証はあらゆる種類の知識に適用され、私たちは知識のほとんどを失うことになる。これに対して、認識論的文脈主義は、懐疑論の回避によって知識を正当化しようと努めているが、成功してはいない。本論文において、懐疑論的問題を認識論的枠組みの下で論じることの背後に懐疑論の真の問題が隠蔽されているという点を明らかにする。以下のように論を進めていく。第1節で、懐疑論をめぐる認識論的論争は終わりなき連鎖へと巻き込まれている可能性を示す。第2節で、知識の正当化理論の対立は収束しないのではないかという点を指摘する。この2つの問題点は、懐疑論的問題を認識論的に議論するという方向性が間違っていることを示唆している。第3節で、懐疑論それ自体を、認識論的視点からではなく、存在論的視点から捉えるべきであることを論じる。最後の第4節で、次の2つの点を明確にする。まず、懐疑論は、思考の拡張によって、日常世界の外部へと超出した‹語りえぬもの›の視点から、外的世界の存在に対する存在論的疑念を提示している。次に、懐疑論は、超越的実体を措定する形而上学的理論ではなく、「私たちから独立に外的世界が存在していて、私たちの判断や主張がその外的世界の客観的事実と一致したときにのみ、その判断や主張は真である」という私たちが日常的に抱いている「実在論的信念」に対する疑念を表わしている。
  • 大学における映像表現行為に着目して
    髙橋 直治
    教育メディア研究
    2021年 27 巻 2 号 43-79
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/05/08
    ジャーナル オープンアクセス
    これまで日本の映像メディア教育の実践研究領域において,戦前から戦中,戦後を通した初等教育の実践を歴史的に辿る試みはいくつもなされてきた。しかし,大学教育における映像メディア教育の実践を歴史的に辿る試みは,管見の限り極めて少ない。また,実践研究領域における研究対象の行為として,視聴受容行為だけでなく映像制作・映像表現行為を中核に据えた教育実践の歴史的な研究は,管見の限り存在しない。映像制作・映像表現行為を中核に据えた教育実践の歴史的な研究を,これまでの日本の映像メディア教育の実践研究領域では,なぜ対象としてこなかったのか。本稿は,戦後の視聴覚教育,放送教育,メディア教育,メディア・リテラシー教育という研究領域において,戦前期の日本の大学における映像制作・映像表現の教育実践に触れている希少な研究を,再考し繋ぎ合わせることで,映像メディア教育を系譜学的な1本の視座によって眺望する。それは同時に,日本の映像メディア教育における新たな実践史パースペクティブ構築の可能性を探るものである。
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