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クエリ検索: "理化学的年代"
11件中 1-11の結果を表示しています
  • 中村 俊夫, 中井 信之, 石原 哲弥, 岩花 秀明
    第四紀研究
    1990年 28 巻 5 号 389-397
    発行日: 1990/01/31
    公開日: 2009/08/21
    ジャーナル フリー
    Radiocarbon ages have been measured for charred deposits on the surface of large-sized buried pottery jars (35-50cm in height, 30-40cm in diameter), which were collected during the 1986 excavation at the Morinoshita site, one of the archeological sites in Asahi-mura, Ohno-gun, Gifu Prefecture, using a Tandetron accelerator mass spectrometer at the Radioisotope Center, Nagoya University. According to archeological estimates, the buried jars were used in the Jomon period, first as vessels for boiling foods such as gathered nuts and vegetables and hunted animals, and then as containers for burying the bodies of stillborn babies and infants, as well as placentae of newborns, at the entrances of dwellings.
    The ages measured for the 10-300mg of charred materials, most likely the food residues of ancient people, collected from the surface of each of seven pottery jars ranged from 3, 940 to 4, 450y.B.P. The average of the seven ages was 4, 180±90y.B.P. In addition, wood charcoal collected in an excavation of the residence site at Morinoshita, which had probably been used as part of the wood materials for constructing a house, was dated as 4, 140±140y.B.P. These dates suggest that the pottery jars were used, and the house built, in the late part of the Middle Jomon. This estimation is consistent with the results from typological studies of the jars: some of the jars have been identified as belonging to the Sori-III type (late Middle Jomon).
    Stable-isotope ratios of carbon (13C/12C) have also been measured for four samples of the carbonaceous residues on the inner surface of the pottery jars to investigate the diet in the Jomon period, yielding δ13CPDB values from -24.0 to -25.6‰. The δ13CPDB values suggest that C3 plants, which use the Calvin-Benson photosynthetic pathway, and animals feeding on C3 plants can be the sources of the carbonaceous residues, but that the contributions to such residues from C4 plants (the Hatch-Slack photosynthetic pathway), animals feeding on C4 plants, and seafood may be negligible.
  • 下岡 順直, 竹村 恵二, 長友 恒人
    第四紀研究
    2013年 52 巻 4 号 139-150
    発行日: 2013/08/01
    公開日: 2013/09/28
    ジャーナル フリー
    これまでに筆者らが求めた第四紀後期以降の火山灰(テフラ)の熱ルミネッセンス(TL)年代を集成した.TL測定を実施するにあたって,試料の選択,検出波長別の線量依存性などの検討を行った.得られたTL年代は,テフラ層序と整合する結果であった.また,3万年前以降のテフラのTL年代について,暦年較正した放射性炭素(14C)年代と比較した.その結果, 3万年前以降のテフラは両者で良く一致した.これらテフラの数値年代の確度向上に向けて,TL法と14C法の双方から今後も検討を進める必要があるだろう.
    同一の年代を広域において把握できるテフラは,第四紀研究において鍵層として重要である.指標となる広域テフラの数値年代データセットを揃えるために,手法間のクロスチェックを含め,今後も精力的な年代測定の実施が待たれる.
  • 野口 淳
    史学雑誌
    2001年 110 巻 5 号 707-712
    発行日: 2001/05/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 鈴木 公雄
    社会経済史学
    1980年 46 巻 3 号 359-361
    発行日: 1980/09/15
    公開日: 2017/11/24
    ジャーナル オープンアクセス
  • 遠部 慎, 宮田 佳樹, 小林 謙一
    飯田市美術博物館 研究紀要
    2008年 18 巻 123-134
    発行日: 2008年
    公開日: 2017/10/01
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
  • 菅波 正人
    史学雑誌
    1997年 106 巻 5 号 682-687
    発行日: 1997/05/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 橋本 正
    史学雑誌
    1981年 90 巻 5 号 545-551
    発行日: 1981/05/20
    公開日: 2017/10/05
    ジャーナル フリー
  • 小林 謙一
    史学雑誌
    2001年 110 巻 5 号 712-718
    発行日: 2001/05/20
    公開日: 2017/11/30
    ジャーナル フリー
  • 辻本 崇夫
    可視化情報学会誌
    1994年 14 巻 53 号 98-107_2
    発行日: 1994/04/15
    公開日: 2009/07/31
    ジャーナル フリー
  • 橋口 達也
    日本考古学
    2003年 10 巻 16 号 27-44
    発行日: 2003/10/20
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    先に国立歴史民俗博物館は,AMS法(加速器質量分析法)による高精度炭素14年代測定法によれば弥生時代の開始は紀元前1000年,前期初頭の年代は紀元前800年,前期と中期の境は紀元前400年頃にあると推定した。そして弥生時代の始まる頃の東アジア情勢を殷(商)の滅亡,西周の成立の頃に,前期の始まりも西周の滅亡,春秋の初めの頃となり,認識を根本的に改めねばならない。また前期と中期の境についても仮に紀元前400年頃にあるとすれば,戦国時代のこととなり,朝鮮半島から流入する青銅器についてもこれまでの説明とはちがってくるだろうという問題提起を行った。
    これに対して筆者はまず,曲り田遺跡で早期の住居跡から出土した鉄器片に関連して殷,周,春秋,戦国時代の鉄器について概観し,殷,周時代の鉄は珍奇なものとして玉と同様に用いられた儀器的なものであり,曲り田遺跡の鉄器片は戦国時代のものとすることが妥当であり,このことからも早期の年代を紀元前10~9世紀に遡らせることはできないと考える。次に前期初めの今川遺跡から出土した有茎両翼式銅鏃と遼寧式銅剣の茎を利用した鑿から遼寧式銅剣の問題を取り上げ,たとえ遼寧式銅剣の始まりが周末,春秋初期であったとしても,これらが直接にではなく,その影響を受けて成立した朝鮮半島の遼寧式銅剣が北部九州にもたらされたものと考えるので,前期初頭が紀元前800年頃に遡るとは考えられない。また前期と中期との境が紀元前400年頃にあれば,青銅器の流入についてもこれまでの説明とはちがったものとなるとされた問題については,燕下都辛庄頭30号墓から出土した朝鮮式銅戈,韓国,北部九州出土の細形銅戈との比較からこれらの年代についても取り上げた。
    さらに前期と中期の境を紀元前400年頃とする根拠として使われた年輪年代と考古学的方法から導かれた推定年代との問題点,直接的には今回の炭素14年代とは関係ないが,貨泉を年代決定の根拠として用いることへの危惧について述べた。
    以上のことから結論を言えば,筆者がいままでに作り上げてきた弥生時代の年代論は大筋では間違っていないことを強調しておきたい。
  • 北部九州弥生時代中期後半墓地の一例の社会考古学的検討
    溝口 孝司
    日本考古学
    1995年 2 巻 2 号 69-94
    発行日: 1995/11/01
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    これまでの弥生時代北部九州の『集塊状』甕棺墓地/墓域に関する研究視点は,埋葬集塊単位(グループ)をまず析出し,それらを世帯,家族といった特定規模・内容の集団と結びつけることを出発点として,社会類型・発展論へと展開してゆくことをその基本的枠組みとした。このような研究枠組みに対して,小論では,墓地空間構成形成過程の微細分析の手法を用いて,以上のように分析解釈されてきた一集塊単位の内部に分析のメスを入れた。
    その結果,1)集塊単位内部にさらに,『埋葬系列』とも呼ぶべき単位が存在すること,2)それらは単純に,ある特定の血縁/居住集団の単位に擬せられるような性質のものではないこと,3)それらはむしろ,特定被葬者をどの場所に埋葬するべきか,すなわちこの場合,どの既存墓葬=特定祖霊の傍らに埋葬すべきかに関する決断の累積によるものであること,などが明らかにされるとともに,被葬者性別が男性に傾くこと,ただ1体の女性被葬者が14個のイモガイ横型貝輪を着装していたことから,栗山遺跡C群墓域に典型的に見るような集塊状墓群は必ずしも特定血縁/居住集団成員の墓域と単純に対応するようなものではなく,ある種の選択をへた諸個人の墓域であることが示された。
    さらに,社会的諸関係の再生産に関わる諸領野の一つとしての葬送行為の特質に関する社会学・社会人類学の研究成果を参照しつつ,上の3)が,特定祖霊の傍らに特定の死者を葬ることを通じて,それら両者間の社会的関係を表示確認し,ひいては,後者の埋葬行為の執行を司った人物(達)の社会的位置を,それら死者との関係において表示,確認したことによる,と解釈した。加えて,甕棺型式,残存人骨の年齢推定に基づく推定,すなわち,古い墓葬の被葬者の死亡時の,それに挿入される新しい墓葬の被葬者の年齢推定から,後者と前者の間に生前に直接的に取り結ばれた社会関係が存在しなかった可能性があること,また,後者の葬送の執行者が,古い墓葬の被葬者の生前の事跡を直接には知らなかった場合があろうことが推定され,そのことから,特定祖霊に関する『記憶』がある種の『資源』として,葬送行為において動員されたであろうという解釈が導かれた。そして,『資源』としての祖霊観念が,集団/共(協)同性の表象から,個人の役割,事跡に関する記憶などに表象される『個』的なものへと移り変わったことに,社会システムの変容と,その再生産のための戦略の変化を読み取った。
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