目的と背景:戦中には、「
生活科学
」という概念が、戦時下の厳しい状況における国民生活を合理化するために研究者や政府によって広められた。「
生活科学
」は戦時思想を含む概念であるため、そうした思想のひとつとして一括りにされることがあるが、家政学にも少なからぬ影響を及ぼしたため看過することはできない。戦中には、「
生活科学
」への関心の高まりから、従来の良妻賢母的な家政学は戦時の生活に対応することできる実用的なものへと変化していった。戦中では家政学と「
生活科学
」がほぼ同じものであるとの捉え方もしばしばされたが、家政学という言葉自体は戦中にも継続して使用された。本発表では、「
生活科学
」が家政学におよぼした影響および戦中に「
生活科学
」概念が普及したにもかかわらず、家政学という名称が保持されたことの意味を検討する。
方法:東京都公文書館所蔵の内田祥三関連資料や、戦中に「
生活科学
」を論じた菅井準一などの科学者や今和次郎などの家政学や生活論を論じた研究者の主張をもとに考察を行なった。
結果:戦中の「
生活科学
」概念の認識は、科学者と家政学や生活論の分野の研究者とで異なっていたことが明らかとなった。前者は家政学と「
生活科学
」をほぼ同一のものとして捉えていたのに対して、後者は家政学に「
生活科学
」の要素をとりいれつつも区別をしていた。また、「
生活科学
」は戦中の家政学だけでなく、戦後の家政学にも影響をおよぼした。戦後では、「
生活科学
」の全体主義などの思想的な部分ではなく、実用的な部分のみを踏襲したと述べる研究者も存在し、「
生活科学
」は戦後の家政学の成立過程にも大きく関わっていたといえる。
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