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クエリ検索: "田中平八郎"
2件中 1-2の結果を表示しています
  • 小西 純一, 西野 保行, 渕上 龍雄
    土木史研究
    1990年 10 巻 53-64
    発行日: 1990/06/25
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    わが国の鉄道で使用された明治期のトラス桁のうち, 英国人が設計したもの, 英国の流儀で日本人が設計し, 英国のメーカーで製作したものを「英国系」の桁と考えて, それらの技術的特徴を調べるとともに, 架設・撤去・転用の状況を, 各種の文献と現橋の調査によって明らかにした.わが国で架設された英国系のトラス桁はおよそ366連であり, これまでに判明しただけでそのうち253連が鉄道橋や道路橋として転用されている.また, 63連がなんらかの形で現存していることが確認されたが, 消滅は加速度的である.各桁ごとの履歴の詳細は付録として文末に掲げて今後の調査・研究の参考とした.
  • 近江 栄, 大川 三雄, 向後 慶太
    住宅総合研究財団研究年報
    1992年 18 巻 117-128
    発行日: 1992年
    公開日: 2018/05/01
    ジャーナル オープンアクセス
     本論では,幕末から明治・大正・昭和戦前期に活躍した3人の人物をとりあげている。これらの人物は,西洋化の波が押し寄せる中で,日本の伝統的建築を継承する立場を守りぬいた人びとである。第1章で取り上げた柏木貨一郎は幕府小普請方の家系を継いだ人物であるが,明治になってからは美術行政の分野で活躍し,日本における博物館創設の一翼を担った。また,政財界の人びとの和風都宅を数多く手掛けて工匠でもあったが,自ら鑿や鉋をもって作事にあたるのではなく,大工職人を指示する立場にあり,いわば建築家(アーキテクト)的な役割を担っていた。また,古美術や茶道具等に関する優れた鑑識眼をもち,その収集と保護に努めた近代数寄者のひとりでもある。ここでは,拍木の経歴を明らかにするとともに,工匠としての役割や性格について考察を行なっている。第2章では今井平七という大工棟梁を取り上げている。今井は関西を中心に活躍していた人物で,明治宮殿の造営や,明治期において最大規模を誇った(有)日本土木会社にも関与していた。また,関西を代表する新興財閥である藤田財閥の当主・藤田傳三郎に認められ,藤田家のさまざまな作事を担当,特に大阪網島にあった藤田家の邸宅群の建設の中心に携わった人物である。本論では,今井の残した図面資料等を整理することで,その足跡を辿っている。また,財閥系の大邸宅の一例として,戦災で焼実してしまった大阪網島の藤田邸の概要についても考察した。第3章で取り上げた北尾春道は数寄屋建築の研究者であり,その啓蒙に努めた人物である。北尾は,昭和初期の和風再考の気運の高まる時期に,多くの数寄屋建築の実例を調査し,著作としてまとめている。ここでは,北尾の経歴を明らかにし,著作を通じて数寄屋建築の研究史上における評価を試みている。
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