小稿は、江戸幕府大目付の天明・寛政期(一七八一~一八○○)における駈込訴の処理手続を検討し、その職務の一斑を解明しようとするものである。
松平太郎氏により着手された大目付の研究は、その後も様々な視角より分析が深められている。しかし、従来の研究状況を鑑みれば、諸先学の眼目は、幕府の裁判制度や大目付が加役として兼任した諸「掛」の解明にあり、同職自体の基礎研究は未だ不十分といえよう。したがって、大目付の研究は現在、二つの課題を内包していると考えられる。一は、伝存過程の明らかな一次史料により、大目付の組織・構造を把握すること。二は、上記にもとついて、その具体的な職務を明らかにすることである。小稿の試みは、二に該当する。
なお、小稿において取り上げる駈込訴は、駕籠訴・駈込訴・捨訴など、越訴を個別に検討した小早川欣吾氏、あるいは駕籠訴・駈込訴、いわゆる非合法訴訟に焦点を当て、幕府や諸藩の訴訟制度、およびその機能について解明を試みた大平祐一氏により分析が深められている。とりわけ大平氏は、老中・三奉行(寺社・町・勘定)による駕籠訴・駈込訴の取り扱いを検討し、(1)幕府は基本的に非合法訴訟を受理しないが、黙視し得ぬ内容であれば、取り上げ、審理を開始した。(2)それゆえ、非合法訴訟に対しても、受理・不受理を判断するための取り調べを行っていたと指摘する。
さらに、大平氏の論考によれば、駈込訴は老中・三奉行のみならず、若年寄や大目付などに対しても行われた。したがって、非合法訴訟に対する幕府の方針を明らかにしようとする場合、上記の諸職が、老中・三奉行と類似の方法で駈込訴を処理したのか、あるいは異なる方法で対応したのか、分析を試みる必要がある。そして、異なる処理を行っているならば、その実態を解明し、老中・三奉行による駈込訴の取り扱いと比較・検討して総括的に位置づけなければならない。以上の分析にあたり、三奉行とともに老中より箱訴状の審査を任された大目付は格好の研究対象と考えられるのである。そこで小稿では、内閣文庫架蔵「久松日記」を中心に、如上の関心事を解明する。
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