『歎異抄』はその表題が示すように、親鸞の滅後、教団内の異義・異端を歎いた唯円が、信心を一にすべくその不審をなくすことを目的として綴ったものである。本文は簡潔で親しみやすく、最近では宗門以外にも哲学や倫理など、広く一般にも読まれるようになり、その解釈も多様化しているようである。また『歎異抄』解釈の問題点のひとつは、親鸞と唯円の立場が、その置かれている状況の違いもあって、必ずしも一枚ではないというところであろう。両者の思想的な相違も留意しつつ、本稿は、現在二分されている「念仏者」の解釈を一つに帰結させることで、第七条のもつ意義を改めて確認し、そこに表れた絶対他力という親鸞の意思を明確にしてみたい。
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