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クエリ検索: "真魚八重子"
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  • 「無明」を巡る実相寺昭雄と石堂淑朗との葛藤について
    加田 謙一郎
    木更津工業高等専門学校紀要
    2022年 56 巻 45-
    発行日: 2022年
    公開日: 2023/02/06
    研究報告書・技術報告書 オープンアクセス
    本論文では、実相寺プロダクションとATGが共同制作した、石堂淑朗脚本、実相寺昭雄監督の3本の映画について論じ、作家と監督の葛藤について詳しく論じる。 その際、彼らがこだわった「無明」という言葉に着目し、3本の映画を分析した。 ハーマン・メルヴィルの短編小説「BARTLEBY, The Scrivener」をめぐる石堂と実相寺の対立も詳しく分析した。 石堂淑朗と実相寺昭雄の「知っていても止められない心」が、彼らにとっての「無明」の在り方であることを分析して明らかにした。 また「無明」という言葉が、バートルビーの「私はしたくない」という言葉につながる過程を詳しく分析した。 その過程で、石堂と実相寺の問題の本質を指摘した。その本質を巡って、石堂は「古来より続いてきた民俗の血統が未だ解明されていない」という問題を主張し、実相寺は「引揚者であることの汚名」を主張している、と指摘することができた。 彼らの最後の作品である「歌」では、両方の問題が融合し、昇華されたことを明らかにした。
  • 長谷部安春の作品群を例に
    鳩飼 未緒
    映像学
    2018年 100 巻 92-111
    発行日: 2018/07/25
    公開日: 2019/03/05
    ジャーナル フリー

    【要旨】

     日活が成人映画のロマンポルノの製作・配給に転じた1971 年は、その戦後史における大きな転換点をなす。しかしながら、ロマンポルノ以前と以後の日活の間には連続性も見出すことができる。ロマンポルノの配給・興行形態は全盛期とほぼ同じであり、それを支える撮影所での製作の体制も引き継がれたものであった。日本映画全体の基盤としての撮影所システムが瓦解していくなか、1988年まで存続したロマンポルノは撮影所システムの延命策として機能したのである。本稿は、ニュー・アクションの担い手であり、1971年以降にはロマンポルノでも活躍した監督長谷部安春に着目する。具体的には、長谷部のロマンポルノ監督作9 本を取り上げ、長谷部のイメージを利用し観客にアピールしようとした日活側の戦略の変遷と、ロマンポルノという未知の映画の形態に挑戦し、適応していった長谷部の試行錯誤の過程とその限界について論じる。9本の映画は、売り手の日活、作り手の長谷部と、買い手として映画を受容する観客の思惑が絡み合った結果として生まれた。その経緯と、それぞれの映画のテクストに見出されるニュー・アクションとの連続性との関係を検討していき、最終的には、長谷部の9本のロマンポルノと長谷部の存在が、ロマンポルノによって撮影所システムを長らえさせていた日活にとって何を意味したのかが明らかになるはずである。

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