言語学の起源は近代哲学にあり,近代哲学における知覚の理論は,ソシュール的な意味論や「サピア・ウォーフの仮説」に代表される言語相対主義へつながる。他方,チョムスキーによる普遍文法の主張以降,言語についての普遍主義が広まっている。従来,言語相対主義と普遍主義は対立してきたが,私が見るに,両者ともに知覚と意味とを混同する過ちを犯している。知覚されたものは個別的なもの,意味とは複数の個物に共通する一般性であり,両者を峻別すべきだ。言語に関するもっとも根本的な問題は,本来恣意的なはずの意味がいかにして共有できるのかという問題である。私は,意味の共有は共同作業をしたいという欲求によって動機づけられると考える。共同作業をするときに初めて,行動の意図を共有する必要が生じるからだ。共同作業への欲求は,成果の共有を喜ぶ感性によって裏打ちされている。この感性こそが,チンパンジーなど高等な霊長類と人間とを分かつ特徴である。
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