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クエリ検索: "石巻市立雄勝小学校"
4件中 1-4の結果を表示しています
  • 地理学評論 Series A
    2011年 84 巻 6 号 635
    発行日: 2011/11/01
    公開日: 2016/09/29
    ジャーナル フリー
  • 軽石 紗貴, 秋田 典子
    ランドスケープ研究
    2017年 80 巻 5 号 651-656
    発行日: 2017/03/31
    公開日: 2017/09/13
    ジャーナル フリー

    The purpose of this study is to clarify how the sites of public elementary and junior high schools are used. Thr ough this study, the authors revealed three main points. First, this study comprises of 52 sites in Iwate and Miyagi Prefecture. S chools located at the sites were abolished or moved inland. Second, location of sites influenced the land uses. For example, when the site is located in the area designated as disaster hazard areas after it was affected by the Tsunami, there will be plans to change land use to a public facility, public restoration housing, or residential housing. Lastly, there are cases that the projects for restoration influence the land use of sites. For example, a site is planned as a public community center because there will b e a new residential area near the site. In this case, it can also be said that the local government took into account sentiments of residents because schools were very important for local communities and local residents. However, there are some problems such as maintenance costs. In summary, it is necessary to consider the situations of topology or projects for restoratio n near sites.

  • 金馬 国晴
    日本教師教育学会年報
    2019年 28 巻 150-151
    発行日: 2019/09/21
    公開日: 2020/09/21
    ジャーナル フリー
  • 田端 健人
    教育社会学研究
    2018年 102 巻 103-124
    発行日: 2018/05/31
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

     本稿は,さまざまな語りに注目することで,震災後の地域と若者の諸様相を叙述することを試みる。震災と地域の関係を考えるために,まず,外国人記者によって書かれた石巻市立大川小学校津波被害に関するノンフィクションをとりあげる。同小学校では,2011年3月11日に発生した巨大津波によって,避難中の74名の児童と10名の教師の命が奪われた。教師たちはなぜ,子どもたちを裏山に避難させなかったのか。この問いに迫る関係者の複数の証言は,これまで一般にはアクセス困難であった。ところが,このノンフィクションで,著者は,独自取材にもとづく多くの証言を公表しており,児童たちを校庭に留めるよう促す積極的な働きかけが,教頭に対してなされていたことを指摘している。本書によれば,教頭は,自らの意思に反し,地域の地区長と住民たちに従ったとされる。この出来事を,本稿は,伝統的な地域の問題として解釈し,こうした地域社会の本質構造を,コミュニティ構成員の権力勾配,ならびに,平等と差異を前提条件とする自由な話し合いの乏しさとして考えたい。
     ただし,津波に襲来された他の学校に目を転じれば,対照的な事例も見られる。そこで,災害前に校長,教師,地区長が対等な立場で,異なる経験と考えを語り合い,それを実践に移していた事例を紹介する。こうした事例では,事前の話し合いと実行が,結果として,災害に対する抵抗力を高めることになった。
     話し合いと実践という観点から,本稿は,地域の若者という次のテーマに進む。震災後に目を引くようになった現象の一つとして,若者たち,ときに小学生さえもが,災害の証言者として,あるいは語り部として,自らの被災体験を公の場で語りはじめたことがある。本稿では,10代の語り部たちを紹介し,その語りに耳を傾けよう。そうすることで,若者たちがなぜ,自らの悲痛な体験を語らないではいられないのか,被災地の若者たちに何が起きているのかの理解を深めたい。若者たちの誠実で,深みをたたえた静かな語りから明らかになるのは,背負わなくてもよいはずの罪悪感である。「避難してきた住民を自分は助けられなかった。」「祖父は,私が学校から帰るのを待っていたから,海に近い自宅で津波の犠牲になった。」こうした若者たちの語りは,単に感情やストレスの発散ではなく,経験の断片的な寄せ集めでもなく,ましてや今後の減災に向けた教訓にとどまるものでもない。そうではなく,呵責ない現実に曝された若者たちの唯一無比な実存を分有しようとするアクションであり,その宛先は,いまだ災害に遭遇していない他の地域の人びと,あるいは違った境遇で危機を経験した異なる人びとへと向けられている。
     こうした語りの活動が,潜在的あるいは顕在的に希求しているのは,身体的,情緒的,知的に安心安全な場所であり,被災した地元を超え出て,お互いに安心して話ができ,自分とは異なる経験や考えに耳を傾け合う場所である。自らの被災体験を語る現地の若者たちが教えてくれているのは,こうした場所こそ「学校」と呼ばれるべきであるということかもしれない。なぜなら,「学校(school)」という語は,古代ギリシア語「スコレー(σχολή)」に由来し,それは本来,ものごとをゆっくり考え,真実を求めて語り合い吟味するための閑暇,忙しさから解放される聖日を意味するからである。

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