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クエリ検索: "紹興の和議"
1件中 1-1の結果を表示しています
  • 三宅 俊彦
    日本考古学
    2005年 12 巻 20 号 93-110
    発行日: 2005/10/20
    公開日: 2009/02/16
    ジャーナル フリー
    10-13世紀の東アジアは,銭貨による貨幣経済が非常に発達した時期であり,中国のみならずその周辺の国においても中国の銭貨が流通していた。それらの多くは銅銭であったが,本論では銅銭の流通経済を支えたもうひとつの主役である,鉄銭について考古学的に検討する。
    鉄銭は,銅銭による経済活動に支障が生じた場合,それを補完する目的で,地域を限定して流通させた。そのため,流通した地域が限られ,考古学的にも分布に偏りが見られる。また,鉄銭が行使される目的も,文献史料などから求めることができ,考古資料との比較を行うことが可能である。
    本論であつかう地域は,中国本土の北宋・南宋だけでなく,北方に興亡した異民族の西夏も含まれる。時代は宋代(北宋・南宋)であり,西夏もこの時期に含まれている。分析の対象となる考古遺物こうぞうは窖蔵銭である。窖蔵銭は,人為的に大量の銭貨が埋められたもので,当時の銭貨流通の情況をよく反映していると考えられる。
    I.では,窖蔵銭の事例を概観する。銭貨がどの様な情況で埋められていたか,どれくらいの数量か,などを西夏・北宋・南宋の王朝ごとに見ていく。
    II.では,窖蔵銭の分布・銭種組成・年代について,王朝ごとに分析を行う。これにより,各王朝の窖蔵銭の事例が持つ,特徴と共通点が明らかになるであろう。
    III.では,II.の分析を受け,「鉄銭行使地域の設定」,「各行使地域における流通銭貨の種類」,「窖蔵銭の埋められた理由」について,詳細な検討を加えた。また,文献史料と考古遺物が示す情況との比較を行い,窖蔵銭が文献史料の記載を反映していることを明らかにした。
    10-13世紀における東アジアの鉄銭に関する考古学的研究は,これまでほとんど行われて来ておらず,その流通の様相や歴史的背景の一端を探る本論の試みは,ほとんど初めてのものである。東アジアの貨幣研究の一助になれば幸いである。
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