現在の図化資料及び歴史的な絵画資料より,東南アジアと日本の中近世港市の特徴を,特に防衛施設の比較を通して検討した。
ヨーロッパ人来航前の東南アジア港市では,中心的な宗教施設あるいは権力者居館は防衛されていない。近接して,貿易機能と政治機能が分かれている例が多い。ヨーロッパ人来航後は,バンテン・ラーマのような権力者居館・宗教施設,そして外国人が関与する市場全体をあまり堅固ではなく防衛する港市が生まれる。一方,ヨーロッパ人が権力を持ったバタヴィアやマラッカのような港市では,広大な外郭内に堅固な内郭要塞がある構造になる。
東南アジアとインドの政治宗教都市は,方形規格を重視した例と楕円形の例,そして内郭が川に沿った多角形の例に分けられる。アヴァやデリーなどの多角形例は,王宮の防衛を除けば,市場を外郭に取り込み,港市と共通するものがある。ヨーロッパの伝統的港市ヴェネツィアは,全く防衛施設を持たず,東南アジアでの西欧要塞港市とは大きく異なっている。
港市の防衛は,宗教権威によって保証された貿易市場の区画を示していると思われる。また,要塞化されない権力者居館は,港市社会内部に大きな階層差がないことを示している。
日本周辺地域の港市は外郭を持つが,政治宗教都市とは異なって防衛機能の弱い内郭は,精神的な中心であると同時に,貿易取引に大きな影響力を持つ宗教施設の範囲を示している。また,政治機能領域と貿易機能領域に分化している例が多い。
東南アジア港市ならびに日本地域の港市は,多くがその二領域の複合並立構成を示している。この二重機能とは同一の港市内部に存在する要素を意味し,両機能領域は対等に近い関係である。東南アジアでは,より普遍的な形でそのような二重機能領域分化が生じた。
日本では,鎌倉段階ですでに生じていた港市機能の分化は,その後より深くアジア規模の貿易体制に組み込まれた中でさらに深化した。そして積極的にアジア貿易にかかわった港市では,東南アジア的な防衛構造を示すようになったと考えられる。
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