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クエリ検索: "芦川いづみ"
4件中 1-4の結果を表示しています
  • ――「戦後民主主義」の限界と可能性に関するジェンダー史的考察――
    千葉 慶
    ジェンダー史学
    2017年 13 巻 5-19
    発行日: 2017/10/20
    公開日: 2018/11/01
    ジャーナル フリー

    現在、「戦後民主主義」は危機に瀕しているが、わたしたちはまだ、「戦後民主主義」とは何なのか、何を受け継いでいくべきかを適切に検討できてはいないのではないか。

    本稿は、以上の問題意識に立ち、「戦後民主主義」表象の中でも、もっとも影響力を持った表象の一つである『青い山脈』を取り上げ、そこに何が「戦後民主主義」の要素として刻まれたのかを抽出し、同作品のリメイクおよび同一作者原作映画の中にその要素がどのように時代を経て、変容を伴いながら受け継がれていったのかを考察することによって、「戦後民主主義」の受容形態の一端を確認し、かつ、今何を「戦後民主主義」の遺産として継承すべきなのかを考える契機とするものである。

    『青い山脈』が、「戦後民主主義」のエッセンスとして描いたのは、第一に「自己決定権の尊重」であり、第二に「対話の精神」「暴力否定」である。前者は、1980年代に至るまで一貫して描かれてきた。他方、後者には1960年代以降、疑義が唱えられるようになり、特に「暴力否定」についてはほぼ描かれることはなくなってしまった。ただ、これをもって「戦後民主主義」が衰退したとすべきではない。この推移は、「対話の精神」を突き詰め、より時代に見合った民主主義の作法を模索した結果ともいえるからである。

    また、ジェンダー史的観点からすると、今回取り上げた作品群には、一様に男性優位、女性劣位のジェンダー構造に固執した表現が目についた。ただし、すべてがこのような限界性に囚われているとするのは早計である。なぜならば、作品群の精査によってそれらの中に、暴力性を拒絶する男性像や、男性優位の構造を内破しようとする女性像の描写を見つけることができたからである。今、わたしたちがすべきことは、「戦後民主主義」を時代遅れのものとして捨て去ることではなく、長い年月の中ではぐくまれてきたその可能性を見出し、受け継いでいくことではないだろうか。

  • (特集―近代の眼差し―大衆社会の感覚と認識をめぐって)
    波多野 哲朗
    映像学
    1988年 37 巻 99-109
    発行日: 1988/05/20
    公開日: 2017/07/31
    ジャーナル フリー

     An actor died in the mid-summer of 1987, His death became an event far more momentous in Japan than that of any other actors. Thousands of people from all over the country crowded to his funeral. The newspapers and magazines issued special numbers, and TV stations released special programs about him. They generally discussed his daily life in exhaustive detail.

     His real life has been elevated to a mythology. One of the reasons for this is that the characters he played in most of his films symbolized the youthful ardors of the Post-War generation in Japan or its desire for the ideal youth. Besides this, there is a simple confusion between the characters he played and the character as he is.

  • 辰已 知広
    映像学
    2021年 106 巻 98-119
    発行日: 2021/07/25
    公開日: 2021/08/25
    ジャーナル フリー

    森英恵は1954年より日活を筆頭に、複数の映画会社のために衣裳デザイン並びに製作を行い、映画産業に大きく貢献した。衣裳は照明や音楽と同様、製作において高い技術が求められるとともに、映画の印象を決定付ける重要な要素である。本稿は森の仕事に注目し、『憎いあンちくしょう』(蔵原惟繕監督、1962年)において浅丘ルリ子が着用した、森による衣裳を中心に作品分析を行う。その際、アーウィン・ゴッフマンが提唱した「行為と演技」の概念を手掛かりに、浅丘による登場人物の生成において、「演技」と衣裳が如何に密接に関わっているかを指摘する。1960年代前半における女性表象を概観すると、衣裳は女性性を強く打ち出すスタイルが中心であり、男女二項対立を前提とした物語世界に奉仕する役割を担っていた。一方『憎いあンちくしょう』では、男性も女性も「演技」を通じて自己の望むものへと向かって「行為」をしており、その意味が衣裳に込められた点において、アクション一辺倒であった日活の新基軸として評価できる。

    また、男性登場人物の分析に偏った先行研究とは異なり、自ら行動する浅丘が役を通じて規範からのずれを垣間見せる姿について、衣裳に加えてカメラワークからも把握することを試み、男性主人公に引けを取らない重層的な女性像を明らかにする。さらには浅丘のキャリアを振り返り、日活における女性表象の変遷と日本映画史との関わりを考察する。

  • ースポーツと映画における「動き」の体系的な研究に向けてー
    大谷 晋平
    年報Promis
    2024年 2 巻 1 号 99-122
    発行日: 2024年
    公開日: 2024/04/21
    研究報告書・技術報告書 フリー
    本研究ノートは、執筆者が作成した日本で劇場公開されたスポーツ映画のリストの分析と、これからのスポーツ映画研究の展望を簡単に提示することを目的としている。 「はじめに」では、作品リストが日本のスポーツ映画研究に向けたものとして製作されたことを説明し、その研究の一つの視座としてトム・ガニングの「動き」に関する研究を紹介する。 第二節では、特に北米で盛んなスポーツ映画研究の概況について、具体的な研究の視座と映画分析手法の大まかな傾向を、先行研究例を用いながら整理し、その上でガニングの視座との差異を確認する。すなわち、これまでの、映画におけるキャラクター像や物語分析とは異なり、「動き」そのものがどのように作られて、観客はそのスペクタクル性をいかに享受したかを考察する研究の可能性についての提示である。 第三節では映画リストの製作基準や方法を提示し、近代スポーツと日本映画の連関を研究することに向けて、日本スポーツ映画の大まかな特徴を明らかにする。 結びでは、第二節と第三節とを踏まえて、「動き」のスペクタクルという視座から日本のスポーツ映画研究という大きな展望を、例を交えながら示したい。
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