太田正雄は東京帝国大学皮膚科学教授であった.太田母斑(Nevus of Ota)の疾患概念を確立した学者として太田正雄の名を知らぬ皮膚科医は世界中にいない.またハンセン病の研究でも知られ,強制隔離や断種法に批判的であり,化学療法を夢見て,らい菌の培養実験に情熱を注いだ.業績のなかでも皮膚真菌学領域のそれは顕著で,
Microsporum ferrugineumの発見と,汗疱状白癬の疾患概念の提唱,そして真菌の培養コロニーの所見に基づいたOta-Langeronの分類は高く評価され,フランス国家からレジオン・ド・ヌール賞を受賞している.その他真菌関係の業績は多く,論文数は39篇に及び,それらは外国語での発表が多く,当時を代表する国際医真菌学者であった.本総説ではそれらの一端を紹介し,併せてそれらにまつわるエピソードなども加えた.
また,太田正雄は芸術文化に造詣が深く,木下杢太郎の名で詩,戯曲,小説を書いている.また画,特に晩年の植物画は『百花譜』として没後,画集が発刊された.
「科学も芸術も其の結果は世界的のものであり,人道的のものである」と述べた最高の教養人であった.
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