本論文では近世遠江の国学者である内山真龍による自身の著作の白川家への献上に注目することで、両者の交流が国学者と朝廷それぞれにとってどのような意味を有していたのかを検討した。
真龍は白川家に著作を献上し、白川家への入門を認めてもらうことで、彼の師の賀茂真淵の霊社を奉斎する公的な許可を得ようとしていた。また、真龍の門人でありこの献上を企画したと考えられる夏目甕麿は、遠江の国学を一層興隆させたいという志を抱いており、真龍の著作を白川家に献上させることで国学の全国的展開の足掛かりとしようとしていたことが推察される。その白川家は当時遠江や三河にて吉田家と勢力を争っており、白川家にとって国学者との交流は権勢の拡大や学問の補強の絶好の機会と目されていた可能性が高い。結局、白川家は遠江に浸透しなかったものの、今回の事例からは国学者が国学の継承や発展のために朝廷との交流を重要視していたこと、そして朝廷の権威上昇や復古においては国学がその動力源となっていた可能性が考えられるのである。
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