浅草山谷にあった料亭「八百善」の建築は,江戸の料亭建築を代表する存在であった。19世紀初頭から大正12(1923)年の関東大震災による焼失まで,増改築,時として再建が繰り返されていた。この八百善の建築については八百善の当主である栗山善四郎家に図面等の資料が残されている他,「組立絵」と呼ばれる一種のペーパークラフトが遺されていた。本研究ではこれらの資料に加え,浮世絵などの絵画資料,明治大正期の写真を用い,失われた八百善の建築を復元的な考察,そして時代ごとの変化を分析することを試みる。
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