安政5年(1858)開港時の日本は欧米先進国からの脅威によって,政治・外交・経済・文化等あらゆる面で危機的事態に直面して,強力な国益志向のナショナリズムが台頭していた.福沢諭吉の啓蒙思想に強く感動した森村市左衛門は,強固な独立自営の精神と道義的信念をバックボーンに,経営ナショナリズムの積極果敢な経営展開を進め,未知の輸出貿易に敢然と挑戦,見事にこれを成功させ,更に独力で欧州の先進近代窯業を移植し,幼稚産業であった我が国陶磁器産業をして世界最高の水準にまで育成し,輸出産業たらしめ世界市場を席捲して,国益に奉仕する所極めて大であった.高級洋食器から,続けて碍子・衛生陶器の国産化を進め,遂には輸出産業としての地位を不動のものとし,日本陶器(株)・日本碍子(株)・東洋陶器(株)を世界的大
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として斯界に君臨させた業績は極めて顕著である.社会事業家・教育事業家として名声を博した彼は,明治における
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者としても優れた経営実践を通じて,そのビジネスに対する理念を実現した.本稿は森村市左衛門の
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者活動と経営理念を彼の「言行録」の分析などを通じて明らかにしようとする試みである。
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