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クエリ検索: "表町" 台北市
8件中 1-8の結果を表示しています
  • 五島 寧
    都市計画論文集
    2023年 58 巻 3 号 992-999
    発行日: 2023/10/25
    公開日: 2023/10/25
    ジャーナル フリー

    台北市
    区改築(1912)は,一定の建築様式が連続する中心市街地を創出したことで知られる。本研究は,その改築について,関係主体と事業スキーム,既存の建築法規との関係,主要な利害関係者の負担についての分析を踏まえ,事業を成功させた要因を考察した。制度面での
    台北市
    区改築は,台湾総督府・台湾銀行・台湾土地建物株式会社・沿道権利者の民事契約であった。植民地黎明期の環境が,各利害関係者の経済的なリスクの少ない資金スキームをもたらした。

  • 台北を事例として
    黄 蘭翔
    都市計画論文集
    1992年 27 巻 13-18
    発行日: 1992/10/25
    公開日: 2019/12/01
    ジャーナル フリー

    THE HISTORY OF URBAN PLANNING IN TAIWAN DURING THE COLONIZED PERIOD, IS STUDIED WITH A VIEW THAT COLONIZATION ACCELERATED TAIWAN’S MODERNIZATION, OR WITH AN OPPOSIT VIEW, THAT THE URBAN PLANNING IS EXECUTED AS A METHOD OF PROFIT EXPRESSION USUALLY. THIS PAPER WILL TRY TO ELCIDATE THE CONFLIT POINTS. FOLLOWING RESULTS WERE OBTAINED, AT THE BEGINNING OF COLONIAL MANAGING, JAPAN GOVERNMENT OPERATED SEWERAGE WORKS AT THEIR RESIDENTIAL DISTRICT FOR REASONS OF SANITATION. SEVERAL YEARS AFTER, THEY PREPARED THE URBAN PLANNING LAW AND IMPROVED THE STREETS OF TAIWAN'S CITIES. THE HISTORICAL CITIES OF TAIWAN GOT A COMPLETE TRANSFORMATION AT THE VERY TEN YEARS DURING JAPAN COLONIZED IT.

  • 葉 倩璋
    経済地理学年報
    1994年 40 巻 3 号 202-219
    発行日: 1994/09/30
    公開日: 2017/05/19
    ジャーナル フリー
    1895年, 台湾は日本の植民地となった. 本稿では, 日本植民地下における台北の都市計画がその統治政策によっていかに規定され, また台北の都市空間構造がどのように形成されていったかを分析する. 台湾の植民地統治政策は, 大きく三つの時期に区分される. すなわち, 1895〜1919年の, 治安平定を目指した撫民政策期, 1919〜1936年の同化政策期, そして1936〜1945年の皇民化政策期である. 都市計画は, 撫民政策期には植民地統治の象徴的建造物の建設などにみられる植民地都市空間の創出を目的とし, 同化政策期には, 都市の機能性, 快適性を追求する, 内地より先進的な都市計画事業が実行に移された. そして1936年には台湾都市計画令が公布される. 皇民化政策期には, 台湾都市計画令に基づく最新の都市計画事業により, 日本人の居住空間や宗教空間の充実と拡張化が図られた. 台北の社会空間においては, 日本人と台湾人との居住分化の構造が顕著にあらわれた. それは,「同化」を促す統治政策の下での都市計画の限界を示すものである. 居住分化は, 植民地という固有の社会状況を示すものであり, 植民地都市計画は, 「植民地」という枠組みのなかで自ら限界を有していたのである.
  • 岡田 義治, 初田 亨
    日本建築学会計画系論文集
    1999年 64 巻 519 号 279-286
    発行日: 1999/05/30
    公開日: 2017/02/03
    ジャーナル フリー
    T. Matsugasaki, an architect retired from the special Architecture Bureau in 1888. However, he remained active for 15 years he worked as a designer at the Architect Design Office. One of Mr Matsugasaki's important works was the Bank of 77. He also was the architect for 17 other project one of which was the Goni Hall. He went to Taiwan in 1907 and he was employed by the Taiwan's National Railway, the Taipei and Taichu city governments as a part-time nonregular engineer and engaged in architectural design, Some of his prominent works in Taiwan include the Taiwan Railway Hotel, the Shintyu Station building and the Taipei West Gate Market which are still utilized today.
  • 甘 火文
    日本補綴歯科学会雑誌
    1989年 33 巻 3 号 724-727
    発行日: 1989/06/01
    公開日: 2010/08/10
    ジャーナル フリー
    Fifty years ago, dentists had always used modelling compound to take functional bite pattern as a method for making the occlusal surface of a crown in order to simplify the final occlusal adjustment. Therefore, the writer adopted the same method to fabricate crown bridge with inlay wax and to construct denture with paraffin wax. The results achieved the same simplification during occlusal adjustment procedure.
  • 林 品章
    デザイン学研究
    2000年 47 巻 4 号 79-88
    発行日: 2000/11/30
    公開日: 2017/07/21
    ジャーナル フリー
    本研究は、1935年に開催された「始政四十周年記念台湾博覧会」の目的、企画ならびにデザインを探究し、その歴史的意義について考察するものである。研究の結果以下のことが分かった。(1)日本政府は、この博覧会の開催を通して、国際社会に日本政府の台湾建設における各種の進歩状況を知らせると同時に、台湾民衆の心を日本政府に向けようとする意図があった。(2)この博覧会の展覧に出したものの規模は大きく、また、宣伝組織は細密、デザイン計画は詳細であり、全体的なデザインに関する仕事は専門家によって制作された。(3)博覧会に参与したデザイナー、あるいはデザイン会社は大多数が日本人であったが、そのプロ意識と仕事に対する姿勢は学ぶに値するものであった。(4)台湾博覧会は、台湾有史以来唯一の国際的な博覧会であり、台湾における視覚伝達デザイン史上重要な役割を果たした。
  • 大日本窯業協會雑誌
    1930年 38 巻 456 号 836-841
    発行日: 1930/12/01
    公開日: 2010/04/30
    ジャーナル フリー
  • 林 品彰
    デザイン学研究
    2001年 48 巻 1 号 93-102
    発行日: 2001/05/31
    公開日: 2017/07/19
    ジャーナル フリー
    本研究は日本人が台湾で開催した視覚伝達デザインに関する大型行事「台湾勧業共進会」「中部台湾共進会」「高雄港勢展覧会」「商業美術展覧会」についての調査から、それらが台湾視覚伝達デザイン史上に果たした意義を考察するものである。研究の結果以下のことがわかった。(1)日本が台湾を統治していた時期、日本は台湾から多くの利益を吸収しようと台湾のインフラ整備及び産業開発を行い、台湾を現代化、資本主義化の方向へ次第に向かわせようとしていたが、本研究で取り上げた各大型行事は、こうした政策逐行の一環として行われた。(2)これらの行事から、日本統治時代の台湾ではすでに視覚伝達デザインが活発に行われていたことがわかる。(3)これら大型行事の計画及びデザインは、日本人主導によるものであったが、計画は細密、周到なものであり、デザイン表現も当時の日本国内のデザインスタイルを反映していた。(4)これらの展覧活動によると、日本は台湾での開発は政治や経済の目的だけではなく、文化的配慮あるいはデザイン発展を向上させる具体的行動もあると認められる。
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