明末、朝鮮・遼東方面の形勢が悪化すると、軍事面においてこれまでの督撫以上の権限を持つ経略と督師という指揮官が現れる。経略は朝鮮・遼東方面を中心に、一方督師は遼東・河南・貴州などにも置かれた。皇帝から「坐蟒」や「督師輔臣之印」等を下賜されたり、広大な管轄区域内での「便宜行事、不従中制」等の権限が付与されたりしたことは、それまでの経略や督撫にはないものであった。さらに督師は「各省兵馬、自督・撫・鎮以下、倶聴節制」といったように、現地の督撫以下すべてを指揮下に置き、軍事を担う文臣としては明代で最高位に位置したといえる。しかし、先行研究では経略と督師は同一視され、更には督撫と混同されてきた。このような混同が起きるのは、その職務の共通性もさることながら、史料中の記述の仕方にも原因があると考えられる。本稿では経略と督師の区別に説き及んだうえで、明代から清代へ続く督撫制度の中で両者がどのような位置を占めたのかを検討したい。
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