日本における文化人類学の黎明期に, 今西錦司と梅棹忠夫はモンゴル高原を踏査し, 動物行動学的観点から家畜化のメカニズムを推論するという遊牧論を展開した。しかし, 「群れのままの捕捉」や移動のメカニズムについて具体的なデータが提示されたわけではなかった。一方, 梅棹は別に, ウシの搾乳について詳細に観察し, ウシの母子関係への介入に注目して「子おとり」というアイデアを提唱した。このアイデアを先の遊牧論と矛盾せずに理解するためには, 「群れ全体の捕捉」から「母子関係介入」までに, 時間の幅を設定せざるをえない。家畜化の長い過程における搾乳の成立という断面について, 梅棹のアイデアを検討するためには, 搾乳に先立つ出産期の観察が不可欠であると思われる。そこで, 本稿は, モンゴル遊牧民のあいだで実践されている, ヒツジとヤギの出産期における母子関係への介入作業についてまとめた。詳細な実態調査にもとづいて, 子畜の育成を契機に母子関係へ介入することが搾乳作業の契機となっているであろうことを, 現在の生業技術体系のなかで示した。と同時に, 過去のプロセスの復元についても, 哺乳の介添えが搾乳の契機となったのではないかという谷の推論を補強することとなった。しかし, だからといって, 地中海地域の牧畜に関する推論のすべてがモンゴル高原の実態にあてはまるわけではない。むしろ, 子畜の育成をめぐって異なる社会環境が異なる技術体系の背景となっている可能性が高い。家畜囲い, 子オスの処分方法, 群れの雌雄比などさまざまな要素が相互に関連しあっている技術体系総体としての分析は今後の課題として残されている。換言すれば, モンゴルの実態から明らかにされるべき起源論の余地もまだ残されている, ということになろう。
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