明治初年に計画された札幌は, 格子状の街区パターンをもち, その中に広幅員の大通 (火防線) を設定した。それが現在の大通公園である。この大通計画の目的は二つあった。市街地を大きく官地と民地に分け, 両者の空間的分離を図ること。同時に, 民地から頻発する火災による官地への延焼防止の役割を担わせることにあった。
この大通火防線の計画は, 都市火災の予防という観点から, 近代的都市計画としての評価を受けてきたけれども, 支配, 被支配の構造が色濃くあらわれている近世城下町的な都市計画の論理を踏襲していることは, 角館や大野の事例からも明らかである。
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