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クエリ検索: "賀谷與吉"
2件中 1-2の結果を表示しています
  • -その名称と機能-
    下郡 剛, 川満 和, 仲村 真
    沖縄工業高等専門学校紀要
    2023年 17 巻 1-26
    発行日: 2023/06/29
    公開日: 2023/09/29
    研究報告書・技術報告書 フリー
    これまで都市開発等によって失われてゆくばかりであった戦争遺跡を、近年では文化財指定して保存してゆこうとする動きが高まってきている。1990年南風原町の沖縄陸軍病院壕群を嚆矢とするこの動向は、1995年の文化財保護法に基づく史跡名勝天然記念物指定基準が改正された後から徐々に加速してゆき、その後の20年間に限定しても、以下の戦争遺跡が次々と文化財指定された。奉安殿・忠魂碑(沖縄市、1997年)、沖縄戦関連宜野座村資料(宜野座村、2001年)、新川・クボウグスク周辺の陣地壕群(うるま市、2004年)、海軍特攻艇格納秘匿壕(宮古島市、2004年)、旧日本軍特攻艇秘匿壕・集団自決地(渡嘉敷村、2005年)、チビチリガマ(読谷村、2008年)、旧登野城尋常高等小学校跡奉安殿(石垣市、2009年)、掩体壕・忠魂碑(読谷村、2009年)、名蔵白水の戦争遺跡群(石垣市、2009年)、旧謝花尋常高等小学校跡奉安殿・本部監視哨跡(本部町、2009年)、161,8高地陣地(中城村、2014年)、旧西原村役場壕(西原町・2015年)、赤松隊本部壕(渡嘉敷村・2015年)などである。  他方で、学術研究の側からは、特に考古学の立場から戦争遺跡の研究が進んでおり、沖縄県立埋蔵文化財センターは、2001年以降、『沖縄県戦争遺跡詳細分布調査(Ⅰ)南部編』(1)、『同(Ⅱ)中部編』(2)、『同(Ⅲ)北部編』(3)、『同(Ⅳ)本島周辺離島及び那覇市編』(4)、『同(Ⅴ)宮古諸島編』(5)、『同(Ⅵ)八重山諸島編』(6)を6年連続で刊行、2015年には『沖縄県の戦争遺跡 平成22~26年度戦争遺跡詳細確認調査報告書』(以下、『沖縄県の戦争遺跡』)(7)も刊行している。  本稿執筆のまさしく最中、2021年10月30日には、「第32軍司令部壕の保存・公開を求める会」主催の第1回シンポジウムが開催されたが(『琉球新報』2021年10月31日)、これも戦争遺跡の保存と研究の進展の動向をうけてのことであろう。  第32軍は沖縄方面の守備を統括し、その司令部は、沖縄戦開始時、首里城の地下にあった。この地下壕内で沖縄の命運全てが決まっており、住民を無制限に巻き込む結果につながった摩文仁への軍司令部退却も、その作戦室にて決定された。以上を踏まえると、第32軍司令部壕は、沖縄戦の記憶継承の要衝をなす場所と言って良い。むしろ今まで何の進展もなかったことの方が不思議なくらいであるが、戦争遺跡の保存と研究は、今や時代全体の流れなのであろう。  さて、「ありったけの地獄を一つにまとめた」戦場という言葉がある。よく沖縄戦全体を示す言葉として耳にするのだが、正しくは米軍公刊戦史『Okinawa:The last battle』(8)中にて、現浦添市の前田高地の戦闘を表現した米軍兵士の言葉を、外間正四郎氏が『沖縄-日米最後の戦闘-』(9)に翻訳した際のものである。この前田高地の戦闘は2017年に映画『ハクソー・リッジ』として公開されるなどもし、沖縄戦の最激戦地のひとつとされている。  この戦場で戦った日本軍部隊のひとつに歩兵第32連隊の第2大隊があり、同隊は前田高地からの退却に失敗し、高地に閉じ込められたため、南部戦線を戦うことなく終戦を迎えた。結果として、隊長以下生存者が比較的多くおり、豊富な回想録が残されている。また、前田高地を含む浦添城跡一帯は1989年に史跡に指定された。そのため、戦争遺跡の最大の天敵とも言って良い開発等の原状変更ができない地域となっている。  本稿では、前に述べた戦争遺跡保存と研究の動向をうけ、豊富に残される回想録を駆使して、この後数百年も残ってゆくであろう前田高地の陣地壕群の解明に挑みたい。
  • -その名称と機能-
    下郡 剛, 川満 和, 仲村 真
    沖縄工業高等専門学校紀要
    2023年 17 巻 27-69
    発行日: 2023/06/29
    公開日: 2023/09/29
    研究報告書・技術報告書 フリー
    前田高地での日米の戦闘は沖縄戦下屈指の激戦とされ、2017年映画『ハクソー・リッジ』公開後、休日の浦添城跡は、日本人・アメリカ人問わず、多くの人が訪れる場所になっている。しかしながら前稿(1)で指摘したように、日本兵が呼ぶ「前田高地」は前田集落北側高地のみを指し、浦添城跡の大部分はこれに含まれない。前田高地陣地壕群は、頂上部・中腹部・麓部の3つに分類でき、前稿では麓部の壕について検討した。東から順に、缶詰壕、兵員壕、乾パン壕である。  本稿では、高地中腹部と頂上部の陣地壕群について検討する。本来、中腹部と頂上部は分けて検討するのが望ましいのだが、頂上部に壕がひとつしかないため、併せて検討してゆきたい。まず中腹部の壕からである。
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