金沢大学の前身、旧制第四高等学校の旅行部に関する研究報告第四回の本稿では、前回に引き続き四高旅行部の実質的創始者・廣瀬壽雄を取り上げる。大正八年一○月下旬の山岳展覧会・講演会に続いて、廣瀬は同年一○月中旬の黒部峡谷探索を記録した「黒部の秋」を地元紙『北陸毎日新聞』に連載する。これにより四高旅行部は実質的に確立したと言えるが、その背景には当時の四高の教育気風と旅行部育ての親・林並木の思想、四高の「
超然主義
」の精神があったと思われる。「黒部の秋」は大正九年七月発行の日本山岳会機関誌『山岳』第一四年第三号に転載され、引き続き廣瀬はその翌月発行の『山岳』第一五年第一号に、大正八年七月の大門山山行を記録した「大門山」を発表することになる。「大門山」は日本アルピニズム史に大門山の名を刻んだものとして、登山家・廣瀬のパイオニア・ワークと言える。
本稿では「黒部の秋」と「大門山」を検討して廣瀬の登山スタイルと方法意識を探り、四高旅行部の原点に迫ることとする。
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