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クエリ検索: "通貨及証券模造取締法"
7件中 1-7の結果を表示しています
  • 小山田 智寛
    デジタルアーカイブ学会誌
    2021年 5 巻 s2 号 s168-s171
    発行日: 2021年
    公開日: 2021/12/10
    ジャーナル オープンアクセス

    東京文化財研究所では、1936年よりほぼ毎年、日本の美術界の動向をまとめた『日本美術年鑑』を刊行している。この『日本美術年鑑』に掲載された美術家や美術関係者の物故者記事をまとめたウェブデータベースは、多くのアクセスを集め活発に利用されている。しかし記事が没後間もなく執筆されるという性質上、後に判明した事実などが追加されないという課題がある。そこで物故者の人名を用いてデータベース内を検索し、記事中の人名にリンクを作成、また当該の人名が含まれている記事を自動でリスト化する機能を実装した。この機能によって他の人物の記事から、執筆時に判明していなかった情報が補足できる。しかし関連する人名が記事中に必ずしも含まれるわけではない。この問題に対して、階層を持つ関連性を視覚化できるグラフデータベースの活用を試み、人名をキーとすることの発展性を確認することができた。

  • 石井 徹哉
    刑法雑誌
    2004年 43 巻 2 号 220-233
    発行日: 2004/01/30
    公開日: 2022/12/30
    ジャーナル フリー
  • 島田 錦藏
    林學會雑誌
    1933年 15 巻 3 号 177-186
    発行日: 1933/03/10
    公開日: 2009/02/13
    ジャーナル フリー
  • わが国の近時の判例における「相当な理由に基づく違法性の錯誤」の判断基準について
    林 弘正
    刑法雑誌
    1989年 30 巻 1 号 113-140
    発行日: 1989/06/15
    公開日: 2022/12/30
    ジャーナル フリー
  • 特別刑法を中心に
    長井 長信
    刑法雑誌
    1990年 30 巻 3 号 410-428
    発行日: 1990/01/15
    公開日: 2022/12/30
    ジャーナル フリー
  • 宮川(1964a)の拡張的解釈として
    宮城 正作
    芸術学論集
    2024年 5 巻 21-30
    発行日: 2024/12/31
    公開日: 2024/12/27
    ジャーナル フリー

    本研究の目的は、広川晴史という人物像から、反芸術という動向および評論家の宮川淳が主張した「日常性への下降」という現象を考察することである。

    反芸術とは、1960年前後の日本の美術界において、絵画や彫塑といった伝統的な表現形式を否定しながら、新しい表現のあり方を模索した動向のことである。一方の「日常性への下降」とは、宮川がその動向を分析したさいに用いた言葉で、芸術が卑俗で日常的なものになったということを示唆している。

    本研究では、その反芸術と「日常性への下降」という現象を、広川という人物像から再考することで、この動向と現象に新たな解釈を付け加える。広川は、反芸術における重要な活動や局面にたずさわりながらも、〈芸術家ではない〉という興味深い位置づけにある人物だ。そのような人物像から反芸術および「日常性への下降」という現象を考察することで、本研究では次のことを主張する。

    1つ目は、反芸術という動向の極致に位置づけられるのは、その動向の代表的なグループだとされている〈ネオダダイズム・オルガナイザー〉や〈ハイレッド・センター〉などの作家らではなく、ほとんど素人だといってよいこの広川という人物だということ。2つ目は、この動向によって日常性へ下降したのは、芸術だけではなく、〈芸術家や芸術活動〉も卑俗なものに下降したということだ。

  • 田口 仁
    映像学
    2023年 109 巻 5-26
    発行日: 2023/02/25
    公開日: 2023/03/25
    ジャーナル フリー

    足立正生を中心に製作された映画『略称・連続射殺魔』(1969年)は、連続射殺事件の犯人として逮捕された少年永山則夫のドキュメンタリー映画である。『略称・連続射殺魔』は一般に松田政男を主唱者とする「風景論」と一対のものとして考えられ、同作を扱うほぼ全ての論考において、映画は「風景論」の絵解きとして解釈されてきた。だが、「風景論」は映画の製作について手法を指示するものではなく、映画にその理念が実現されていたとすれば、同作が製作から5年もの間封印されたことの理由にも疑問が残る。本稿では、この映画について作品の実態に即したカット分析と同時代の文化史的な文脈を参照した分析を行うことでその特質を明らかにし、60年代の制度批判的芸術表現総体との関連において位置づけ直すことを試みる。

    まず第一節では議論の前提となる「風景論」の左派運動的制度批判と永山則夫の人生物語との関係を整理し、次いで第二節では「風景論」を映画に反映的に読みこむ既存の解釈と対照してショット分析を示すことで、映画が実際には永山の個人性に寄り添うナラティヴを展開していたことを明らかにする。最後に第三節では、足立の実験映画作家としてのキャリアと赤瀬川原平を中心とした人的交流から、『略称・連続射殺魔』の封印の理由を分析し、同作をエクスパンデッド・シネマとして解釈することで、むしろこの封印の行為こそが「風景論」の左派芸術運動的な側面の表現であったことを示す。

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