北方の「辺境」に視点を置いて中世文学史(特に歌学史)を捉え返すならば、院政期における歌語とその世界における「新」の探究とは、たとえば『袖中抄』「いしぶみ」に見るごとく、激化する奥州「開発」と並行する王朝国家内の言語的営みとして捉えられるのではないか。これに対し、新古今以後の王朝文化の「旧」に「本」を求める歌学は反対のベクトルを持つが、この両者は、自文化内の視線の投影によって外と内を幻視する点においては同じであり、こうしたあくまで自文化内にとどまる言語的営みである和歌世界においては、たとえば西行が持ち得たかと思われる外なる異文化への言語的逸脱の可能性は消滅していかざるを得なかったのである。
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