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クエリ検索: "鈴木則文"
4件中 1-4の結果を表示しています
  • 岡野 裕行
    日本文学
    2016年 65 巻 11 号 62-71
    発行日: 2016/11/10
    公開日: 2021/12/08
    ジャーナル フリー

    文学資料をいかにして保存・活用していくのかを考える際には、図書館が持つアーカイブ機能やコミュニティ機能に注目してみるとよい。まちの図書館に求められているのは、その地域における情報基盤としての機能であり、教育・産業・地域づくりなどの活動との連携が求められる。また、観光振興の機能を高めるために、地域文化の可視化や情報発信などの取り組みも期待されている。本は人と人とがつながるツールであり、それらが数多く集まる図書館は、人々が創発的に新しい知識を生み出すための空間として機能している。

  • 原爆映画史における聖母マリアの修辞の文脈から
    片岡 佑介
    映画研究
    2017年 12 巻 44-66
    発行日: 2017年
    公開日: 2017/12/26
    ジャーナル オープンアクセス
    本稿の目的は、黒澤明の『八月の狂詩曲』(1991)における対位法の意義を、原爆映画史および黒澤の過去作品での音楽演出との比較によって検討することにある。その際、本稿が着目したのは、この対位法演出に も看取できる聖母マリアの修辞である。原爆映画史において聖母マリアのモチーフは、特に長崎を舞台とする作品で度々用いられてきた。聖母マリアは爆心地・浦上地区のカトリック信仰を象徴する無垢な被爆者表象として機能しただけでなく、日本的なものと西洋的なものが融合したイメージとして、占領期の原爆言説とも密接な関わりをもつ。本稿では、日本で受容された対位法概念の二つの理解を参照し、黒澤が一度は般若心経の音声と聖母マリアの修辞としての薔薇の映像による対位法で冷戦後の世界の表象としての和解のイメージを構成しつつ、映画の最後に自作では異例の物語世界外の音楽を用いた対位法で核への恐怖と狂気による和解の転覆を演出していることを明らかにした。
  • ――文学展「浅草文芸、戻る場所」の試み――
    金井 景子
    日本文学
    2020年 69 巻 4 号 21-32
    発行日: 2020/04/10
    公開日: 2025/04/16
    ジャーナル フリー

    本稿では、限定された文学作品を何とどのように接続することで、文学あるいは文化全体と有機的な関連をもたせて理解することが出来るかについて、文学展「浅草文芸、戻る場所」(二〇一八・九・一~一〇・六、日本近代文学館)での営為を踏まえて問題提起をする。美術教育の事例を踏まえ、散策型鑑賞教育としての展覧会の可能性について、文学教育の新たな可能性をひらくものとして、加藤周一の文学の定義を援用しつつ論及する。

  • 藤城 孝輔
    映像学
    2022年 108 巻 101-121
    発行日: 2022/08/25
    公開日: 2022/09/25
    ジャーナル フリー

    村上春樹作品への日本映画の影響はこれまで十分に論じられてこなかった。実際、両者の関係は決して明白とはいえない。先行研究が指摘するとおり、小説内での明示的な言及は『1Q84』(2009-10年)に黒澤明の『蜘蛛巣城』(1957年)と『隠し砦の三悪人』(1958年)が登場する程度である。エッセイや数少ない映画評で邦画が話題に上ることはあるものの、映画をテーマとするほぼ唯一の書籍といえる『映画をめぐる冒険』(川本三郎との共著、1985年)の中で日本映画が論じられることはない。

    本論文は村上が1980年から1981年にかけて雑誌『太陽』に連載していた映画評を手がかりに村上の小説『騎士団長殺し』(2017年)と鈴木清順のポスト日活時代の映画との間テクスト性を検討する。特に村上が「実像と幻影、真実と虚構、過去と現代を一体化させたその映像は息を呑むばかりに素晴らしい」と評したテレビ映画『木乃伊の恋』(1973年)が村上による「二世の縁」(1808年)の換骨奪胎に影響を与えたと本論文では推察する。村上が批評家として向き合った清順の映画が後年、思わぬかたちで村上のテクストに表出するまでの過程を『木乃伊の恋』およびその延長線上にある大正浪漫三部作(特に1991年の『夢二』)との比較を通して明らかにしたい。

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