建部遯吾の初期の主要三著作である『
陸象山
』『哲学大観』『普通社会学』に, 明治期我国における欧米社会学摂取の知的経緯の一断面を見る.
初期建部が儒学に大きな注意を向けることによって欧米社会学諸理論の紹介やその応用といった水準を超え, 我国社会学に一世を画したことは衆目の一致するところである.しかしその仕事において実際に儒学がどのように性格づけられているか, そしてそれが欧米諸学, 建部社会学とどのように相互に関係づけられているのかについては詳細に検討されていない.
本稿は初期建部における儒学, 欧米諸学, 建部社会学のそれぞれの性格づけおよび相互関係を明らかにする.そこにおける儒学は反省を経ずに措定された自明的な思考基盤でなく, コント学問体系論に組み込まれる, 学の一部門でもなかった.欧米知との邂逅によって一旦相対化され, またそれゆえに自律的な思想体系として再発見された儒学であった.そして初期建部の社会学とは, かように再発見された儒学の長所と欧米社会進化論の知見を, 双方の自律性を保存しながら統合する試みであった.
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