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クエリ検索: "高湯街道"
5件中 1-5の結果を表示しています
  • 長井 政太郎, 仁藤 庸雄, 永沼 桂美
    地理学評論
    1937年 13 巻 10 号 861-881
    発行日: 1937/10/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    (1) 藏王火山の西麓は中央部の泥流層と龍山麓の安山岩屑帶が夫々6度乃至12度程度の緩斜面をなし, 780m附近迄水田に利用せられて居るが,兩側の第三紀層の基盤や,花崗岩等の地域は谷沿ひの低地と谷側の緩斜面のみが耕作に利用せられて居る。隨つて中央部には斜面の聚落多く分布するのに對して,爾側には谷底聚落が多い。
    (2) 眞夏に於ける水田の等温27°線は大抵山麓線, 25°線は300m線に, 23°線は500m線, 21°線は600m線と近似して居る。
    (3) 米の等牧量線8俵線は水温27°線, 5俵線は25°線6俵線は23°線5俵線は21°線と近似して引けたが, 600m以上の18°線に達すると急激に牧量2俵まで不連續的に低下し, 600mが山形縣に於ける米作可能限界線に近い事を知り得た。
    (4) 昭和9年の凶作の際には400m附近まで平年の2割の牧穫量より無かつたが,其の下は不連續的に4割以上の牧穫量に移つて居る事實が判明した。即ち凶作の年には牧量不連績線が200m低下して居たのである。
    (5) 飯米は泥流暦上と山麓は充分であるが谷の中は一般に不足で,中腹の300m-500mの部落は養蠶と水田耕作で生計を立て, 5, 600mの部落は炭焼を半本業的に營んで居る。養蠶業と炭焼で生活して來た部落は明治の晩年から大正の晩年迄人口,戸數の増加著しかつたが,不況時代に入つてからは増加が停止した部落と減少してしまつた部落がある。
    (6) 螢林署で植林する以前には伯樂より依托せられた馬の飼育が盛であつたが,草刈場が減少し,養蠶が盛になるに伴つて牛の飼育に變つた。最近は牛から乳牛と緬羊の飼育に變つた部落が少くない。高原性の草地と,東北的盆地性の氣候とが緬羊飼育に適するので當局の援助により頗る急激に増加して居る。隨つて春から秋迄は山の村に托し,冬は里に下げる馬の移動は極めて少くなつてしまつた。
    (7) 不況以來出稼ぎする村が多くなつたので青年男女の率は比較的に多くない。
    (8) 中腹の部落より谷奥又は山腹の高地に山番として派出せられた小さい聚落が見受けられる。是等は今も行政的には母村の中に含められてゐる。
    (9) 共有林を持つ部落では入村料を徴收するが,分家を禁ずる目的で高い入村料を定めてゐる部落がある。
    (10) 聚落は山麓より山腹に増加してゐるが,現在の入家は下程増加が甚だしい。
    (11) 水田耕作と養蠶と炭燒は發展の餘地少いが,有畜農業と植林完成に依る收入増加で村々の前途に一脈の光明を發見し得る様に思はれる。
  • 今野 義信
    陸水学雑誌
    1934年 4 巻 1 号 1-10
    発行日: 1934/06/15
    公開日: 2009/12/11
    ジャーナル フリー
    1.酢川(pH1.2-1.8)と須川(pH4.0-5.0)の特異性は高湯温泉と附近の一小流が決定してゐる。他の河流妹すべて5.6以上である。
    2.pHの變化は水量の増減と反對である。
    3.pH分布は3段の變化をみせ,酢川1須川6の水量の割合で合する地點の變化が最も大である。この變化は,Fe,SO4,C1についても同様であらう。
    4,水温は複雜な條件に左右せられるらしいが全體として安樂椅子歌の變化を示してゐる。
    5.酢川には水中生物は全く居らす,須川ではカハゲ7のみしか發見出來なかった。
    6.硅藻は魚類の棲息限界であらうといはれるpH5,0の所に於て發見した。
    7.魚類は勿論水稻もpHの變化が少なければ漸次高度の酸水にも順應して行くが急激な變化には耐へられない。
    8.雜用水としては勿論,灌漑水としても全く使用されないので特殊の水路系統を見る。
    9.強酸性は舟・橋の保存命數を短くし,Feの多いことゝ共に石礫をもろくしその利用度を低くしてゐる。
    10.高湯褞泉附近では常温で化学變化を起す。酸性度の大は發電所の設置を不可能にした。pHと果樹園の關係は未詳である。
  • 今野 義信
    地理学評論
    1934年 10 巻 5 号 395-407
    発行日: 1934/05/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    1. 酢川(pH=1.2-1.8)と須川(pH=4.0-5.0)の特異性は高湯温泉と附近の1小流が決定してゐる。他の支流のpHは大部分は5.6である。
    2. 酢川のpH 1.2は他に比較して極めて強い酸性である。pHの變化は水量の増減に反對である。
    3. pH分布では3段の變化をみせ,酢川1,須川6の水量の割合で合する地黙の變化が最も大である。この變化はFe, SO4, Clについても同様であらう。
    4. 水温は意外に複雑な條件に支配されるらしいが全體として安樂椅子状の變化を示してゐる。
    5. 酢川には水中生物は全く見ることが出來ず,須川ではカハゲラのみしか發見出來なかつた。
    6. 珪藻は魚類の棲息限界であらうといはれるpH 5.0の所に於て見出された。
    7. 魚類,水稻等はpHの變化が少なければ漸次高度の酸水にも適應して行くが急激な變化に對しては耐へられない。
    8. 飲用水としては勿論,灌慨水としても使用することが出來ない爲特殊の水路系統を示してゐる。
    9. pHの大は發電所の設置を不可能にし,舟,橋の耐久力を減じ,又鐵の多いことと共に石礫をもろくしてその利用度を低くさせてゐる。
    10. 須川沿岸の果樹園とpHとの關係は未詳である。
    終りに臨み本稿を草するに當つて文獻を貸與され,酢川及須川の水の分析,原稿の訂正等絶へず御指導と御援助を下さつた吉村先生,並に御鞭撻下さつた恩師長井先生に厚く感謝する。
  • 黒田 徳米, 宮永 宗男
    ヴヰナス
    1939年 9 巻 2 号 66-85
    発行日: 1939/07/03
    公開日: 2018/01/31
    ジャーナル フリー
  • 地理学評論 Ser. A
    1993年 66 巻 1 号 42-45,48_1
    発行日: 1993/01/01
    公開日: 2008/12/25
    ジャーナル フリー
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