『源氏物語』の六条御息所には、娘・斎宮の伊勢下りに随行した徽子女王との重なりが認められる。一方で、古注以来、〈中将御息所〉という人物も準拠として指摘されてきた。六条御息所の再嫁の可能性を響かせる〈中将御息所〉は史実には存在せず、『大鏡』と『源氏物語』古注によって作り出された人物である。準拠をめぐる言説が「虚構作品」の登場人物だけでなく、史実の存在を認識する姿勢においても影響を与える点を読み解いていく。
『源氏物語』の時代、浄土教思想や無常観のようなものが浸透するなか、むしろはかない「この世」をいっそういとおしみ、死者や死にゆく者の視点を先取りして「この世」を遠く眺め見つつ、「この世」そのものへの多大な愛情を表わすというような文学上の表現が散見するようになる。『源氏物語』では、柏木の死をめぐる物語以降特に顕著に表われてくる傾向であろう。仏教的来世思想の浸透と再解釈のうえに現れてくると思われるこうした眼差しを追い、『源氏物語』の世界観を問う。
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