日本の化学論文誌の誕生2006/03/27 第1回 日本の化学論文誌の誕生化学会が発足したのは明治11年(1878年)4月8日で,今から127年前のことです。 当時,東京帝国大学理学部を卒業したばかりの人と在校生併せて24名が創立に参画しました。 明治31年9月になって京都帝国大学理工科大学製造化学科が開設されましたが, 最初の4講座を担当したのが久原躬弦(東京化学会初代会長),吉田彦六郎,織田顕次郎, 中澤岩太の4教授ですが,いずれも化学会創立時の会員でした。明治12年になると 東京化学会と改め,さらに明治13年(1880年)中澤岩太会長の時に 「 東京化学会誌 」 第一帙第一冊が出版されています。冒頭には 高山甚太郎『 日本製茶の分析説 』と 甲賀宣政『 化学命名論 』 の二論文が掲載されています。なにより縦書きの科学論文であることが大変新鮮です。 1880年といえばThomas EdisonがScience を創刊した年にあたります. わが国の化学研究の伝統を心に留めておきたいものです。 一方,榎本武揚を会長として工業化学会が明治31年に発足し,同時に「工業化学雑誌」を 刊行しています。一方,「 東京化学会誌 」 は大正10年(1921年)学会名称変更によって「日本化学会誌」と改め, 大正14年には欧文誌 Bulletin of the Chemical Society of Japan の 刊行を始めました。この雑誌には,福井謙一先生のフロンティア軌道論に関する論文が いくつか掲載されています。われわれ化学者の誇りです。 太平洋戦争に敗れてのち,昭和23年1月に日本化学会と工業化学会が合同しましたが, 両和文誌はしばらく併刊されていました。しかし,昭和47年1月に両誌を併合して 「日本化学会誌(化学と工業化学)」(「日化誌」と略記)と改めました。その代わりに 欧文速報誌 Chemistry Letters を創刊することになりました。 わが国の化学および化学工業が欧米先進国に追いつけと必死になっていた頃です。
(京大院工) 檜山爲次郎 |