「保井コノ」 -日本初の女性理学博士-2006/03/27 「保井コノ」 -日本初の女性理学博士-保井コノは1880年(明治13年)香川県に生まれ、18歳で香川県師範学校を卒業後直ちに上京して女子高等師範学校理科に入学した。 卒業して女学校の教師を3年勤めた後、1905年25歳の時、 女高師に初めて設けられた研究科に最初のただ1人の理科研究生として入学し、 シジミの研究者として知られた岩川友太郎教授のもとで動植物学を専攻することになった。 その研究科1年のときに発表した「鯉のウェーベル氏器官について」は、 『動物学雑誌』に掲載された女性科学者最初の論文であった。次いでヒルの研究を勧められたが、 ヒルは大嫌いとそれを断り、自分でさんしょうもの原葉体を調べて 『 植物学雑誌 』(1909)に発表 ( 植物学雑誌 Vol.23(1909), No.264 pp.20-24 )した。 これが東京帝国大学農学部三宅驥一教授の目に留まり、 同教授から細胞学の指導を受けたり、ミクロトームを借りて切片をつくったりして研究を進め、1911年に同教授の勧めで “Annals of Botany”にその成果を発表した。 1914年(大正3年)渡米が実現して、ハーバード大学のジェフレー教授のもとで、 植物組織研究の新しいテクニックを学び、石炭の研究を始めた。 帰国後の石炭研究は、研究費の点で女高師では不可能であったが、 東京帝国大学植物学の藤井健次郎教授や女高師校長中川謙次郎教授の尽力で、 東大遺伝学講座の嘱託となり、学生実験を担当しながら、10年間にわたって東大で続けられた。 日本各地の石炭を、自らモッコに乗って炭坑のたて穴深く降りて採集し、全く新しい方法で綿密な検討を重ねて、 炭化度による石炭植物の構造変化を明らかにしていった。それは他の追随を許さない、 新しいすぐれた研究であったというが、それが学位論文「日本産石炭の植物学的研究」となって、 1927年(昭和2年)日本の大学初の女性博士が誕生した。
三木 寿子 「保井コノ」-日本の大学初の女性博士となった植物学者- *2006/03/31 写真を追加しました。 |
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