数物学会誌の紹介2006/04/24 第3回 数物学会誌と本多光太郎本多光太郎(ほんだ こうたろう, K. HONDA, 1870-1954)は, 日本の磁性体研究の父です。磁石は現在, ハードディスクなどの大容量磁気記憶装置に使われており, 現代社会にはなくてはならないものです。何百本もの音楽が持ち運べる超小型の装置や, 数百時間のビデオ録画が可能な装置などは, すべて大容量磁気記録装置のおかげです。また, 強力な磁石は, 病院で 体の中を調べるMRI(核磁気共鳴画像)装置や, 磁気浮上列車にも用いられています。 本多は愛知県に生まれ, 東京帝国大学で田中館愛橘と長岡半太郎の指導を受けて物理学を学びました。1907年に東北帝国大学が出来たときに教授に内定が決まり, ヨーロッパへ留学した後,1911年に帰国して着任しました。1916年には, 現在の金属材料研究所の前身である, 臨時理化学研究所第2部の主任となり, 世界一強力なK・S磁石鋼を発明します。1919年には, この研究所は東北帝国大学附属鉄鋼研究所と改称され, 本多が初代所長となって1933年までその任にありました。しかし, 1931年に東京帝国大学の三島徳七らがK・S鋼よりも3倍強いM・K鋼を開発したため, それに対抗して, 1933年には, 新K・S鋼を発明します。また, この年にはドイツのゲッチンゲン大学から名誉博士号を授与されます。ちなみに, 東北帝国大学のある仙台の町は,「東北の月沈原(ゲッチンゲン)」と呼ばれていました。本多は, 1931年から1940年まで東北帝国大学総長を務め, 勲一等瑞宝章を授与されています。 今回のJournal@rchiveでは, 長岡半太郎と共著の 「ニッケル鋼のマグネトストリクションについて」(Tokyo Sugaku-Butsurigakkwai Kiji-Gaiyo, Vol.2, p.9) など, 多くの論文が収録されています。 (佐宗哲郎: 埼玉大学理工学研究科教授) |
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