数物学会誌の紹介2006/05/16 第4回 数物学会誌と寺田寅彦寺田寅彦(てらだ とらひこ, T. TERADA, 1878-1935)は,夏目漱石の小説『三四郎』の野々宮宗八,『我輩は猫である』の水島寒月のモデルといわれている物理学者です。文筆にもすぐれていて, 物理学を一般の人にもわかりやすく書いたエッセイを多く含む『寺田寅彦随筆集』(岩波文庫)は,いまなおたくさんの人に愛読されています。 物理学者としての寺田は, 常に2種類の正反対の評価に付きまとわれてきました。ひとつは, 現代の「複雑系」といわれる学問のさきがけをなすような, 普通の物理学では手に負えないような, 身の回りの自然現象(金平糖の形や, ガラスの割れ方, ガラス窓に付いた露の流れ方, など), 日本独特の事物(尺八など)に関する, 先駆的な研究を行ったというプラスの評価, もうひとつは, 彼はいろいろやったけれども, それは大雑把な研究に過ぎず, それらのテーマを研究する方法論がまだ全然出来上がっていないときに, あれこれ思いつきで言ってみただけである, というマイナスの評価です。 しかし, 寺田は, 1909年から1911年までのドイツ留学の後に, X線を用いたラウエ写真法による物質の構造の解析方法に関して,写真乾板ではなく蛍光板を用いて, 現像しなくてもその場で結果がわかる画期的な方法を考案していました。ただ, それを英国のNature誌に投稿したところ,すでに同国のブラッグ父子によって同じ方法が発表されていたことを知って, 先進的なヨーロッパからの情報が数ヶ月遅れでしか入ってこない日本の現状に諦めを感じて, 独自のテーマに転向した, とも言われています。 それだけでなく, 寺田は, 身の回りの自然現象などについても, 十分定量的かつ数学的な分析を行なって, (たとえば, 「電車の混雑について」(寺田寅彦随筆集第2巻,岩波文庫)), 論文にも発表しています(たとえば, 「熱海間欠泉の調査」Tokyo Sugaku-Butsurigakkwai Kiji-Gaiyo, Vol.2, p.164 , 「音叉の共鳴管に就いて」同p.211 など)。その上で,有名なエッセイ「量的と質的と統計的と」(寺田寅彦随筆集第3巻)のなかで, 「質的に間違った仮定の上に量的には正しい研究をいくら積み上げても科学の進歩には反故紙(ほごがみ)しか貢献しないが,質的に新しいものの把握は量的に誤っていても科学の歩みに一大飛躍を与えるのである。ダイヤモンドを掘り出せば加工はあとから出来るが, ガラスはみがいても宝石にはならないのである。」と明快に述べています。 寺田はさらに, 物理学に統計的手法を導入し, 通常の物理学では扱いにくいような自然現象(地震や岩石の破壊など)を研究しようと試みました。地球物理学研究の先駆けといえます。エッセイ「天災と国防」(寺田寅彦随筆集第5巻)の末尾で, 「人類が進歩するに従って愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。砲煙弾雨の中に身命を賭して敵の陣営に突撃するのも確かに尊い大和魂であるが, ○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相として期待してしかるべきことではないかと思われる。」と述べているのは傾聴に値します。 (佐宗哲郎: 埼玉大学理工学研究科教授) 今回のJournal@rchiveでは, 長岡半太郎と共著の 「ニッケル鋼のマグネトストリクションについて」(Tokyo Sugaku-Butsurigakkwai Kiji-Gaiyo, Vol.2, p.9) など, 多くの論文が収録されています。 (佐宗哲郎: 埼玉大学理工学研究科教授) |
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