原(1999)は大都市圏の都市機能の一部である都市用水事業と下
水道
事業に視点を置き,都市の拡大により引き起こされた流域変更について考察するために,神奈川県,愛知県,香川県の事例を分析した.その際には,都市用水事業と下
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事業の展開を歴史的に調査し,都市用水の流域変更システムと,その結果生じた流域外へ移動する水量を「取る・使う・捨てる」の流れに沿って整理した.また,地理情報システムを駆使して,時間・空間の両次元でのデータ分析を行った.その結果,流域変更は,取水・排水域の双方の水環境に大きな負荷を与えることが明らかになった(原,1998).
埼玉県では,利根川と荒川が都市用水供給のために水路で結ばれ,利根川水系から取水された水が各家庭から下
水道
を経て,荒川水系へと排水されているという流域変更が行われている.
そこで,本研究では埼玉県の上下
水道
を中心とした人為的な水循環構造の一端を担う流域変更と,それにともなう水環境への影響を明らかにするために,埼玉県の上下
水道
の変遷・埼玉県の上下
水道
にともなう人為的な水の移動システムおよび水量・流域変更されている水量の分析を行っている.今回は埼玉県の上下
水道
の変遷について発表する.
これらのデータはすべてデータベース化を行い,図化についてはGISを用いて行った.
埼玉県の
水道事業はもともと簡易水道
により給水されていた地域がほとんどであった.1924年に秩父市おいて初めて上
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による給水が開始され,1930年に深谷市,1931年に児玉町,1932年に飯能市,1937年に浦和市・大宮市・与野市から成る県南
水道
企業団と所沢市に敷設された.1950年代には次々と給水が開始され,1970年代にはほとんどの市町村で上
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が敷設された(澤田,1997).埼玉県
水道
用水供給事業(県水)は,1968年に人口増にともなう給水量の増加や,地盤沈下抑制のための地下水取水規制に対応するために,県南
水道
企業団・川口市・戸田市・蕨市・鳩ヶ谷市により安定した水量を供給するために始められた.その後,給水区域を拡大していき,広域第一
水道
では対応しきれなくなり,1978年に広域第二
水道
における通水が開始された.これらは1991年に統合され,2000年には74事業体(78市町村)に用水を供給している.県営
水道
の水源はすべて表流水であり,荒川・江戸川・利根川より取水され,ブレンドして各
水道
事業体へ供給されている.
埼玉県の下
水道
事業は1931年に川越市で事業着手されたのを皮切りに,1939年に川口市,1950年に行田市をはじめ,久喜市,大宮市,秩父市と整備され,浦和市での着手は1955年であった.埼玉県では県民の飲み水である荒川の汚濁対策と周辺地域の生活環境の改善を図るため,1967年に県内初の流域下
水道
である荒川左岸流域下
水道
を敷設した.その後,2000年度まで順次事業着手が行われている.
給水人口は総人口の増加傾向と連動しており,1965年度では約186万人であったのが,2000年度では約690万人とおよそ4倍になっている.
水道
普及率も年々上昇しており,1970年度以前は全国平均を下回っていたが,それ以降2000年度までは平均を上回り,100%に近い値で推移している.
下
水道
普及率も年々上昇しており,1985年度までは全国平均を下回っていたが,1987年度以降は平均を上回っている.しかし,2000年度においても68%と約3割がいまだ敷設されていない状況である.
上
水道
における給水量は1995年度までは増加傾向にあり,その後横這い状態である.
上
水道
における給水量の水源別分析を行った.1960年度の給水量の90%を地下水が占めていた.1970年度の地下水の割合は73%で,その後年々占める割合は減少している.
埼玉県の
水道事業は簡易水道から上水道
事業に転換され,さらに水源も地下水から用水供給事業への変換が顕著に行われていることが明らかになった.これは水の輸送が行われ,流域変更が起こっていることを示唆している.
今後
水道供給事業体ごとの上下水道
の変遷と,水移動量の分布などを明らかにした上で,埼玉県の流域変更による水環境への影響を明らかにするつもりである.
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