日本中東学会年報
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『シャー・ナーメ』の詩的語法
近藤 久美子
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1988 年 3 巻 2 号 p. 43-73

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抄録

叙事詩には、ふつう、ことばの上でもまた内容的にも繰り返しが多くみられる。ホメロス学者のミルマン・パリーは、なぜ同じことばで同じことを何度も繰り返す必要があるのか、を問題にした。ホメロスが後世の、あるいは現代作家と同じように、紙とペンを使って書いたのであれば、むしろ繰り返しを避けたのではないか。つまりホメロスは文字を使わずに、あのように長く、複雑な物語詩を作り上げたのである。繰り返し使われる詩句は、特定の意味を伝えると同時に、詩行の特定の部分を埋めるよう工夫されている。したがって詩人は、そのような定型句をモザイクのように巧みに組み合わせることによって、口頭で、しかも一定の速度で物語らなければならないという要求に答えたのである。パリーの研究によると、ホメロス作品はすべて定型句から成っているという。しかも意味と定型句の関係は、ほぼ一対一対応である。何世代にもわたって受け継がれ、練り上げられてきた定型句、いわば叙事詩のことばを、用いたからこそ、ホメロスは素晴らしい叙事詩を残すことができたのである。小論は、以上のようなパリーの口頭詩論にもとづいて、フェルドウスイーの『シャー・ナーメ』が口頭詩の技術をもって作られていることを明らかにするものである。イランの代表的叙事詩とされながらも、『シャー・ナーメ』は、著者自ら文字資料に言及しているため、これまで狭義のliteratureとして扱われ、叙事詩としての特徴は、特に問題にされることもなかった。それどころか、先に述べたような口頭で作られた叙事詩に特有の語句やテーマの繰り返しは、文学作品として規定されているため、欠点として指摘されている。そこで、小論はパリーの後継者、アルバート・B・ロードが挙げる、口頭詩であるか否かを決める三つの規準、(a)定型句が使われていること、(b)一詩行内で文が完結していること、(c)一行が定型句から成るように物語がテーマの組み合わせによって作られていること、にそって『シャー・ナーメ』がどのように作られているかを順次考察していく。この手続きを経て初めて『シャー・ナーメ』を理解することができると考えるからである。

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© 1988 日本中東学会
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