抄録
カラクル湖(380㎢)は東パミールの北東部に位置し,流域に氷河を擁する閉塞湖である.この流域の地形発達史は,1987年にソビエト連邦によって出版された150万分の1地形学図に示されている.それによれば,第四紀に3回の高湖水面期と4回の氷河前進期が認められる.しかし,カラクル流域の第四紀を通じた高湖水面期の回数とその規模,それらと氷河前進期との関係についての詳細はよく分かっていない.そこで,本研究は,カラクル湖岸の中で最も旧汀線地形の保存の良かった北岸を対象として地形発達史を明らかにした.
調査は2007年の夏から秋にかけて行った.調査項目は,ALOS画像を用いた地形判読,野外調査による地形・堆積物の記載,旧汀線の縦断プロファイルの作成である.
それらの結果の要点をまとめると,以下に記す4点となる.
(1)カラクル湖北岸において扇状地の形成期は6回(新しいものから順にF1‐F6)あり,それらは,低水位期(間氷期)に形成され,高水位期(氷期)にその形成が止んでいた.
(2)第四紀の高湖水面期は,F2‐F5扇状地面との関係から少なくとも5回存在した.湖面からの比高は,新しい時期のものから順にそれぞれI期(+10 m;),II期(+33 m;),III期(+96 m),IV期(+203-205 m),V期(+217 m)である.
(3)カラクル湖北岸では,3つのモレーン(古いものから順にH期・M期・L期)が確認できる.扇状地との関係でみると,H期とM期の間にF5が形成されている.
(4)カラクル湖北岸の第四紀の地形発達をまとめると,「F6→H期の氷河前進(V期)→F5→M期の氷河前進(IV期)→F4→L期の氷河前進(III期)→F3→氷河前進?(II期)→F2→氷河前進?(I期)→F1(現在の湖面)」となる.
これらを得る基礎となった証拠とその解釈は以下の通りである.
i) カラクル流域において最低位の分水界は,南西部,標高3950 mにある.このことは,少なくとも現湖面より35 m以上高くなるような高湖水面期が,氷河前進に伴う分水界の塞き止めによって生じたことを示す.つまり,カラクル湖は氷河前進期と高湖水面期が一致する,いわゆる氷河期湖であると解釈される.
ii) F3‐F6扇状地面上には,等高線に平行するようにしてのびる平坦面とそれを区切る1~数 mほどの比高を持つ小崖が階段状に分布する.小崖によって区切られる平坦面上には,3~10 cmほどの円‐亜円礫が分布する.これは,小崖とその前面の平坦面が,扇状地を切って形成された侵蝕性の地形であることを示す.つまり,小崖とその前面の平坦面は,過去の高湖水面期に形成された波蝕崖と波蝕台であると考えられ,一つ一つの小崖の基部が,ある時期の旧汀線を示している.
iii) F2とMarshとの境界をなす旧汀線は標高3925 mにある(I期).F3‐F4の扇端付近を切るようにして分布する旧汀線のうち,最上位のものが標高3948 mにある(II期).F4の最上位の旧汀線は,標高4011 mにある(III期).F5の最上位の旧汀線は,旧汀線となる小崖の基部が不明瞭であるが,標高4118-4120 m付近にある(IV期).これ以上の高さでみられる旧汀線は,丘陵基部に形成されたローカルな扇状地上にみられ,その最上位のものは標高4132 mにある(V期).
iv) F5の扇頂部は,M期モレーンリッジが示すアーチ型のラインと調和的な形状で切られている.そして,その表面は不規則な形状のガリーによって大きく侵蝕されている.また,扇頂付近の地表面には,M期モレーン上の巨礫と同様に砂漠ワニスとタフォニの発達した巨礫が散在する.こうした点から,F5はM期以前に形成された扇状地で,M期の氷河前進に伴って,その氷河融水による侵蝕や,地表面への巨礫のばら撒きがなされたと解釈できる.
なお,東パミール,Kol-Uchkolにおいて10Be露出年代法を用いて氷河地形編年を行ったAbramowski et al.(2006)の結果を参照すると,カラクル湖北岸のL期モレーン(III期)は,75-57kaという年代値の出ているターミナルモレーン(UK2)に対比されると考えられる.