日本地理学会発表要旨集
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発表要旨
  • 鷹取 泰子, 佐々木 リディア
    519
    公開日: 2017/05/03
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    ■研究の背景・目的・方法:少子高齢化の問題は現代の日本社会全体が抱える共通の課題であるが,とりわけ農山村地域の高齢化・後継者不足においてより深刻な状況を呈している.2015年8月には「女性活躍推進法」が成立,同年12月に閣議決定された第4次男女共同参画基本計画でも地域・農山漁村,環境分野における女性の積極的な活用という方向付けが示された.農林水産省でも女性農業者等の育成に関する事業や女性農業経営者の取組みの発信,地域ネットワークの強化を図る等,多岐にわたる施策を展開している.本研究はこうした背景や既存研究の成果をふまえ,ポスト・バブル世代*1が農山村で関わってきた近年の起業活動や農場経営の多角化とその貢献について着目し,とくに女性のロールモデルの構築として取りまとめながら,彼女らが地域で果たしてきた貢献について明らかにする.
    ■日本の農山村における起業・農場経営等の類型化:今回は「農業の未来をつくる女性活躍経営体100選」(愛称"WAP100"*2)に選ばれた経営体と我々の現地調査の事例について起業・経営の内容で大別し,自然・社会・経済条件,ツーリズム,経緯,ライフスタイル,哲学・思想,ビジョン等の要素を抽出・分析した.その結果,農畜産業分野は「野菜」「土地利用型作物」「果樹」「加工用作物」「酪農」「養豚」「養鶏」「花卉・苗」,その他の分野は「観光・ツーリズム」「販売・流通」「飲食」「加工」に分類された.さらに主要な生産品目または経営活動とそれぞれ従となる生産品目や経営活動,顧客,キーワード,アクセス可能性等の組み合わせのパターンを見出した.
    ■ポスト・バブル世代女性にみるロールモデルの構築:各分野の代表的な類型化の結果にもとづき,女性のロールモデルとして構築した一部の要点を以下に紹介する.(1)トマト栽培モデル:施設型で初期投資が大きいが品種や農法を選ぶことで,農業経験の少ない人でも起業・経営可能.ブランド化や販路確保・拡大が重要.段階的に加工品製造も視野に.(2)少量多品目栽培モデル:初期投資少なく小規模で開始可能.品目増加や品種・栽培方法の選択が重要.直売所経営や宅配との連携で都市近郊から山村部まで展開可能.(3)米専門モデル:作業受託,直売,野菜生産,加工等との組み合わせや特長ある栽培方法を選択する等の工夫が不可欠.法人化や通年雇用が鍵.(4)加工用作物栽培モデル:加工を前提とする作物(ユズ・梅・芋類など)の生産が基盤でさらに施設経営を組み合わせることで地域の雇用創出も.(5)酪農6次産業化モデル:品種や+αの経営内容次第で様々な可能性が見出され放牧に転換する経営体等も.(6)ツアーガイドモデル:自身の知識・関心を基盤に専門ガイドとしてツアー企画・請負などを事業化.(7)企業就職モデル:企業的な経営が行われる法人等への就職.パート雇用,幹部候補等,人生設計やライフスタイルに合わせ農山村での生活基盤を作りやすい選択の1つ.互いのマッチングが鍵.
    ■ポストバブル世代の農山村への貢献:まとめにかえて:ポスト・バブル世代による起業や経営の多角化において,地域資源の認識・再評価,ポスト・生産主義的なライフスタイル,適切で持続的な農場・法人経営への意識向上,雇用創出等の効果が農山村にもたらされていることが伺われた.とくに女性の農業者の存在・活躍・経験は既存の起業・経営とは異なった視点から,多様な展開を見せる一因となっていた.当然ながらロールモデルの例は上記にとどまるものではなく,農山村における持続的な生活を目指す若者が,自身の趣向にあったモデルを見出し創出しながら,より円滑な形で農山村へのアクセスが向上していくことが期待される.
    ■注*1:バブル時代を経験していない世代,具体的には2016年時点で生産人口年齢を迎えた15-45歳を想定 注*2:女性が活躍する先進的な取り組みを拡大する目的で実施されている事業;農業経営(体)における女性の積極的な参画の英訳 「Women's Active Participation in Agricultural Management」より命名された
    ■謝辞: 本研究を進めるにあたり,JSPS科研費 26580144の一部を使用した.
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  • 佐々木 リディア, 鷹取 泰子
    237
    公開日: 2017/05/03
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    ■構成: 1.ルーマニアにおけるエコツーリズム 2.地域概観(ルーマニア・トランシルヴァニア地方・マグラ村) 3.事例紹介 4.課題
    ■概要:本研究はルーマニアにおけるエコツーリズムをめぐる状況・政策・組織・将来性等について概観した上でルーマニア・トランシルヴァニア地方・マグラ村における"グリーン・アントレプレナーシップ"を事例に、エコツーリズムの担い手と地域との関係等を具体的に検討した。今回紹介するドイツ系移民のH&K夫妻は同村内でペンションを営みながら、エコツーリズムの活動を行っている。ペンションやアウトドア活動(山登り等)において、彼らの知見や経歴が生かされ提供される多種多様な活動・サービスは、西欧諸国出身の顧客に受け入れられている。そして彼らが現在マグラ村で行っているツーリズム活動は革新的な諸要素を抽出しながら、ひとつの起業モデルとして提示しうるものあった。なお、彼らの今後の活動は拡大ではなくサービスの多様化と質の充実に向かう計画である。彼らの活動による地元経済への効果など地域コミュニティへの影響は大きいが、残念ながら彼らのことを敵視する住民も少なからず存在し、両者の関係は決して良好とはいえないなどの問題点が見出された。
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  • 中村 努
    334
    公開日: 2017/05/03
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    Ⅰ.はじめに
    南海トラフ地震はこれまで100~150年おきに発生していることから,高知県では来たる地震に向けて,2期にわたって対策行動計画が立てられてきた。これまで,避難路や避難場所,津波避難タワーといった津波避難空間の整備や公共施設の耐震化などの取り組みによって,最大クラスの地震が発生した場合の想定死者数は,2013年5月推計時に比べて大幅に減少する見通しとなった。2016年度から,さらなる二次的被害の縮小に向けて,これまでの「発災直後の命を守る対策」に加え,「助かった命を繋いでいく対策(応急対策)」についても具体化するため,第3期南海トラフ地震対策行動計画が開始された(高知県ウェブサイト)。広範囲の被害が想定されるなかで,今後,津波による長期浸水の恐れのある沿岸部に加えて,土砂災害によって孤立集落になる恐れのある山間部にいかに救援物資を輸送しうるのかが課題の一つとされる。本発表では,高知県を事例に,公助による事前の取組みを概観したうえで,広域流通システムに支えられた高知県における救援物資輸送ルートの脆弱性について考察する。  

    Ⅱ.公助による事前の取組み
    四国においては,南海トラフ地震による道路網の寸断により,災害対応に向けた啓開作業に大きな支障となることが危惧されることから,2015年2月,22の関係機関からなる「四国道路啓開当協議会」が広域道路啓開計画を策定した。同計画内では,瀬戸内側から太平洋側へ優先的に扇形に進行する「四国おうぎ作戦」による道路啓開の実施が盛り込まれた。その進出ルートが8つ選定され,必要人員と資機材算定された。これによって,最寄りのICまで輸送された救援物資は,2016年2月に策定された高知県道路啓開計画に基づいて,防災拠点に向けて道路啓開が行われる。同計画は,市町村と高知県が連携して選定した地域の防災拠点1,253カ所と,高知県が選定した広域の防災拠点40カ所の計1,293カ所について,啓開ルートや啓開日数,啓開作業の手順書,啓開作業にあたる建設業者の割付けなどを定めている。地域の防災拠点のうち,役場や病院,警察署,消防署などをA,学校や福祉施設,ライフライン基地,運動施設,集会所などをBやCと優先順位付けしている。啓開日数の算定においては,最大クラスの地震・津波(L2)を想定していることに加えて,今後行う道路整備対策を織り込んでいない個所があることから,啓開に長時間を要する拠点もある(高知県道路啓開計画作成検討協議会,2016)。そこで,ヘリコプターや船舶による輸送など道路啓開計画を補完する対策も示されている。  

    Ⅲ.発災後の救援物資輸送における山間部の脆弱性
    上記の計画に基づく啓開日数算定の結果をみると,算定結果が示されているのは,現在のところ,広域の防災拠点および地域の防災拠点Aのみである。このうち,前者では40カ所のうち,啓開日数7日超が2カ所,長期浸水のために算定していない拠点が6カ所ある。後者では,293カ所のうち,3日以内に啓開可能な拠点は62.1%の182カ所にとどまり,それ以外の拠点は3日以上を要するか,長期浸水や重機不足によって日数未算定となっている。啓開に時間を要する原因は,長期浸水以外に,落石,崩壊,岩石崩壊,地震や津波による落橋が多くなっている。
    優先順位の高い拠点までの主要路線から啓開される傾向があるため,優先度の低い地域の防災拠点BやCではさらに啓開日数を要する(3日以上)割合が高いことが想定される。道路啓開進捗図を見ると,郡部(いの町本川地区,土佐町,本山町,大豊町)に加えて,足摺岬や室戸方面において多くの啓開日数を要している。こうしたルート上に多い拠点BやCには,平成の大合併によって支所となった旧役場が含まれる。これらの拠点を中心とした地域は急速な人口減少と高齢化を示す山間部に位置している。また,点在する集落では道路の寸断によって孤立する恐れが高いため,各防災拠点に救援物資が輸送されたとしても,拠点からの分荷が叶わない可能性がある。
    これに対して,高知県本山町では,公助の限界を自助や共助でカバーしようとしている。しかし,農村部においても田畑非所有世帯が多くなっており,広域流通に依存している状況がうかがえる。ヘリポートは中心部と周辺部に2カ所設置されている。ただし,道路が寸断されていればやはり孤立集落への陸送は困難である。民間企業5社と救援物資輸送の協定を結んでいるものの,輸送手段が確保できなければ画餅に終わる。主要道路(国道439号)の啓開は県主導で行われ,地元建設業者と協定も結んでいるが,沿岸部で甚大な被害があった場合,山間部への支援が後回しになるとの危機意識が役場にある。救援物資輸送計画の段階で,支援に地域格差の生ずるリスクが内在している。
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  • 永田 玲奈, 三上 岳彦
    P045
    公開日: 2017/05/03
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    日本の日降水量データを使用して,1901~2000年における日本の台風経路について復元を行った.宮崎・大分の8月の日降水量データから東九州に地形性レインバンドをもたらす台風を定義したところ,1951年以降にこのような台風の数が減少しており,これは1951年以降に見られる北太平洋高気圧の南西へのシフトが原因であると考えられる.日本の51地点の気象官署の8月の月降水量と東九州に降水をもたらす台風数との相関係数を算出したところ,台風数と降水に強い相関が見られる地域は1950年以前よりも以降に南西方向にシフトしていることがわかった.このことから,高気圧の変化が東九州付近の台風経路の長期的変化に影響していると考えられる.
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  • 黒木 貴一, 磯 望, 下山 正一, 出口 将夫, 川浪 朋恵
    P001
    公開日: 2017/05/03
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    2016年熊本地震では,熊本平野の熊本市,益城町,御船町等と,南阿蘇町,西原村等の阿蘇山周辺において,住宅やインフラなど地物に多くの被害が生じた。特に布田川断層や日奈久断層近傍では被害は甚大で,そこには地震断層が生じた。建物被害に関しては,益城町にて約2300棟の調査から建物の建築年代や地形から約50m区画別の倒壊率の傾向を分析したものがある。ただ地震断層は,細かく見ると並走する複数本が見られたり,分岐したり,雁行配列したりと様々である。斜面崩壊や側方流動による地盤変動により地震断層に似た亀裂も生じた。また益城町には段丘や火砕流台地の崖や盛土地など50m区画より小さな地形もある。つまり建物被害と地盤条件の関係を検討し記録するには,両者の観察スケールを近づける必要があろう。本研究では,建物被害の多かった益城町を対象に,被害と亀裂を現地調査で様々な項目別に記録し,両者の空間関係を明らかにした。
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  • 辰夫 辰夫, 研川 英征, 吉田 一希
    106
    公開日: 2017/05/03
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    平成28年(2016)4月16日にM7.3の内陸直下型の熊本地震が発生し、地震断層・亀裂、液状化などの地表変状、多数の建物の倒壊が生じた。そこで、被害の集中した益城町市街地から熊本市にかけて地震直後の地形分類図の作成と共に、地震後の空中写真により液状化、亀裂などの地表の変状、建物被害の判読、これらの分布と地形との関係について調査を行った。
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  • 関口 辰夫
    P025
    公開日: 2017/05/03
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    日本海側の山地、特に新潟県では筋状地形やアバランチシュート等の全層雪崩による地形が顕著に発達している。関口(2008)は、新潟県において1/10万縮尺で雪崩地形を調査し広範囲に分布していることを明らかにした。しかし、1/10万縮尺では分布の傾向が把握できるものの概略的分布にとどまり、雪崩対策や雪崩ハザードマップへの応用が十分に活用しやすいとは言い難い。そこで、新たに1/2.5万縮尺の地形図上でより詳細な雪崩地形の分布図の作成を試みた。その結果、1/2.5万縮尺による雪崩地形は、山地斜面や地すべり滑落崖、段丘崖において表現が可能となることがわかった。また、筋状地形やアバランチシュートは、幅や深さ、密集度など様々なタイプにがみられることがわかった。
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  • 山下 潤
    205
    公開日: 2017/05/03
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    本研究では,スウェーデンを対象として環境技術政策による地域的な環境産業と雇用への影響を解明することを目的とした.この点を明らかにするため,パネルデータ分析を用いた.この分析で,固定効果モデルとランダム効果モデルを援用した後,Hausman検定により両モデルの優位性を検討した.Hausman検定の結果,固定効果モデルよりもランダム効果モデルが支持された.パネルデータ分析の結果、グリーン事業所数とグリーン雇用者数の双方でスウェーデン環境技術戦略と投票率の影響が認められた.くわえて一人あたりのGDPがグリーン雇用を増大させる要因のひとつであることも明らかにした.したがって地域的なグリーン成長に関して環境技術政策だけでなく,地域の経済状況や政治環境が影響を与えていたと考えられる.
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  • 和田 崇
    812
    公開日: 2017/05/03
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    本研究は,「映画のまち」と呼ばれる広島県尾道市と映画とのかかわりについての全国的な認知状況,さらに尾道市における映画を活用したまちづくりに対する認識を把握,整理したものである。
    旅行先を決定する際に参考とするメディアについて尋ねたところ(MA),「旅行雑誌」が最も多く(38.3%),「テレビ旅番組」(33.2%),「知人・友人からのクチコミ」(24.3%),「旅行代理店パンフレット」(21.9%)が続いた。テレビ旅番組以外の映像メディアは「テレビCM」が10.1%,「映画」が9.1%,「テレビドラマ」が6.6%となり,一定の情報源となっている状況が確認できた。 これに対して,実際に映画やテレビドラマで映し出された場所や作品の舞台となった場所を観光で訪れたことのある者(フィルム・ツーリスト,以下「FTs」)の割合は回答者全体の38.3%に達した。年齢や性別による違いは確認できないが,近畿と関東以北の居住者,および映画鑑賞本数の多い者ほど,その割合が大きくなる傾向が認められた。FTsのうち直近5年以内にそうした観光を行った者は72.1%で,そのうち90.5%が個人で,14.8%が団体で旅行している。 個人旅行の訪問先をみると,国内では北海道が最多で(25件),長野(9件),東京(8件),京都(6件)などが続いた。北海道は映画「北の国から」「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地を訪ねた者が,長野はNHK大河ドラマ「真田丸」やNHK連続テレビ小説「おひさま」の舞台を訪ねた者が多い。外国のロケ地等を個人で旅行した者も18件と多く,国別にみると,「千と千尋の神隠し」の舞台といわれる台湾,「ローマの休日」ロケ地のあるイタリアを旅行した者が比較的多い。団体旅行でも,個人旅行と同様に,外国(11件)と北海道(6件)を訪ねた者が多かった。
    尾道市が「映画のまち」と呼ばれていることの認知状況を尋ねたところ,「知っている」と回答した者は26.6%であった。年齢性別では40~50歳代の女性が,居住地では中国・四国と関東の居住者が,また映画鑑賞本数が多いほど,「知っている」と回答した者の割合が大きかった。 尾道でロケが行われた映画等(以下「尾道ロケ映画」)を鑑賞したことがある者の割合は59.2%であり,作品別にみると,「時をかける少女(1983年)」が37.3%,「てっぱん(NHK連続テレビ小説,2010年)」が19.0%,「転校生(1982年)」が18.4%,「男たちの大和/YAMATO」が17.3%,「東京物語(1953年)」が10.5%と1割を超えた。年齢別にみると,60歳以上は「東京物語」を,40~50歳代は「時をかける少女」「転校生」などの大林宣彦監督作品を鑑賞した者の割合が大きく,「てっぱん」は年齢の高い女性ほど鑑賞率が高まる傾向がみてとれた。なお,男女とも20~30歳代において尾道ロケ映画を鑑賞したことのない者の割合が他世代と比べて20%以上高い結果となった。また,それらが尾道でロケが行われたことを知っている者は35.9%にとどまった。 次に,尾道市で行われている映画関連活動の認知状況を尋ねると,いずれかの活動を知っている者は回答者全体の14.4%にとどまった。活動内容別にみると,「大林宣彦監督作品ロケマップ」が最多で(6.8%),その他は「おのみちフィルム・コミッション」3.5%,「シネマ尾道(NPO運営映画館)」2.9%,「おのみち映画資料館」2.5%と低率にとどまった。また,「大林宣彦監督作品ロケマップ」を知っている者は40歳代,「おのみち映画資料館」を知っている者は50歳代以上が中心で,20~30歳代はいずれの活動も知らない者が多かった。
    尾道に観光目的で訪れたことのある者は19.2%で,そのうち「映画のまち」と知ったうえで訪れたことがある者は5.4%,「映画のまち」と知らずに訪れたが訪問後にそのことを知った者が3.9%,「映画のまち」と知らずに訪れ訪問後もわからなかった者が9.5%であった。 また,尾道市で開催されれば参加したいと考える映像関連イベントを尋ねたところ,「映画より他の観光施設等を楽しみたい」と回答した者が21.6%と最多であったが,「ロケ地訪問ツアー(マップ配布・個人)」が19.2%,「ロケ地訪問ツアー(ガイド付・団体)」が13.8%,「尾道ロケ映画愛好者による交流会」が10.1%など,映画鑑賞本数の多い者や20~30歳代の女性を中心に,映画関連イベントに対するニーズの存在も一定程度確認できた。
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  • 山科 千里
    S1204
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに トチノキ(Aesculus turbinata)は、9月ごろ日本産広葉樹の中で最も大きいといわれる種子をつける。一母樹あたりの種子生産量は数百~数千個といわれ、これら大量の種子は地域の人びとや野生動物にとって重要な資源になってきた。トチノミはデンプンを豊富に含む一方で、タンニンやサポニンといった苦みや渋みの原因となる二次代謝産物も含むため、採食する野生動物は限られる。これまでの報告では、ネズミやリスによる種子の貯蔵利用や、ツキノワグマによる採食が報告されている。また、稀ではあるがシカによるトチノキの種子や実生の採食も報告されている。 しかし、トチノキの成長過程(種子散布・捕食、実生の生存)を通じた野生動物の影響については十分明らかになっていない。さらに,近年本調査地では地域の人びと「トチノミが採れなくなった」と訴えており,人びとのトチノミ利用にも変化がみられる。以上から,本研究は、滋賀県北西部朽木谷のトチノキ巨木林におけるトチノキの更新への野生動物の影響を明らかにすることを目的とした。 2.調査方法 ①トチノミが結実し落下を始める9月にトチノミを25個ずつ設置した実験区を12ヶ所設置し、赤外線自動撮影カメラを用いてトチノミを捕食する動物を撮影した(2012年実施)。 また,トチノキの実生および自然落下した種子を採食する動物を明らかにするため,②トチの実生が出現する5~7月に7個体の実生に、③8~9月にはトチの結実木下1個体に赤外線自動撮影カメラを設置し、訪問動物とその行動を観察した(2014年実施)。 3.結果と考察 調査の結果、①の実験区では種子を設置した5日後には約9割、1ヶ月後には全てのトチノミが消失した。この間、カメラにはアカネズミのみが撮影され、アカネズミがトチノミの種子を持ち去る様子が何度も記録されていた。②のトチノキの実生調査では、観察したすべての実生は7月の終わりまでに枯死した。この間、アカネズミが頻繁にカメラに記録され、実生を掘る・実生に登る・実生の葉を齧るなどの行動がみられた。③のトチの結実木下では、シカ・アカネズミ・イノシシ・ニホンリス・アナグマ・カエルなどが観察されたが、ここでは、シカがトチノミを頬張って食べる様子が記録されていた。 以上から、朽木谷においてトチノキの種子や実生はアカネズミの影響を大きく受けていた。アカネズミはその場でトチノミを採食せず持ち去るため、どこかに貯蔵したことが考えられるが、ネズミによるトチノミの種子散布はトチノキにとって有効な指向性散布にならないことが指摘されている(Hoshizaki et al. 1999)。また、本研究ではシカによるトチノミの採食が確認された。シカはトチノミを噛み砕いて採食したため、トチノキにとっては種子捕食者と考えられる。今後、各動物種のトチノミの採食量や野生動物がトチノキの更新等に与える影響を明らかにしたい。   Hoshizaki, K., Suzuki, W. and Nakashizuka, T. 1999. Evaluation of secondary dispersal in a large-seeded tree Aesculus turbinata: a test of directed dispersal. Plant Ecology 144: 167-176.
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  • 中川 清隆, 渡来 靖
    632
    公開日: 2017/05/03
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    Ⅰ.はじめに

    図1は埼玉県本庄市において観測された2012年8月静穏晴天日平均の地上気温と気圧の日変化とWRFによるその再現結果である.太陽同期大気熱潮汐と思われる特徴的な気圧日変化が良く再現されている.熱圏や成層圏オゾン層で励起された慣性重力波のうち半日周期成分のみが地上まで伝播されて出現するとされる大気熱潮汐が,地表面非断熱加熱により生じる可能性について考究したので,その結果の概要を報告する.

    Ⅱ.地上気圧日変化調和項の誘導

    地表面熱収支式と大気熱拡散方程式から,地上日射調和項に応答する地上気圧摂動調和項が地上日射調和項に比例することが導かれ,比例定数と位相差も導かれた.地上全天日射調和和項に応答して地上気温調和項が形成され,更に地上気圧調和項が出現する.地上全天日射調和項は1日周期成分が卓越し半日周期成分がこれに次ぐが,半日周期成分は冬至に最大で夏至に最小となる.

    Ⅲ.誘導地上気圧日変化と測定値の比較

    図2は冬至における地上気圧日変化の予測である.6時に最大18時に最小となる一日周期,9時と21時に最大3時と15時に最小となる半日周期が重なり,合成波は7時半に最大16時20分に最小となる一つ山変化を示し図1のような二つ山変化は示さない.一日周期振動の振幅に比べて,半日周期振動の振幅が過小である.この事実は,本モデルが高次の調和項の減衰率を過大評価している可能性もあるが,本モデルが考慮していない他の付加的要因の可能性として,対流圏水蒸気に励起された半日周期慣性重力波の垂直伝播や,拡散係数等の諸パラメータの日変化,移流や地形効果等が示唆される.



      
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  • 森 泰規
    821
    公開日: 2017/05/03
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    「地ブランドなるもの」
    昨今筆者に対して寄せられる「地ブランド」関連の相談においては、多少懸念すべき事案が多い。「ブランド」を創ることで得たい効果は、〈より高く売れる〉(「価格プレミアム」)か、〈リピート購入の対象になる〉(「顧客ロイヤルティ―」)のいずれかを果たすこと。多くの「地ブランド」に関する相談は、いずれかを志向し、構想は誤っていないのだが、運用方針に課題を感じる。    

    価格プレミアムが成り立つ顧客構造を創れるか
     こうした相談がある際、筆者が最初に質問するのは、株式会社スミフルジャパンについてである。およそ5本で100円前後(200円/kg)のバナナが流通する今日に、同社の「甘熟王ゴールドプレミアム 」は3パック1単位(710g×3) 1296円(617円/kg)[i]つまり、3倍超の最終価格で事業展開する。それでも納得して費用を払う顧客がいて、「一度食べたら忘れられない」という。ブランド化しようとする作物にはこうした顧客構造が成り立つか。そうでない場合、プレミアム戦略はやはり採り難いだろう。  

    リピート重視型成功例 「萩しーまーと」
    次に筆者がお話しするのは、地元での消費構成である。地元の人たちが毎日買って飽きないものか、観光客相手の「土産物」を超える定着度合いがあるか、ということである。そこでの好例は知り得る限り「萩しーまーと」である。「ライバルは地元のスーパー」と銘打ち、スーパーの店頭に並ばない珍しい魚を、対面販売で接客する。面白い、毎日行っても飽きないお店造りが、リピーターを呼び年間売上高は約10億円と全国の道の駅でもトップクラスだ[ii]。 多くの地ブランドは、「萩しーまーと」を参照した戦略立案、すなわち地元でのリピーター拡大に注力した方向性を模索するが好ましいのではないだろうかと考える。

    備考:「価格プレミアム」と「顧客ロイヤルティ―」
    前者についてはBendixenら (2004)[iii]が南アフリカの弱電機器業界で購買決定者における6-14%の価格プレミアムを実証するなど幅広く実証例がある。また、後者はバイヤーによる味・材質などの「機能」と「ブランド力」評価、(来店客の)「リピート購入率」とを対比させると[iv]、ピアソンの積率相関係数(r)、およびその有意差検定値(p)において次のような相関関係が示される。

    カテゴリー(掲載日) rp
    ぽん酢しょうゆ(20161128) 0.967970 0.000001
    機能性ヨーグルト(20161024) 0.887636 0.000280
    ウイスキー(20150913) 0.822318 0.002188
    焼酎(20161113) 0.796183 0.003963


    [i] 同社サイトより http://www.sumifru.co.jp/ 参照 2017/1/4
    [ii] 『事業構想』2015年5月号 事業構想大学院大学発行 駅長中澤さかな氏のインタビュー記事を参照
    [iii] Bendixen, M.et al. (2004). “Brand equity in the business-to-business market.” Industrial Marketing Management33(5), 371-380.
    [iv]日経リサーチ社が定期的に日経MJ 紙上で公開しているスーパーマーケット等の買付担当者にきく「バイヤー調査」を参照して算定。対象社約130-200 社程度。ここで代表的なものを掲げたがほぼ全体に渡る傾向と判断してよい。
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  • 村越 真
    S0407
    公開日: 2017/05/03
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    旧来からの登山に加え、最近ではトレイルランニングやロゲイニング,OMMなど、フィールドを使った様々なスポーツが登場し、山の利用が多様化された。1990年代後半から山岳遭難は漸増を続けているが、利用の多様化に伴い、かつてのように登山組織で教育を受けながらリスクに対する考え方やスキルを学ぶというリスクマネジメントが機能しなくなっている。そのため、自然のリスクに対して無頓着な状態で山に入り、軽微な原因で救助要請する遭難が増えていることが指摘されている。また、近年では山岳スポーツのエキストリーム化に伴う事故の増加も懸念されている。本発表では独自の収集による警察庁の山岳遭難概況の詳細分析などを踏まえ、リスクという視点から山岳スポーツの状況を概観すると同時に、山岳での活動における組織的なリスクマネジメントに加え、個人の能力としてのリスクコンピテンシーの重要性とその啓発・教育の方向性について議論する。
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  • 櫛引 素夫, 阿部 康平, 荒川 弘哉, 倉岡 優樹, 柴田 恵佑, 鈴木 拓真, 對馬 有希, ソナム ギャルモ
    618
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに-本発表に至る経緯と目的
    発表者は2013年以降、青森大学が所在する青森市南郊の幸畑団地において、住民との交流をベースとしつつ、教育・研究・地域貢献活動を一体化させた「幸畑プロジェクト」に従事してきた。櫛引(2016a)においては、青森市におけるコンパクトシティ政策の現状と郊外の空き家問題に関する論点整理を試み、コンパクトシティの概念が内包してきた多様性や曖昧さを克服できず推移したこと、市中心部の商業施設アウガの再生問題が混迷を極めて、政策としての説得力が失われつつあることを指摘した。他方、幸畑団地においては、総体として人口減少と高齢化が進みながらも、住民のコミュニティ活動が活発化しており、住宅を新築して転入する人々も存在することを検証して、櫛引(2016a)、櫛引(2016b)などで報告してきた。
    本発表においては、次の3点を中心に、幸畑団地の現状と住民活動を報告するとともに、今後の方向性について検証および考察を試みる。
    ①住民による空き家問題の調査・検討状況
    ②学生と住民組織の協働による転入者の調査試行
    ③住民が主体となり、大学の地域貢献活動と連携した、地域課題の把握および解決への体制づくり

    2.住民の取り組み
    幸畑団地地区は2014年7月、町会連合会など住民組織と青森大学を母体として「まちづくり協議会」を発足させ、「空き家対策」を最重点課題の一つと位置付けてきた。発表者が2013年末に実施した悉皆調査を起点に、空き家活用法を検討する「空き家で空き家シンポジウム」開催(2014年~)、およそ半年にわたる空き家借り上げと活用試行(2015年)を展開した。
    2016年度は、青森県おいらせ町や岩手県遠野市の住民組織が視察に訪れ、学生を交えて意見交換を行った。また、コミュニティ強化の契機づくりと、空き家活用の実態把握を目的に、青森大学と協働で、後述する転入者のアンケートを実施した。
    注目すべきは、町会単位で「空き家マップ」の作成が始まり、実践が拡大したことである。団地内に存在する9町会のうち、まちづくり協議会の拠点となっている店舗(美容室)が所在する阿部野町会(約400世帯)は、会計担当者が2016年に交代した。この際、新任者は独自の判断で、住宅地図を活用した「空き家マップ」を作成した。限られた時間と体力で、町会費を効率的に集めることが目的だったという。マップは月ごとにバージョンアップされ、まちづくり協議会にも共有された。さらに、公営住宅地区を除く各町会にもノウハウが共有され、作成が始まっている。
    上記の経緯は、空き家問題を「不動産問題」、あるいは「危険建築物問題」としてではなく、あくまで「コミュニティ問題の一環」として捉えることの重要性を示唆しているように見える。

    3.大学と住民組織の協働による調査試行
    発表者は、担当する「社会調査実習」のフィールドに幸畑団地を指定し、学生とともにフィールドワーク、まちづくり協議会の上記活動の参与観察などを行ってきた。さらに、まちづくり協議会の協力を得て、阿部野町会有志と学生が協働で、転入者に対するアンケートを実施した。対象は、近隣の人々が「過去5年程度の間に転入してきた」と認識している一戸建て住宅の世帯とし、調査票は市民協働推進課の助言も得て学生と住民が作成した。原則として、住民と学生が肩を並べて、調査票を直接、対象者に手渡しした。
    配布対象は36世帯、うち回答が24世帯と小規模な試行にとどまり、回収率も7割弱だったが、回答者のうち10世帯が新築で転入、4世帯が中古住宅をリフォームして転入、同じく4世帯が中古住宅をリフォーム抜きで購入するなど、興味深い実態が明らかになった。幸畑団地を選んだ理由は「土地が安い」「自然災害がなさそう」「中古の売り家が安く良質」といった項目が上位を占めた。「可能な限り住み続けたい」と答えたのは17世帯、転出希望を抱いているのは2世帯、「今は何も考えていない」が5世帯だった。

    4.展望
    一連の調査は試行段階で、今後、悉皆調査を視野に、団地の一戸建て全域で調査を継続予定である。現時点では、住民組織と大学の協働、教育・研究・地域貢献の融合の点で、非常に有益かつ効果が高い取り組みとみている。他方、「空き家」の定義、指標については住民側も模索段階にある。 なお、青森市は2016年11月に新市長が誕生し、都市政策の行方と地域への影響が注目される。

    ◇参考文献
    櫛引素夫(2016)「コンパクトシティ政策と郊外の空き家問題-青森市の事例からの論点整理」、青森大学付属総合研究所紀要、17(2)、pp.26-42

    ※本研究はJSPS科研費15H03276(由井義通研究代表)の成果の一部である。
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  • 田林 明
    S1301
    公開日: 2017/05/03
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    商品化する現代の農村空間 現代の農村空間では、生産空間という性格が相対的に低下し、消費空間という性格が強くなってきている。このような状況を、「農村空間の商品化」の進行とみなすことができる。報告者らはこれまで日本における農村空間の商品化の性格と地域差、さらには、それが地域活性化に果たす役割を検討してきた。また、様々な形での農村空間の商品化が進んでいるカナダのブリティッシュコロンビア州において、農村空間の商品化がいかなる形態で、どのように進み、その特徴はいかなるものであるかを調査してきた。このシンポジウムは、日本およびカナダ・ブリティッシュコロンビア州における事例調査結果にみる農村空間の商品化の諸類型とその特徴をてがかりに、それが地域活性化にどのように結びつくか、そのためにはどのような条件が必要であるかを考えることにする。

    農村空間の商品化の諸類型 現代の日本では様々な形の農村空間の商品化がみられるが、おおまかに分類すると(1)農水産物の供給、(2)レクリエーション・観光、(3)農村居住、(4)農村の景観・環境の維持と社会・文化の評価を通した生活の向上、といった四つに分けることができた。現実にはこれらの類型は、すべての地域で混在しているが、あえてその地域差を強調すると、大都市周辺の農村居住とレクリエーション・観光、主要平野の農産物供給、山地や海岸の既存の観光地を中心としたレクリエーション・観光、そして広大な山地におけるポテンシャルとしての景観・環境の維持およびレクリエーション・観光といった配置が指摘できた。ブリティッシュコロンビア州にも上記の四つの商品化類型があてはまると考えられ、広大な山地や非農業地域はポテンシャルとしての景観・環境の維持やレクリエーション・観光によって特徴づけられ、人口集中地域から離れたピースリバー地域やトンプソン・カリブー地域は農産物供給、オカナガンバレーはレクリエーション・観光で特徴づけられる。しかし、バンクーバー島南部やフレーザー川下流平野では、様々な類型が狭い範囲に混在し、相互に関連しており、単純にそれぞれを特徴づけることが困難である。

    農村空間の商品化による地域活性化の可能性 農村空間の商品化は、農業や漁業、観光など、地域の産業を維持したり発展させたりするという側面をもっている。また、地域資源の活用や地域社会の維持にかかわっている。産業の発展や地域社会の存続の多くは、外部の人々とのかかわりを前提としている。それらは主として都市住民への農産物の供給や都市住民の農村居住、レクリエーション・観光であることが多い。それだけではなく、農村空間の商品化は地域住民の誇りや地域に対する愛着を醸成し、それによって地域社会を存続させるといった方向もある。しかし、農村空間の商品化による過度な観光化によって農村社会が変質し、崩壊の危機にいたっている事例など、ネガティブな側面、すなわち問題点や限界についても指摘されている。

    このシンポジュウムでは、まずカナダのフレーザー川下流平野における消費者と直接結びついた多様な農村資源の活用、バンクーバー島のカウチンバレーにおけるスローフード運動、さらにはオカナガンバレーのワインツーリズムなどによる農村空間の商品化の事例を取り上げる。そして、カナダと日本の両方について、特に大都市住民による農村資源の消費の仕方を検討し、今度は日本における大規模な野菜生産地域における食料供給機能、果樹地域の観光機能、農業の六次産業化の事例を取り上げる。これらを通して、農村空間の商品化が地域活性化に果たす役割とその可能性について検討する。
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  • 田林 明, 仁平 尊明, 菊地 俊夫, 兼子 純, ワルデチュック トム
    S1302
    公開日: 2017/05/03
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    研究の課題 現代の先進諸国では農村空間の消費が活発になっており、これを「農村空間の商品化」として捉えることができる。この報告では、カナダのブリティッシュコロンビア州のフレーザー川下流平野において、農村空間の商品化によって地域活性化がどのように行われているかを明らかにする。フレーザー川下流平野はバンクーバーの中心部から東に120kmにまで広がる細長い地域で、州全体の6割に当たる290万の人口が集中し、農業の生産性が高い一方、食料生産をはじめ農村居住、レクリーション・観光、農村景観や自然環境の保全活動など様々な農村空間の商品化がみられる。その中で都市住民が農村空間を消費することが明瞭にわかる形で展開している、ファーム・ダイレクト・マーケティングとファーマーズ・マーケット、サークル・ファーム・ツアーを取り上げる。

    農村空間の商品化を示す三つの活動 バンクーバー大都市圏を中心とした住民は、様々な形で周辺の農村資源を消費している。その一つにファーム・ダイレクト・マーケティングがある。これは農場経営者が農場を訪れる顧客に農産物やその加工品を直接販売したり、農業や農村に関わるサービスを提供することである。このような農場が、フレーザーバレー・ダイレクト・マーケティング協会を組織している。加入農場は2016年で80である。これとともに、市街地の公園や広場、街路で、土曜もしくは日曜を中心に週1回、主として5月から10月頃まで、20から60程度の出店によって開催されるのがファーマーズ・マーケットである。衣類や工芸品、加工食品、観葉植物などを生産者が販売する店もあるが、主要なものは地元の農場による野菜や果実、酪製品、肉、卵などの販売店である。フレーザー川下流平野には2016年には34のファーマーズ・マーケットがある。ダイレクト・マーケティングを行う農場やファーマーズ・マーケットなどとともに、ワイナリーやレストラン、ガーデンセンター、博物館・史跡・名所などを含む農村観光名所を10~20ほど、一つの地方自治体の範囲で観光協会などが選択し、観光客が自分で訪問できるようにルート図で示したものが、サークル・ファーム・ツアーである。これはフレーザー川下流平野独特のもので、アボッツフォード市やチリワック市の範囲で設定されたものを含めて五つのプログラムがある。それらが共同で宣伝することで、農業のすばらしさや食と健康のあり方、農村の魅力を訪問客に喚起し、農産物や様々の農村の生産物の直売を促進している。

    農村空間の商品化による地域活性化 上記の三つの活動によって、訪問者である都市住民は農村景観を楽しみ、地元産の新鮮で安心・安全な農産物を入手し、都市化社会になって失われた友好的な雰囲気やつきあい、生活姿勢にふれることができる。都市住民にとって、短時間で非日常性を体験できるまたとない機会である。農村住民にとっても、農産物やその他の商品の直接販売によって収益を得るとともに、訪問者と接することで自分たちの農業や生活姿勢に誇りをもつことができる。その一つである農産物直売農場では、5haほどの農地でホウレンソウやブロッコリー、キャベツ、トマトのほか多種類の野菜とラズベリーやブルーベリーなどを無農薬・有機栽培で生産し、農場内の直売所で多くの訪問者に販売している。その経営者は地元の高等学校で物理の教師を8年間していたが、安全・安心の食料の安定供給、農民としての生き方に意義を見出し、農業を開始した。このような新規に参入する農民が少なくないこともあって、カナダの一般的傾向とは逆に、フレーザー川下流平野では近年農場数も農地面積も増加している。
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  • 谷 謙二
    721
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    筆者は,1993年以来25年にわたってGISソフトである地理情報分析支援システム「MANDARA」(谷 2011)の開発・公開を続けてきた。現在では日本国内において、地理学などの研究、教育、行政、ビジネスなど多方面で活用されている。当初はNECのPC-9801専用で、MS-DOS上のN88-BASICで動作していたが、1996年にはVisual Basic4.0を用いたWindows95版に移行し、さらに1999年にWindows98に対応したVisual Basic6.0(以下VB6)にプログラムを移行した。
    2000年以降は、時間属性の付加(2002年)緯度経度の地図ファイルへの対応(2007年) 、集成オブジェクトの作成(2008年)等、様々な機能を追加してきたが、開発言語はVB6のままであった。しかしMicrosoftは2002年からより汎用性のある.Net Frameworkを利用し、オブジェクト指向言語であるVisual Basic .NET(2002,2003,2005,2010,2013,2015、以下VB.NET)へと移行した。VB6とVB.NETは互換性が小さく、また当初は使い勝手が悪かったため、プログラムの移行はとどめていた。しかしVB2005以降は改良により使いやすくなり、またVB6の統合開発環境がWindows7以降サポートされなくなり、開発の継続が困難となってきた(ただしVB6で開発されたソフトはWindows10でも動作する)。
    そこで2013年10月より、VB6版MANDARA9.45を、VB.NET版MANDARA10(以下10)へと移行する作業を開始した。長期にわたり機能を追加してきたVB6版は、プログラム構造が複雑化しており、今後の拡張のためには一から作り直す必要もあった。移行作業開始から3年後の2016年11月にMANDARA10試作版を公開した。本ソフトはWindows PC上で動作し、.Net Framework4.5以上が必要である。本報告では10の特徴と新機能を紹介する。

    2.MANDARA10の特徴
    VB6版では、地図データを保持する変数、および属性データを保持する変数がどちらもモジュールレベルでグローバル変数として宣言されており、1つの地図データ、1つの属性データしか同時に処理できなかった。しかし10ではそれぞれのクラスに分離され、同時に複数のデータを扱うことができるようになった。たとえば従来MAPタグでは1つの地図ファイルしか指定できなかったが、10では複数の地図ファイルを指定し、レイヤごとに地図ファイルを使い分けることができる。
    地図データの構造については、VB6版でもオブジェクトの構成要素に時間属性を付与し、時間による変化を保持できた。10ではさらに初期属性に対しても時間属性を付与できるようになり、時間的変化を完全に記録できるようになった。
    点形状オブジェクト、メッシュオブジェクトについては、VB6版では地図ファイルにオブジェクトを作成する必要があった。10では、MANDARAタグにおいてレイヤの種類を地点定義レイヤ、メッシュレイヤと指定することで、地図ファイルにオブジェクトを作成する手間を省いてデータを読み込み、地図化することができる。このように最短の手順で目的とする主題図を描画できるよう、改善がなされた。
    データの表示方法では、単独表示モードにおいて棒の高さで数値を示す方法や文字で示す方法を追加し、グラフ表示モードでは、設定データ項目の最大数の制限をなくした。また設定画面ではグラフィカルなアイコンを使用し、表現方法を選択しやすくした。
    移動表示モードでは、VB6版では滞在地点の指定に地図ファイル中のオブジェクトを使う必要があったが、10では緯度経度指定できるようになった。そのため、GPSの軌跡ログを記録したGPXファイルからデータを直接取り込むことができるようになり、より幅広く活用できるようになった。
    このように機能は大幅に拡張されているが、VB6版で作成した地図ファイルや属性データファイルも大部分そのまま読み込めるので、VB6版から10への移行は容易である。ダウンロードおよび質問・意見はWebサイトで受け付けている(http://ktgis.net/mandara/)。

    文献
    谷 謙二 2011.『フリーGISソフトMANDARAパーフェクトマスター』古今書院.

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  • 山口 幸男
    806
    公開日: 2017/05/03
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    「地理教育の目標は地理的見方考え方の育成である」という見解が今日流布し、地理教育とりわけ地誌学習は歪められつつある。本発表では、昭和33年版中学校学習指導要領から次期中学校学習指導要領(平成30年頃)に至るまでの「地理的身方考え方」に関する記述を取り上げ、「地理的見方考え方」が如何に地理教育(地誌学習)を歪めるに至ったかについて考察する。 
     
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  • 杉浦 直
    531
    公開日: 2017/05/03
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    「エスニックな地理空間」の生成・変容に関する近年の文化・社会地理学的研究においては、実体的な地域形成過程の分析のみならず、表象的次元を重視した「場所の構築(place-making)」の概念と絡めて議論される傾向が強い。本発表においては、1)「エスニックな場所の構築」過程の概念とその類型(カテゴリー)を考察した上で、2)アメリカ(カナダを含む)の近年の地理学におけるエスニックな場所の構築を論じた研究事例をいくつか取り上げ、その議論の内容を紹介する。 そして、3)上記の事例から浮かび上がる主要な論点と新たな認識を整理・考察して、近年のアメリカにおけるplace-makingの動向・本質の考察深化に寄与したい。
    「エスニックな場所の構築」とその類型
     「エスニックな場所」の構築には、通常の人口や施設の集積過程のみならず、そこをエスニックに「意味付け」する表象的な過程が必須である。このエスニックな意味付与とその強化の過程を含めて、「エスニックな場所の構築」と呼びたい。この「エスニックな場所の構築」には、2つの基本カテゴリー;Ⅰ:エスニックな場所そのものの新たな生成・構築 、及び、Ⅱ:既存のエスニックな場所におけるエスニシティの再活性化・再発見(エスニックな場所の再構築)を想定し得る。
    アメリカ地理学における「エスニックな場所の構築」研究の事例
     ここでは、近年のアメリカやカナダにおけるエスニック都市空間の動態的研究のうち、特に「場所の構築」の視点を強調した8つの研究事例を検討する(詳細省略)
    考察―上記事例から抽出される認識
     1)「場所の構築」過程の本質:場所(place)は、シンボルが空間に積み重ねられることによって特別な意味を付与された空間(事例5)であり、単なる文化的生産物ではなく、ある文化的モデルを使用した文化的(再)生産物 である(事例1、7)。その構築は、特定の文化的文脈の下で理念的景観が創り出される過程であり、多様なフィジカルかつ象徴的な方法で、自らの場所が創りあげられている。 また、場所の構築は二元的性質をもち、ロカリティが構築されるのみならず、それによって社会や文化も構築される。2)表出文化とエスニシティの真正性:近年の「エスニックな場所」における表出文化やそのエスニシティは、商業やツーリズムの振興策と結びついたとき、もはや通常の意味でオーセンティックとは言えない。しかし、住民の意識には真正性へのこだわりが強く見られる。それは「演出された真正性」であり、交渉され異化された真正性であると解釈できる(事例6、7)。3)「ストレス‐シンボル化過程」:多くの事例において、シンボリックな構造の創出を通してストレスが緩和される過程が観察される。また、その過程はRowntree and Conkey ,1980, A.A.A.G., 1980, 70-4, 459-474.)によって提唱された「空間的ストレス-シンボル化過程」のモデルに適合する傾向が強い。

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  • 宮城 豊彦, 内山 庄一郎, 渡辺 信
    731
    公開日: 2017/05/03
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    沖縄県西表島の大規模なマングローブ林を対象に新しい技術と分析手法を用いて、地生態系の形成過程を分析する可能性を検討した。
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  • 秋本 弘章, 秋本 洋子, 伊藤 悟, 鵜川 義弘
    719
    公開日: 2017/05/03
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    フィールドワークにおけるARシステム活用の意義 高校地理教育においてフィールドワークは重要であることは言うまでもない.しかし,効果的な実施ができていないという報告がある.10人程度の少人数であればともかく,クラス単位や学年行事として実施をする場合,フィールドで適切な指示が難しいからである.スマートフォンによるARシステムは,フィールドで,実際の地理的事象を観察しながら,その地理的背景の探求や理解を助ける情報を提供するものである.このようなAR機能をもつGISが教育現場に提供できれば,野外観察をより効果的に実施することができる. そもそもARシステムは,スマートフォンやタブレット端末での利用を前提に開発されてきた技術である.これらの端末が広く普及すれば,ARは容易に利用できることになる.ここ数年におけるスマートフォンの急速な普及は誰もが認識している通りである.実践を行った早稲田高校においてもほとんどの生徒が所有し,日常的に利用していため,新たなアプリを使うことに対しても抵抗感はほとんどななかった.なお,校内においては通常スマートフォンの利用は禁止している.学習活動に利用するという目的で時間と場所を限って許可を与えて行った. 教材の開発と実践 教材の開発は,昨年の春から行った.グループ学習という前提であるため,グループで見学コースを決めてまわることができるように,多数の観察ポイントを用意した.具体的には都内の100個所以上の見学個所として,質問項目を作成した.これらの質問項目は,Google Mapsのマイマップの機能を使って登録したうえで、AR機能を持つアプリであるWikitudeに書き込んだ. 授業実践は,早稲田高校1年生を対象に行った。従来関西研修旅行の予行として都内近郊でグループ学習を行っていた時間を使った.全体集会においてスマートフォンのアプリの利用方法等を伝えるとともにHRの時間を使ってグループワークのコースを作成させた。そのうえでフィールドワークではARシステム等を使って,スマートフォン上に提示される観察ポイントをめぐり,観察ポイントごとに示された課題を回答する.フィールドワーク終了後,江戸から東京への変遷、地形的特色などをまとめたレポートを提出させた. 授業実践の効果 早稲田高校の生徒は,中学校の社会科地理の時間に学校周辺の引率型のフィールドワークを経験している.また,理科の授業でも野外観察も行っている.そのため,「教室の外」での学習が効果的なことを理解していたようである.また,スマートフォンを使って観察ポイントを探すという方法は「ゲーム感覚があり,楽しかった.」と好評であった.しかし,生徒は東京およびその周辺在住していながら,観察ポイントのほとんどを訪れたことなかったと回答している.その意味でも大きな意義があったと思われる.また,引率を担当した学年の先生方からも,生徒がグループで協力しながら学習を進めている姿に好意的な感想が寄せられた.観察ポイントについても,新たな東京の姿を発見できたなど高い評価を得た.もちろん,改善点もある.システム上の問題としてはWikitudeが古い機種のスマートフォンでは作動しないことである.また,当時の我々の技術では写真等を載せることができなかった.実践上の問題としては、時間内の回ることができなかったグループが多かったことである。見学範囲,見学個所の整理が必要かもしれない.
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  • 山本 晴彦
    S1505
    公開日: 2017/05/03
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    軍用気象学への認識の高まりを受け、軍用気象会が昭和5年に設立されたが、陸軍の砲工・航空の両学校では必要に応じて(陸士卒)を中央気象台に短期派遣し、気象に関する講習を受講させていた。昭和6年からは、陸軍航空本部に教室を整備し、近接する中央気象台に依嘱して気象勤務要員の養成が行われた。第1・2回(昭和7・8年)各8名(大尉・中尉)が修学し、戦中期の陸軍気象部の中核を担う人材が養成された。
    昭和10年8月、陸軍砲工学校内に附設の気象部が設立され、軍用気象学をはじめ、軍用気象勤務、気象観測、気象部隊の編成・装備・運用等の研究、軍用気象器材の研究・検定、兵要気象の調査、気象統計、兵要誌の編纂、気象要員の養成が主な業務であった。武官の職員には、武や古林などの気象勤務要員の教育を受けた将校も携わった。外部から気象学、物理学、数学関係の権威者を専任教官として講師に任命した。第1期生(昭和11年)は、荻洲博之、田村高、夕部恒雄、泉清水、中川勇の5名が入学し、修了後は気象隊、関東軍司令部、陸軍気象部、南方軍気象部等に派遣された。第2期生(昭和12年)も久徳通夫高他5名、第3期(昭和13年)は蕃建弘他4名の大尉や中尉が連隊等から派遣されている。
    昭和13年4月、陸軍気象部令が公布され、陸軍砲工学校気象部が廃止されて陸軍気象部が創設された。「兵要気象に関する研究、調査、統計其の他の気象勤務を掌り且気象器材の研究及試験並に航空兵器に関する気象器材の審査を行ふ」と定められ、「各兵科(憲兵科を除く)将校以下の学生に気象勤務に必要なる学術を教育を行ふ」とされ、「必要に応じ陸軍気象部の出張所を配置する」とされた。組織は、部長以下、総務課(研究班、統計班、検定班を含む)、第一課(観測班、予報班、通信班)、第二課(学生班、技術員班、教材班)で構成され、気象観測所、飛行班も設けられた。ここでも、陸軍砲工学校気象部の出身者が班長を務め、嘱託として中央気象台長の岡田武松をはじめ、気象技師、著名な気象学者などの名前も見られ、中央気象台の技師が技術将校として勤務した。戦時下で企画院は気象協議会を設立し、陸軍・海軍と中央気象台・外地気象台の緊密な連繋、さらには合同勤務が図られた。昭和16年7月には、陸軍中央気象部が臨時編成され、陸軍気象部長が陸軍中央気象部を兼務することになり、昭和19年5月には第三課(気象器材の検定等)が設けられた。さらに、気象教育を行う部署を分離して陸軍気象部の下に陸軍気象教育部を独立させ、福生飛行場に配置した。終戦時には、総務課200名、第一課150名、第二課1,800名、第三課200名が勤務していた。
    陸軍気象部では、例えば昭和15年には甲種学生20名、乙種学生80名、甲種幹部候補生92名、乙種幹部候補生67名に対して11カ月から5か月の期間で延べ259名の気象将校の養成が計画・実施されていた。また、中等学校4年終了以上の学力を有する者を採用し、昭和14年からの2年間だけでも675名もの気象技術要員を4か月で養成する計画を立て、外地の気象隊や関東軍気象部に派遣していた。戦地拡大に伴う気象部隊の兵員補充、陸軍中央気象部での気象教育、本土気象業務の維持のため、鈴鹿に第一気象連隊が創設された。昭和19年に入るとさらに気象部隊の増強が急務となり、第二課を改編して前述した陸軍気象教育部を新設し、新たに航空学生、船舶学生、少年飛行兵の教育を開始し、気象技術要員の教育も継続された。養成された気象将校や気象技術要員は、支那に展開した気象部(後に野戦気象隊、さらに気象隊に改称)をはじめ、外地に展開した気象部隊に派遣された。
    第一課では、兵要気象、気象器材の研究・考案・設計、試作・試験が行われ、気象観測所の開設や気象部隊の移動にも十分に耐え得る改良が求められた。第二課では、高層気流・ラジオゾンデ観測と改良、ガス気象観測、台湾での熱地気象観測などが実施され、中央気象台や海軍の水路部などの測器との温度器差も測定された。さらに、気象勤務教程や気象部隊戦闘規範を作成して気象勤務が詳細に定められ、現地で実施されていた。陸軍気象部では作戦用の膨大な現地気象資料、陸軍気象部月報、現地の気象部隊でも各種の気象資料や気象月報が作成されていた。
    終戦により膨大な陸軍気象部や気象部隊の書類・資料は機密保持の目的で大部分が焼却された。連合軍司令部は陸軍気象部残務整理委員会を立ち上げ、陸軍気象機関の指揮系統・編成、気象部隊の分担業務、気象器材の製作会社、陸軍気象部の研究調査内容、陸軍と海軍における気象勤務の協力状況、中央気象台との関係、さらには予報の種類、観測・予報技術など120頁にわたる報告書を作成させた。なお、終戦時に内地・外地に展開していた気象要員の総数は2万7千名にも達していた。
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  • 瀧本 家康
    134
    公開日: 2017/05/03
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    阪神大震災から21年,そして東日本大震災から5年が経った.神戸の市街地は震災から21年を経て建物等の復興は進んだ.一方,仙台を含む東北地方の被災地では,復興が停滞し,住民が政府へ復興の加速を願っている地域もまだ多く残されている.
    そこで,神戸大学附属中等教育学校では2015年度より神戸と仙台の被災地間の交流を始めた.2016年3月に震災遺構を軸としたフィールドワークを実施した.
    本発表では,その概要と成果について報告する.
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  • 伊藤 悟, 鵜川 義弘, 齋藤 有季, 久島 裕
    718
    公開日: 2017/05/03
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    AR(Augmented Reality;拡張現実)とは、目の前の事物に関わる追加情報を、モバイル機器を通じて提供する技術・概念である。そのうち位置に基づいて情報を付加する位置情報型ARを、地理教育等に応用することをテーマに、発表者らは2014年春以降、日本地理学会学術大会の場において同タイトルのもとシリーズで5件の発表を行い、さらに2016年春にはシンポジウム1)も開催した。それらに続く本発表では、この1年間の進展として、新たなARシステム利用の試みについて報告する。

    従前、ドイツmetaio社(当時)提供のARシステムであるjunaioを利用してきたが2)、同社の大手IT企業による買収に伴いサービスが終了したため、新たなARシステムを開拓する取り組みの一つとして、オーストリア企業が開発・提供するWikitudeの活用を試みた。そのARブラウザはjunaio同様、フリーであり、目前の景観にタグを付加した画像を表示する。地図や航空写真上でのタグ表示も可能であり、タグを通じて当該事物の情報に接続する。junaioと比べて、機能面で不足がある一方で、自前のデータ・サーバ構築が不要なことや、Google Mapsの使用し、事物の位置を地図上で確かめながら、AR用データを容易に作成できるなどのメリットがある。

    同システムの有用性を探るために、それを使ったフィールドワークの授業を福井県立武生高校において、前回3)と同様、観光コース作成を課題に実施した。ただし、前回は安全性や商業性、景観性を考慮したコース作成を求めたが、今回はバリアフリーに配慮するものとした。本授業の結果として、Wikitudeは移動しながらの使用には必ずしも適さないものの、高所などからの俯瞰には十分利用できること、また生徒自身によるGoogle Mapsへのデータ入力も組み合わせれば、生徒は地図と現実との両方で位置や分布を確認、照合することになるため、地理教育的な効果を高められる可能性があると評価された。

    本報告は科学研究費補助金『地理・環境・防災教育においてGIS利用を拡大するAR搭載システムの開発と活用』(基盤研究B、代表:伊藤 悟)による成果の一部である。

    1) 伊藤 悟ほか 2016.[シンポジウム報告] 地理教育での魅力的なGISの活用―AR(拡張現実)技術の導入―.E-journal GEO 11:320-324.
    2) 伊藤 悟ほか 2014.地理教育用AR(拡張現実)情報システム(2).日本地理学会発表要旨集 85:224.
    3) 久島 裕ほか 2016.教育におけるGIS/ARシステムの活用―福井県立武生高校における野外調査の授業実践―.日本地理学会発表要旨集 89:11.
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  • 山本 晴彦
    P036
    公開日: 2017/05/03
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    明治4年、兵部省海軍部に水路局が設置され、翌5年には海軍省水路局となっている。明治6年10月には芝飯倉に海軍観象台が創設され、気象の毎時観測が開始されている。水路局は水路寮への改称を経て、明治9年には再び海軍省水路局に改称されている。同年には『気象略表』が発行され、10月には水路局の所掌に観象が追加され、観象台事務専任が置かれている。明治13年には長崎と兵庫に海軍気象観測所が設けられ、海軍観象台では天気予報が開始されている。明治15年、内務、文部両省、水路局の気象観測報告を一元化して海軍観象台が取りまとめている。明治19年には海軍水路部官制により、海軍水路部に改称され、天文、気象および磁気観測、測器試験、警報等の業務が追加されている。しかし、明治21年には海軍観象台の天文・地磁気関係の業務が文部省に、気象業務ならびに海軍気象観測所が内務省に移管され、これ以後、気象観測事業は内務省の主管となり、海軍水路部は水路部に改称されている。なお、明治27年からは海岸(海軍)望楼、同30年からは鎮守府での気象観測も開始された。
    第一次世界大戦へ参戦した海軍は、委任統治した南洋群島で大正4年より臨時南洋群島防備隊による気象観測を開始したが、同9年には南洋庁が設置されたことにより、気象業務は南洋庁観測所に移管されている。一方、国内では横須賀に日本初の海軍航空隊が開設され、翌年には霞ヶ浦海軍航空隊が開隊している。この時期に水路部から日本近海気象図や北太平洋気象図が発行されている。大正9年の水路部令により海象観測は水路部第四課の所管となり、気象観測業務は第一課(一部は第二課)が担当することとなった。
    昭和3年、海軍兵学校卒の山賀守治と大田香苗の大尉が、海軍大学校選科学生として東京帝国大学理学部の聴講学生として派遣され、気象将校としての人材養成が開始された。教程修了後は山賀が水路部員、大田は霞ヶ浦航空隊に気象士官が配員された。昭和8年には最初の水路部気象観測所が北千島の幌筵島塁山に開設され、これ以降、千島・樺太、南洋群島に観測所が遂次開設されている。同年9月には、海軍大演習において第四艦隊が三陸沖で台風に遭遇し、大事故(第四艦隊事件)が発生している。この事件を契機に、海軍内で気象業務や気象将校養成の重要性が次第に認識され始めていく。なお、昭和9年には海軍航海学校が開校し、ここで気象専攻学生(雀部利三郎、飯田久世他)として気象学の教程を修学させる方針に変更している。
    昭和11年、水路部に第五課が設置され、気象・海象の業務を所掌することとなった。翌12年には、中央気象台に海軍連絡室が設置され、気象通報や天気図作成に関して気象台との合同勤務が実施されている。同年11月には企画院気象協議会が設置され、陸軍、海軍、中央気象台の緊密な連繋が図られ、気象業務が軍用気象に取り込まれていく。日中戦争(支那事変)が起こり、戦地が拡大する最中、上海海軍気象観測所が設置された。昭和13年には、不足する気象技術員の養成を目的に、水路部で第1期の普通科気象技術員講習が開始される(昭和18年3月に第21期が修了)。また、文官技術者を中央気象台や大学や専門学校卒の採用、海軍委託生として採用後は中央気象台附属の測候(気象)技術官養成所に派遣し、実戦部隊へ配属させていた。
    昭和16年には水路部内に気象業務を所掌する第三部(第六課、七課)が新設され、同時に人材速成のための修技所(後に気象修技所)が設置され。大量の技工士が養成されている。また、中央気象台構内の海軍連絡室が水路部分室となり、海軍気象通報業務と予報業務を実施することとなった。外地では第二気象隊(上海)、第三気象隊(スラバヤ)が開隊され、パラオの海軍第四気象部がトラックに移動し、第四気象隊が開隊され、南洋庁気象台の職員が第四艦隊司令部附となっている。昭和17年4月、水路部内に海軍気象部が特設され、第一課、第二課が置かれて第三部の職員が兼務した。同年5月には第五気象隊(厚岸)、11月には第八気象隊(ラバウル)が開隊されているが、翌年2月にはガダルカナル島での敗戦により気象隊も撤退を余儀なくされている。
    水路部以外では、昭和18年4月には、海軍航海学校内に気象教育を専門とする分校が設置され、翌年7月には観測術教育を実施する阿見分校となり、昭和20年3月には阿見分校が独立して海軍気象学校が土浦に開設されている。昭和20年6月には、陸軍、海軍、中央気象台で陸海軍気象委員会が設置され、大本営気象部の開設が検討されたが、終戦により実現を見なかった。
    終戦後は海軍気象部の全気象業務が中央気象台に移管された。連合軍司令部より海軍の気象業務や気象器材に関する解答の作成が要求され、海軍気象部の大田早苗が残務整理班の中心となり回答書を10月15日に提出している。
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  • 島津 俊之, 田城 賢司
    132
    公開日: 2017/05/03
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    地理学を専攻しなかった高校教員(田城)と,地理学を教える大学教員(島津)が,総合学科の高校生にフィールドワークを体験させる授業の開発に共同で2年間取り組んだ(島津ほか2016; 島津・田城2017)。2022年度から必修化される「地理総合」には,「生活圏の課題を,観察や調査・見学等を取り入れた授業を通じて捉え,持続可能な社会づくりのための改善,解決策を探究させる」大項目の導入が答申された(中央教育審議会2016)。地理学を専攻していない多くの高校教員が,近い将来,地理総合を担当することになるが,逆に地理学を教える大学教員は高校現場で一体何ができるのか。一方向的な《アウトリーチ》で事足りるのであろうか。本発表は,恵まれた条件下での成功例というより。諸制約の下での試行錯誤の結果としての,「高大連携」の参考例として在る。和歌山県教育委員会と和歌山大学教育学部は,1999年12月という早い時期に連携協議会を発足させ,教員養成・教員研修・地域連携の各分野で多方面にわたる取組を行ってきた。高大連携事業は地域連携の一環と位置付けられ,アウトリーチとしての「出前講義」が2001年度に始まった。島津はこれに2003年度から関わり,2012~15年度は熊野高校(西牟婁郡上富田町)において,総合学科の選択制の学校設定科目「観光と地域」(金曜に2時限連続で実施)の一環として,毎年テーマを変えて出前講義を行ってきた。一方,田城は「観光と地域」の担当教員として,和歌山県世界遺産センターの「次世代育成事業」と連携し,独自の視点からフィールドワークを導入する試みを行っていた。この出前講義(インドアワーク)とフィールドワークをリンクさせ,双方向的にできないかという構想が,前述の地域連携のもう一つの取組である「実践的地域共育推進事業」に採択され(2015~16年度),共同研究が具体化した。フィールドワークとは現場で行う地域調査の別名であり,高校生に地域の何をどのように調べさせるかが,まず問題となる。ここで我々は,《地域とは,ヒト・コト・モノが織りなす複合体であり,それ自体,巨大なコトとして在る》(島津ほか2016)という認識の下に,ヒト・モノ・コトの相互作用という観点から,現場での観察や聞き取りに基づいて地域を調べさせることをめざした。2015年度は前述の「観光と地域」(田城ほか3名担当,履修者は2・3年生47名)を舞台として,学校から自動車で25分程度の距離にある白浜町の観光(コト)について調べさせた。フィールドワークは,教員が生徒を自動車で送迎し,観光客と観光業者(ヒト)に対する聞き取り調査を6月5日と11月20日に行った。インドアワークとしての出前講義は12月18日に行い,フィールドワークでは把握し辛い,統計からみた白浜観光の動向について講義した(島津2016)。その後,インドアワークで得た知識と関連させつつ,フィールドワークの結果を口頭で発表させた。この実践の反省を踏まえ,2016年度は同じく選択制の学校設定科目「現代社会探究」(田城担当,水曜に2時限連続で実施,履修者は3年生23名)を舞台とし,上富田町が抱える課題を調べさせることにした。2度のフィールドワークは徒歩で行い,学校から最寄りのJR朝来駅までの通学路の観察からモノの課題を発見させ(6月15日),町役場の各部局(ヒト)に対する聞き取り調査を行わせた(11月16日)。インドアワークとしては,新聞記事から地域の課題を発見させ(6月1・8日),出前講義(6月22日)で地域の課題を「ヒト・モノ・コト」の視点からみることの有用性を伝え,統計から判明する上富田町の課題に触れた(島津2017)。12月21日の発表会はポスターを用い,インドアワークとフィールドワークで得られた情報の統合をめざして行わせた。今回の共同研究は,一方向的なアウトリーチというより,むしろ双方向的な《学び合い》の場であったことを確認しておきたい。
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  • 長谷川 直子
    S1101
    公開日: 2017/05/03
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    1. はじめに/シンポジウムの目的 社会に対して学術情報を発信することは、アウトリーチや科学コミュニケーションと呼ばれる(詳細は次節参照)。なお本シンポジウムでは両者を合わせてアウトリーチと呼ぶ。  これまで、地理学のアウトリーチは「地図を通して」や「ジオパークを通して」など個別テーマごとに議論されることが多く、あまり全体像が見えなかったと思われる。本シンポジウムでは、現在行われている地理学のアウトリーチ活動を幾つか事例的に紹介した上で、他分野でアウトリーチをしている方の取り組みから地理学への応用を考え、さらに今後地理学を発展させていくためにそれぞれどのようなアウトリーチができるのか、会場を巻き込んで意見を出し合いながら議論を深め、今後の地理学のアウトリーチの活性化へつなげる機会とできればと考えている。 なお先行研究として、日本地理学会企画専門委員会(2008 - 2009年度)が調査した、実務地理関係者へのアンケート結果(社会発信の重要性や発信のための組織的な仕組みづくりの提案)がある(戸所他2011)。また、具体的な提言としては国土地理院地理教育勉強会(2016)がある。   2. アウトリーチと科学コミュニケーション 科学技術・学術審議会 基本計画特別委員会が2005年に出した答申の中で、「アウトリーチ活動:国民の研究活動・科学技術への興味や関心を高め、かつ国民との双方向的な対話を通じて国民のニーズを研究者が共有するため、研究者自身が国民一般に対して行う双方向的なコミュニケーション活動」と述べられている。  広義のアウトリーチには、専門的な学術成果を専門外の人に説明する(狭義の)アウトリーチと、科学への親しみやすさ・楽しさを一般の人に伝える科学コミュニケーションが含まれる。アウトリーチも科学コミュニケーションも、「地理(学)を社会発信する」という点では一致しており、発信する内容、相手(ターゲット層)、見せ方などが様々であると捉えることができるため、本シンポジウムでは両者を合わせて議論していく。なお「アウトリーチとは何か」、といった議論は本シンポジウムで目的としているテーマではない。   3. 本シンポジウムの概要 第1部では、これまで地理学の中でアウトリーチに関する活動を行ってきた5名から、以下3点を中心に話題提供を行う。 1)アウトリーチ活動とその狙い(趣旨・理念) 2)アウトリーチをやってみての省察、今後の課題は何か 3)今後地理学界がアウトリーチを活発化していくにあたってどういう視点や活動が必要か  氷見山幸夫氏は長年にわたり地図展などの活動を行ってきた経験から、太田弘氏はコナンの学べる漫画の監修や中学校の地理教育の経験から、目代邦康氏は日本ジオサービスという会社を立ち上げジオパークを通したアウトリーチの経験から、田村賢哉氏は学生兼NPO伊能社中理事として地理教育の普及や学生の就活に地理のスキルを生かす視点から、野々村邦夫氏は地域調査士制度など地理学を社会で活かすための方策という視点から、それぞれの活動やアウトリーチに関する考えを紹介する。  第2部では、地理学以外の分野でアウトリーチに関わってきた塚田健氏(平塚市博物館)、辻宏道氏(国土地理院)から、それぞれ天文、地震分野でのアウトリーチの活動を踏まえてコメントをいただき、地理学への応用を考える機会とする。  第3部の総合討論では、第1部と第2部の発表内容を踏まえ、会場の参加者の経験などを発言いただき情報共有するとともに、地理学のアウトリーチを活性化するための具体案を出し合い、それぞれについて議論し、今後の活性化へつなげる第一歩としたい。  学界と社会の有機的なつながりや地理の普及促進のためには、置かれた立場ごとにできることを考え、お互いの役割や存在を認め合いサポートしながら、全体として地理が発展する方向へ進むことが理想と考えられる。このシンポジウムがその契機になることを望んでいる。   (本発表は国土地理協会助成「地理学界と一般社会の地理コンテンツをつなげるための最適なシステム構築へ向けたアクションリサーチ」の成果の一部である)   参考文献 戸所他2011, E-journal GEO, 6(1),38-71. 国土地理院地理教育勉強会2016, 地理教育の支援に向けた課題の整理と具体的取り組み絵への提言~国土の豊かな恵みを次の世代に引き継ぐために~.41p.
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  • 由井 義通, 日野 正輝, シャルマ VR
    602
    公開日: 2017/05/03
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    1991年の経済自由化以降,インドの大都市郊外では,経済成長の中で登場してきた新中間層をターゲットした住宅開発と商業開発が進められている。巨大化するデリーは幹線道路に沿ってさらなる拡大を続け,メガシティを形成している。なかでもデリー南郊に位置するグルガオンはインド国内で最も都市開発の進んだ新興都市のひとつで,さらに南側のマネサールへと拡張都市の形成へと展開している。このような急速な都市化によりデリーの郊外空間は激変しつつある。都市化された農村地域では近代的で西洋風のライフスタイルをもった都市住民が流入し,ゲーテッド・コミュニティを形成している。本研究は,グルガオンの拡張都市としてマスタープランに組み込まれたマネサールを事例として,デリー大都市圏のアーバンフリンジにおける都市開発の状況を明らかにすることを目的とする。
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  • 菊地 俊夫
    S1305
    公開日: 2017/05/03
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    都市農業が都市域ないしは市街化地域で行われていることは、世界的に共通する認識である。しかし、都市農業の形態や機能には場所によって違いがある。都市農業の機能を食料供給と、余暇空間や緑地空間の提供に大別すると、どちらに重きを置くかによって都市農業に関する性格や農村空間の商品化の様相は大きく異なる。本研究は都市農業の発展とその性格の違いを日本とカナダで、特に東京大都市圏とバンクーバー大都市圏を事例に明らかにすることを目的とした。東京大都市圏の都市農業はさまざまな不利な環境があるにも関わらず、農地を維持する目的でさまざまな工夫を凝らして農業生産を継続している。他方、バンクーバー大都市圏の都市農業は食料供給のための農業生産よりも、コミュニティガーデンとして都市環境における緑地空間や余暇空間の維持に重きを置いている。都市農業は農業生産だけでなく、緑地機能や住環境の向上、あるいは地域コミュニティの維持など多様な機能をもつことで特徴づけられ、農地は生産空間だけでなく、消費空間としても活用されている。そこで、本研究は都市農業の発展を生産空間と消費空間の2つの側面から検討した。研究対象は東京大都市圏では練馬区や小平市の農業体験農園を、バンクーバー大都市圏ではリッチモンド市のテラ・ノバコミュニティガーデンを取り上げる。
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  • 林 琢也
    S1307
    公開日: 2017/05/03
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    1.研究目的
    観光農園とは,都市住民を対象に農業者の生産した農産物の収穫体験や鑑賞,直接販売等を行うために整備した農園を指す。農村の自然環境と農業生産をレクリエーションの対象として利用している点に特徴がみられ,農村空間の商品化を体現する典型的な農業経営といえる。本研究では,岐阜市長良地区のブドウ狩りを例に観光農園経営の展開を検討し,その有効性と課題について考察することを目的とする。

    2.「長良ぶどう」の誕生と発展,ブドウ狩りの衰退
    岐阜市長良地区のブドウ栽培は,山梨県より移住した窪坂宗祐氏らが1922(大正11)年に長良河畔の農地にブドウを植栽したのが始まりである。当地域では,当時,養蚕が盛んで,桑園が広がっていた。ブドウの栽培が面的に拡大していくのは,昭和に入ってからで,高度経済成長の最中の1961年8月にブドウ狩りは開始された。最盛期の1964年には「長良川畔観光園芸組合」の会員数は54戸に達した。名鉄と提携し,市や農協,観光協会,バス会社等の支援を受け,大々的に行われていた。しかし,ブドウ狩りの人気は長くは続かず,集客力の低下した1970年代半ば以降は,沿道でのブドウの直売の方が販売方法の主流となっていった。さらに,生協との取引や農協の運営する直売所への出荷,住宅地への近接性を活かし,庭先や農地に幟を立てた簡易型の直売などの方法を重視する農家も増えていった。その結果,1990年代にはブドウ狩りに対応する農家は6戸となり,2017年現在,「長良ぶどう部会」には39戸が加入しているものの,ブドウ狩りを行う農家は2戸となっている。

    3.ブドウ狩りの再興
    1980年代~2000年代にかけて観光農園数は減少し続けたものの,その間も一定程度の需要は存在していた。こうしたなか,2008年以降,ブドウ狩りの入園者数は増加傾向に転じ,再び活況を呈するようになった。この変化に大きな影響を及ぼしているのが,同年より開始されたタウン誌への割引券の添付である。これによって,身近な地域の住民に「長良ぶどう」を再認識させるとともに,新たな観光需要を喚起することが可能になったのである。こうしたタウン誌は地元の飲食店や観光・レクリエーションに関する情報が多数掲載されているため,小さな子どもをもつ親や孫の手を引いた祖父母の入園を促すことに効果を発揮した。また,旅行専門雑誌にも長良地区のブドウ狩りの記事が掲載されている。こうした雑誌への掲載は,岐阜市および周辺地域からの入園だけではなく,「一宮」や「名古屋」ナンバーに代表される愛知県北部からの自家用車での訪問も増加させている。インターネットやSNSを通じて全世界に情報を発信可能な時代ではあるものの,長良地区のブドウ狩りは,岐阜・愛知周辺の住民が日常的に目を向ける多種の情報誌を上手く活用することで,身近な地域の潜在的な観光需要を実際に入園してくれる現実の観光客に転換させることを可能にしたのである。

    4.長良地区における観光農園経営の意義
    岐阜市長良地区のブドウ栽培は市街化区域内に多くの農地が包摂されているため,規模も小さく,ローカルなブドウ産地に過ぎない。ただし,周辺には競合するブドウ産地もなく,岐阜市から名古屋市に至る地域に居住する都市住民の観光レクリエーション需要を一手に引き受けることが可能なため,農園数やキャパシティ(受け入れ可能人数)に比して,需要過多の状態にある。ただし,現時点で観光農園経営に新たに参入する意思をもった農家はおらず,需要はあるのに,供給が足りないという状況に陥っている。これは,市街地に近接し,就業先にも恵まれ,通勤も容易なことから農家子弟にとって,農業での利潤の最大化を追求する必要性に迫られていないことも影響していよう。その一方で,沿道や庭先で直売のみを行う農家直売所では,販売量が停滞傾向にある農家も少なくない。
    両者の差異はどこにあるのだろうか。ここでは,ブドウの生産現場を訪問し,ブドウを自ら収穫し,その場で消費するという行動自体に依然として大きな需要が存在し,それが,新鮮な農産物の購入や生産者との交流を目的とする直売や朝市よりも代替のきかない重要な存在となっていることを示している。
    その意味では,日本において人々の生活や日常から農業にまつわる活動が縁遠いものとなっていることが,観光農園のニーズを高めているといえるが,根本的には,担い手の問題等が改善しなければ,人々の求める農業生産(物)や農村景観を維持することは難しく,観光農園による農村空間の商品化自体も刹那的なものになりかねないといえる。農村空間の商品化という視点は,単なる余暇やレクリエーション需要への対応のみならず,都市住民に「農」の価値を考えてもらうきっかけづくりの場としても機能させていくことが重要である。
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  • 米家 泰作
    921
    公開日: 2017/05/03
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    近代日本の地理学と植民地の関わりは,近年,様々な視点から検討されている。しかし地理学の制度化が進んだ大正期以前の地理的な営みに関しては,外邦図など軍事的なものを除き,研究蓄積が少ない。特に,植民地の地理に関して民間で流通した知識については,個別の事例を検討するだけでなく,全容を把握する基礎的な作業が必要だろう。 そこで本報告では,植民地旅行記の研究に引き続き,明治大正期(1868~1925年)に日本人向けに刊行された朝鮮半島の地誌的な文献について,出版の動向を捉える。これまで,櫻井(1979)が地誌類の目録を提示し,また矢津昌永や田淵友彦の地誌や旅行記に注目した研究があるが,個々の文献の紹介・分析にとどまっている。本報告では出版ブームの波や内容構成の変化に留意して,傾向の変化や系譜を把握する。その要点は次の4点にまとめられる。
     (1)   地誌を含む地理的な出版物の点数は,政治的・軍事的な出来事の勃発時に急増し,併合(1910年)後は地方誌が漸増しながら刊行点数が維持された(図表参照)。その著者・編者の多くは,近代的な地理学との関わりに乏しく,地理的知の需要に応じて機敏に参入した人々であった。
    (2)   江華島事件(1875年)を機に,江戸期の古い文献・地図に依拠した文献が出され,次いで近世朝鮮で編纂された地誌や地図の利用が始まる。日清戦争(1894年)時にも幾つかの地誌的書物が編纂されたが,なお近世的な地誌の影響が強く,陸軍参謀本部の『朝鮮地誌略』(1889年)が活かされることもなかった。
     (3)   日露戦争(1904~05年)は拓殖や地理教育に関わる知的需要を喚起し,矢津や田淵,野口保興らが,近世的な地誌に代わる自然・人文地理を意識した構成を模索した。ただし,そこには地理的な論点を用いた植民地化の正当化があり,その端緒は『朝鮮半島の天然と人』(1900年)に遡る。
     (4)   日韓併合は,行政や拓殖に有益な『朝鮮誌』(1911年)のような詳細な地誌の出版を促したが,『朝鮮史』編纂事業とは対照的に,総督府による公的な地誌編纂の試みはなく,またアカデミックな地理学者による本格的な朝鮮地誌の試みも生まれなかった。
    東京地学協会が地誌編纂に関わった台湾や樺太,あるいは地政学の関心の的となった「満洲」と比較して,朝鮮の地理に関しては,学術的な地誌編纂の取り組みに乏しいことが,むしろ特色であった。その背景として,民間からの地誌的書物の出版によって「実用的」な需要が満たされていたこと,また地理教育において新領土の地誌をカバーする動きが早かったこと,さらにアカデミックな地理学者の関心が植民地化された地域でなく,その次なる候補に向かったことが指摘できる。アカデミックな地理学の外側ないし周縁で,地理的知が政治情勢を後追いする形で生産ないし流用され,近代日本の植民地主義を支えたことについて,さらなる検討が必要であろう。
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  • 内山 琴絵
    835
    公開日: 2017/05/03
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    本研究の目的は,災害に対する社会的脆弱性について,阪神・淡路大震災における神戸市を事例として,その災害前後の変化を明らかにすることである.脆弱性は,人口構造と建造環境に絞った都市の空間構造から分析した.
    災害に対する脆弱性に関わる変数を主成分分析にかけ,成分得点を地図化した結果,震災前の1990年には,脆弱性の構造は①居住の長さ,②人口密度の高さ,③住宅の古さ,④公営住宅の立地,⑤外国人製造業従事者として抽出された.脆弱性の高い集団の空間分布は,①神戸市全域,②市街地に帯状,③~④局所分散的,⑤局所限定的にあらわれた.
    各成分得点に表される脆弱性の高さと死亡率は,非線形の関係であった.脆弱性が低いと死亡率は低いが,地域によって脆弱性が高いほど死亡率のばらつきが大きくなる.つまり,災害に対する社会的脆弱性が高い場合,潜在的に被害の可能性は大きくなるが,投入変数以外に当該地域が持つ様々な特徴によって,被害の程度は変化するものと考えられる.
    一方, 2010年の脆弱性の構造は,①郊外居住高齢者,②都心居住者,③製造業従事者,④公営住宅の立地,⑤木造密集地域,⑥女性の割合の高さとして抽出され,脆弱性の高い集団の空間分布は,①郊外地域,②市街地に帯状,③~⑥局所分散的にあらわれた.
    1990年と2010年を比較すると,震災による被害の大きかった既成市街地のうち,空間的改変を伴う復興事業が行われた地域の中には,たしかに脆弱性が相対的に低くなったところがある.しかしながら,一部の既成市街地において,震災前から脆弱性の高い地域は,震災後も高いままであった.インナーシティにそのような地域を残したまま,相対的に脆弱性の高い人口集団の居住地は,さらに郊外地域にも拡散した.復興事業によって建造環境の脆弱性が軽減されても,居住者の流動性が低い地域において人口構造に関する脆弱性が高いままであること,既成市街地と同様に郊外地域においても高齢化が進展していることが影響していると推測できる.
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  • 苅谷 愛彦, 森田 真之
    P012
    公開日: 2017/05/03
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    はじめに  上高地の明神池周辺には起源不明の巨礫群が存在する.本研究ではこれらの巨礫群について分布と礫種を明らかにし,巨礫群の供給域と供給プロセスを推定した.そして巨礫群が近傍の急斜面で発生した岩盤崩壊に由来すること,および明神池の形成に関与したことを論じた.
    地形・地質:<地形>明神池は一之池と二之池から成る.二之池の西に湛水凹地があり,三之池と俗称される.明神池の北に明神岳(2931 m)がそびえ,無名沢A,B,Cの沖積錐が張り出す.また池の南には梓川とその氾濫原が広がり,東西には下宮川谷とワサビ沢の沖積錐が張り出す.二之池と梓川氾濫原の間に小池沼が存在するが,それらは人工開削されたものである.<地質>明神地区の梓川右岸は第四紀の前穂高岳溶結凝灰岩層やカルデラ壁崩壊角礫岩層,古第三紀-白亜紀末期の奥又白花崗岩,ジュラ紀の砂岩泥岩互層とこれを母岩とするホルンフェルスから成る.同左岸はジュラ紀の砂岩泥岩互層から成る.他に崖錐堆積物や沖積錐(小扇状地)堆積物が分布する.
    方法:空中写真や1 m-DEM(松本砂防事務所)傾斜量図・陰影図による地形判読,野外における巨礫(長径≧2 m)の分布・礫種調査および地質記載を行った. 結果:巨礫の分布と礫種 巨礫群は二之池をまたぐように,図の破線内に限り分布する.巨礫群は周囲より数10 cmから数m高い微高地を成し,穂高神社や嘉門次小屋は巨礫群の分布限界に接して建てられている.一方,一之池や三之池の周辺および梓川左岸に巨礫群は分布しない.梓川右岸の侵食崖では,巨礫群の地下に粗砂や細礫を基質とする層厚4 m以上の礫層(角礫・亜角礫)が存在する .巨礫群(以下,この語は上述の礫層も含めて用いる)は全量が前穂高岳溶結凝灰岩層の岩屑から成り,他の礫種を含まない.巨礫群の現存面積は約7.2×104 m2で,平均層厚を5 mとした場合の巨礫群全体の体積は約3.6×105 m3となる.
    議論1:巨礫群の推定供給域と移動プロセス  分布形状(図)からみて,巨礫群は明神岳南面の岩壁から供給されたと考えられる.特に,無名沢Bと同Dの上部には馬蹄形の急崖が2つ確認できる.このうち急崖Bには砂岩泥岩互層とホルンフェルスのみが露出する.一方,急崖Aには前穂高岳溶結凝灰岩層のみが露出し,一帯は南西に傾く(N35°W37°S)平滑なスラブを成す.これらの事実に基づくと,巨礫群の供給源は急崖A一帯と判断するのが合理的である.   急崖A付近において,傾斜した前穂高岳溶結凝灰岩層中の葉理面がすべり面となり,岩盤崩壊が発生して岩屑が供給・移動したと考えられる.巨礫群が河川成か氷河成であれば,礫の円磨度や礫種はここに示した事実と異なるはずである.なお,これと同様の岩盤崩壊は明神地区の北約3.5 kmの前穂高岳北尾根東面(前穂高岳溶結凝灰岩層)でも発生し,大量の岩屑が梓川谷底・左岸に達している.
    議論2:巨礫群と明神池  一之池は巨礫群が梓川や無名沢Aの河道を堰き止めて生じたと考えられる.二之池は河道を堰き止めた巨礫群が後に侵食・運搬されて生じた微凹地を起源とする可能性もあるが,巨礫群をほぼ完全に侵食・運搬する能力がこれらの河川にあったかどうかは疑わしい.むしろ斜面を急速に移動した岩屑が在来の氾濫原を浅く穿ち,それが湛水したことも想定される.崩壊発生期は未詳である.しかし穂高神社はAD1693に明神池畔に存在したとされるので,江戸時代初期かそれ以前に遡るのは確かであろう.
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  • 清水 昌人
    902
    公開日: 2017/05/03
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    2010年までの国勢調査データによれば、近年の非大都市圏におけるコーホートの人口変動では、1970年代後半生まれのコーホート以降、10歳代前半から20歳代前半にかけて累積的な社会減少(相対指標)が拡大するとともに、20歳代前半から後半にかけての累積的な社会減少が回復せず、横ばいから減少拡大に移行しているといわれる。また、1970年代後半生まれ以降のコーホートでは、10歳代前半から20歳代にかけての累積的な人口変化と、当該コーホートの相対的規模の指標との間にある程度の関連が見られることも指摘されている。本報告では2015年までの国勢調査のデータを使い、2010年代前半において、上記の傾向がどのように変化したかを検討した。2005年までは年齢不詳を男女、都道府県別の総人口の年齢構成に応じて比例案分した人口、2010年以降は総務省統計局が不詳案分した人口を分析した結果、データの取得できる最新の5歳階級コーホートでは、10歳代前半から20歳代前半にかけての累積的人口減少の程度は大きく緩和されていた。また、20歳代前半から後半にかけての人口減少は、男ではほとんどなくなる一方、女では依然として観察された。コーホートの相対的規模との関係では、男の人口変化は最新のコーホートにおいても、おおむねコーホートの相対的規模指標の推移傾向と似ているが、女では指標との対応が不明瞭になっている。なお、国勢調査は近年年齢不詳の数が急増しており、不詳の扱いによりコーホート分析の結果はかなり左右される。そのため、今回の分析結果も慎重に評価する必要がある。
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  • 中村 周作
    919
    公開日: 2017/05/03
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    発表者は,宮崎・熊本・大分を事例として,地域的に好まれる酒の分布圏(飲酒嗜好圏)の析出を試みてきた。今回対象とする佐賀県域を含む北部九州は,従来清酒文化圏として,わが国の大半の地域と共通する飲酒嗜好地域であったところに数次の焼酎ブームで焼酎嗜好が広がり今日に至る。したがって,本研究によって,地域独自の状況把握と同時に,日本におけるおおよその飲酒嗜好とその変容を見通すことができる。本稿の目的は,①地域ごとの飲酒嗜好とその変容を把握すること,②佐賀県域の地域的飲酒嗜好圏の析出を試みる。その上で③わが国の清酒文化圏の飲酒嗜好とその変容について展望する。研究方法として,『福岡国税局統計書』中のデータ分析と,より詳細なデータ,および関係者の声を聞くために,県内全域で57件の小売酒販店に対する聴き取りアンケート調査を実施した。

    佐賀県は,九州北西部,福岡県と長崎県に挟まれる位置にある。県の面積2440.7kmは,全47都道府県中41位,人口83.3万人も41位,世帯数29.4万も43位の小規模県である。なお,当県内には,税務署管轄区が5(鳥栖地区,佐賀地区,唐津地区,伊万里地区,武雄地区)あり,以下この地域区分により,論を進める。

    佐賀県域における飲酒嗜好は,東接する福岡県から波及するブームの影響を強く受けてきた。清酒は,消費の減少が著しい。ただし,これはいわゆる普通酒(大量生産酒)の減少が著しいためであり,特定名称酒は近年好調,佐賀酒ブームが起こっている。単式蒸留しょうちゅうは,消費量が増加し,いわゆる焼酎ブーム末期の2007年にピークとなったが,その後漸減傾向にあり,特定銘柄が生き残っている。連続式蒸留しょうちゅう消費は,漸減を続けてきた。1980~年のチューハイブームと2004年以降の焼酎ブーム時に消費が微増して現在に至る。地区別に飲酒嗜好の特徴をみると,鳥栖地区は,単式蒸留しょうちゅう(特にイモとムギ)の流入と,連続式蒸留しょうちゅうの強さもあって,清酒消費が幾分減じている。佐賀地区は,伝統的に清酒嗜好の強い地区であるが,中で多久は,旧炭鉱地として焼酎消費嗜好が根強い。唐津地区も,清酒嗜好が強いが,ムギ焼酎の消費割合が5地区中で最も高い。伊万里地区は,清酒・イモ消費嗜好が拮抗するが,連続式蒸留しょうちゅうの消費割合も鳥栖地区と並んで高い。武雄地区も,清酒消費の強い地区である。特に強いのが鹿島・嬉野,白石であり,県内有数の清酒産地が,そのまま消費中心となっている。一方で,地域別にみていくと,温泉観光地である武雄市はイモ焼酎の割合が高いし,大町町や江北町でムギ焼酎,江北町や太良町で連続式蒸留しょうちゅう嗜好が強いのは,それが県の縁辺部に残っている例である佐賀県域における飲酒嗜好圏を分類すると,Ⅰ「清酒嗜好卓越型」:伝統の系譜を引き,清酒の生産-消費が直結する地域である。Ⅱ「単式蒸留イモしょうちゅう・清酒嗜好拮抗型」:鳥栖市は,九州の東西南北の飲酒文化が交差する地域であり,伝統的な清酒嗜好に加えていち早く南九州のイモ焼酎のシェアが拡大した。多久市は,かつての炭鉱地で根強い焼酎嗜好がみられる。Ⅲ「清酒・単式蒸留イモしょうちゅう・単式蒸留ムギしょうちゅう・連続式蒸留しょうちゅう嗜好拮抗型」:この型は,県の縁辺部に位置する三養基・神埼地区は,福岡方面から入ってきた焼酎ブームの最も大きな影響を受けた地域であり,同時に連続式蒸留しょうちゅう嗜好も根強い。太良町は,伝統的な清酒嗜好に加えて,福岡方面からの観光客の流入が大きく,観光客の嗜好もあってイモ,ムギ嗜好がみとめられる他,伝統的に連続式蒸留しょうちゅうの強い地域である。
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  • 菊池 慶之, 李 阿敏
    P067
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    東京圏をはじめとする大都市圏においては,1990年代から人口の都心回帰による再都市化の傾向が指摘されてきた.再都市化とは,人口減少により空洞化した旧来の中心地区に再び人口が流入する動態であり,都市空間変動との関係で見れば,人口増加地区が郊外から中心部へと移動する現象といえよう.中心部での人口密度の向上は,集積の外部経済性を高め,特に人口減少地域では都市機能を維持した上での都市の縮退戦略とも相性が良い.このため,中心部の空洞化が著しい地方都市において,再都市化は都市の持続可能性を左右する重要な社会現象である.  しかし,大都市圏に比して中小規模の地方都市での研究は少なく,特に人口減少局面にある地方都市での再都市化現象の出現状況は明らかでない.そこで本研究では,山陰地域の都市圏を事例に,都市空間変動を明らかにするとともに,今後の再都市化の可能性を考察する.
    2.都市空間変動
    本研究では,空間的,時系列的な比較が容易な地域メッシュを用いて圏域を定義し,その人口・従業者数の動態を把握する(図1).設定した圏域における人口・従業者数は,2000年以降いずれの都市でも郊外地域の成長が止まりつつあり,郊外化が終焉を迎えつつあることが確認された.一方で,中心地域の衰退も続いており,まだ再都市化の傾向はみられない.ただし,郊外化が止まりつつある中で,相対的に分散傾向は弱まりつつある.
    3.マンション立地
    山陰地域におけるマンション開発は1980年代から始まっているが,特に2000年以降に急増している.松江市の場合で見ると(図2),全てのマンションが都市地域にあり,中心地域には戸数ベースで86.6%が集中している.このことから,マンションの立地が都市インフラなどの利便性を強く志向することがうかがえる.本格的な地価上昇が見込みずらい人口減少地域の都市において,比較的利便性の高い中心地域は,今後もマンション開発が進む可能性がある.
    4.おわりに
    山陰地域の都市では,2000年代以降,郊外の成長鈍化により本格的な人口減少期に入った.都市空間変動の視点からはまだ再都市化の傾向は確認できないものの,中心地域にはマンション開発が集中し,その結果,人口が増加するエリアが確認できた.今後も中心地域におけるマンション開発が続けば,郊外地域の成長が止まりつつある中で,相対的な再都市化が生じる可能性があると言えよう.
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  • 豊田 瑞穂
    P004
    公開日: 2017/05/03
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    草津川流域では下流平野の高低差は少なく、低湿地が広域に展開しているため、琵琶湖岸の主たる土地利用は水田利用が卓越していた。1960年代より巨大開発が始まり、急激な人口増加が進むと土地利用も大きく変貌し、洪水に対して脆弱を見せることになった。今後の草津市北部地域の都市拡大を考えると災害弱者の増加は必須であり、将来の治水安全度を高めるため第二草津川が建設された。しかし、整備後の水害減少によって住民の防災意識は低下してきおり、より水害脆弱地に居住者が移動している傾向もみられ低頻度大規模洪水への対応に迫られている。 そこで、本研究においてはベッドタウン草津市を流下する巨大天井川河川であった旧草津川と廃川後に掘削され、2002年以降に通水した新草津川の流域に着目して、最近80年間の土地利用変化明らかにすることにした。土地利用変化を地形分類図から評価して浸水域の増減との比較、災害被害から水害危険地域の特定・評価を行うことにした。 また、当該地域における自主防災組織の活動履歴に着目して聞き取り調査を行い組織の活動状況を明らかにした。土地利用では特に南部、北東部での宅地面積の増加、山地・丘陵地や下流部での森林・田面積の減少が認められ、従来は水害リスク地として開発が行われなかった氾濫原での宅地開発地域を明らかにした。 聞き取り調査結果をもとに、自主防災組織毎に活動指針が異なっていること、活動履歴が異なること、防災活動と防災施設には地域多様性がみられることを明らかにした。また、その要因として防災団体の組織長の積極性、組織規模のみならず開発年次、居住者の年齢構成、歴史的な集落とマンション開発によって居住者が一気に増加した、女性の社会進出の違いなど、複雑な要素の関連性を認めることができた。
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  • 宇都宮 陽二朗
    917
    公開日: 2017/05/03
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    1. はじめに Hitlerの地球儀と呼ばれる地球儀はColumbus社の大地球儀Grosse Globusの他に、高さと直径が各々45.7cm、33.2cmのBarsamianがBerghofで5月10日の捕獲した金属半子午環、木製円柱と2段の円形台座の卓上地球儀(以下Barsamian地球儀とする), MünchenのHitler邸で撮影された地球儀、米軍西欧本部の半子午環卓上地球儀の合計3個(?) が知られている。前2者は寸法の近似と形状の酷似が、他は「Z」の誤植からfakeと指摘された(宇都宮,2012)。独Dokumentations ObersalzbergのwebpageでもBarsamianは名を晒されているが、当時の資料、写真、Berghofの破壊、Scherman、Lee Miller他の画像によるとHitlerの地球儀は疑わしいことが明らかとなった。 2. 地球儀球体の素材 1) Columbus社作業場の球体: Bundesarchivsの写真ではColumbus社作業場に透明樹脂の小球が作業員後方の作業机上に存在する。 2) Barsamian地球儀: この地球儀の公開画像では、亜麻布混鋸屑/木屑/カート゛ホ゛ート゛の球体をコ゛アが覆い、合成樹脂は見えない。戦時下の物資欠乏により、これらの素材に代替されたと考えられ、Columbus 社に問合せ中である。いずれにせよ、これらの材質は火炎や熱に弱いことは明らかである。 3. MünchenのHitler私邸の写真について MünchenのPrinzregentenplatz 16のHitler私邸は1945年4月末から5月3日にかけてLee MillerとScherman他、兵士2名により占拠された。 1) BathtubのLeeとSchermanほかの写真:LIFEのSchermanによる写真のHitler bathtubのLee Millerの額入りのHitler写真はLeeが撮影した壁に立掛けた写真と同一という(Monahan私信2015.8.7)。他にLee撮影のBathtubの男(彼;Scherman)の写真3枚があり、一連の行動には戦勝国の傲りが見てとれよう。 2) 事務机上の地球儀: Scherman撮影のHitler事務机の写真ではフランコ贈物のワインに結びつけたスヘ゜イン国旗と、アルハ゛ム(何れも不明瞭)の他、卓上地球儀等が被写体とされている。事務机の高さによる概算では地球儀の高さと球径は大きくとも各々50.4~52.1cm、32~33cm程度で、その寸法と外見はBarsamian地球儀に酷似する。Lee撮影の似た構図で、兵士有無の写真2枚で見ると、机上の外れた受話器、ワインホ゛トル(独/仏産(?) のなで肩)など、被写体や/性状が異なり、且つSchermanのヘ゛ストアンク゛ルとは異なるため、彼の撮影の合間のLeeの盗み撮りで、被写体の幾つかは元々、存在しなかったことを示唆する。このLife誌(19450528)掲載写真の被写体は揃いすぎ(宇都宮,2012)で、Barsamian地球儀に酷似のそれがHitler邸には残存せず、所在不明という。被写体が存在したとしても、彼らの略奪(彼自身の別証言から推定)によろう。 4. Berghof由来の「Hitlerの地球儀」の信憑性 LeeとScherman両名による同アンク゛ルの火煙の吹出すBerghofの写真は、5月4日の占領直後の状況を示す。火焰の噴出するBerghofで、可燃性素材の地球儀が無傷で残ること自体、物理・化学的にあり得ない。Berghof側関係者の証言、指紋やDNA鑑定の必要性(宇都宮,2011)も無い。Münchenの Hitler私邸で撮影され、その後、所在不明となった被写体(地球儀)はここに携行され、鎮火と室温低下後に置かれたと推定される。 5.まとめ 1) MünchenのHitler私邸での写真家の行動(LeeとSchermanの入浴の撮影,額入Hitler写真,事務机上の小物等の有無と配置)やキャフ゜ションとの比較検証は,地球儀が元々存在しなかった事を示唆し,芸術家個人の発想や傲りのみでなく国家戦略下の予定行動とも窺える。 2) Berghofの猛火の中で火や熱に弱い素材の地球儀が無傷で残ることは物理・化学的にあり得ない。 3) BerghofでBarsamianが獲得したコロンフ゛ス社製卓上地球儀はMünchenのHitler宅で撮影された地球儀と同一で、Schermanが携行し、熱の冷めたBerghofの室内に置いたものと推定せざるを得ない。1940年代のLIFEやTIME等写真誌の記事 / 映像には、カ゛島の日本兵骸骨、マ元帥と天皇など、この類の映像演出/作為には事欠かない。
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  • 藤岡 悠一郎
    S1203
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    日本の森林の中には、トチノキの巨木がまとまって生育するトチノキ巨木林が存在することが知られている。トチノキは、種子であるトチノミが縄文時代から食料として利用され、主に中山間地域における人々の生活と密接な関わりを有してきた。そのため、トチノキ巨木林の成立背景には、地域の社会環境や住民のトチノキの利用などの要因が深く関わっていると考えられる。他方、高度経済成長期における産業構造の変化や過疎高齢化の進行の中で、トチノキ巨木林を含む山林利用も大きな移り変わりが生じている。本発表では、朽木地域におけるトチノキ巨木林の成立に人々の樹木利用や社会環境がいかに作用し、変遷を遂げてきたのかを明らかにする。
    2.方法
    滋賀県高島市朽木地域において、トチノキ巨木林の成立する谷が位置する雲洞谷(うとたに)集落および上針旗地域を中心に、2011年から2015年にかけて複数回の聞き取り調査および現地踏査を実施した。
    3.結果と考察
    トチノキ巨木の樹齢は300~700年ほどと見積もられており、巨木林の成立には過去数百年の山林利用が関係していると考えられる。そのため、朽木地域における山林利用の変遷を文献から概観した。本地域は鎌倉時代に朽木氏が朽木荘の地頭職を与えられ、その後明治維新まで朽木氏による統治が長期間継続した珍しい地域である.そのため、朽木氏による山林利用の政策がこの地域の森林動態に強く影響を及ぼしたとみられる。例えば、トチノキの利用については,朽木地域内の桑原村における「惣中割山切付覚帳」(1732年)などにおいて,朽木藩でトチノキが御用木であり、伐採に制限があったことが示されている.また,トチノミは,入会によって採取されていたという記録も残されている。すなわち、トチノキは有用資源として選択的に保護されてきたとみられる。本地域の生業は稲作と共に山林関係のものが多く,材木の販売や炭焼き,轆轤を使った木地生産が古くから行われてきた。これらの生業の場とトチノキ巨木林との関係性について、聞き取り調査の結果と合わせて検討した結果、本地域のトチノキ巨木の多くは地域の人々が昔から炭焼きや刈敷採集などに利用してきた里山の中に成立していることが明らかになった。
    明治期以降、山林の所有制度が変わり、山林の大部分は小分割されて私有林となった。トチノキ巨木の生育している山林の多くも私有地となり、所有者が定められたが、一部で集落の共有林も残り、そのなかにトチノキ巨木林が成立している場合も認められた。トチノキの巨木を含む山林の資源は、産業構造の変化とともに大きく移り変わり、パルプ材のための広葉樹の伐採やスギ植林が活発化するなかで、所有者がトチノキの伐採を決める場合も多かった。他方、その際にも意図的にトチノキを残す世帯も見られ、各世帯の判断が山林の景観を決める重要な要因となってきた。1980年代になると、地域振興の流れのなかでトチモチを販売する組合(栃餅保存会)が設立され、トチノキに対しては現金稼得源という新たな価値が認められるようになった。しかし、その後、高齢化などによって人と野生動物や森との関わりが変化し、トチノミ採集が困難になる状況が生じている。
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  • 今泉 文寿
    S0403
    公開日: 2017/05/03
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    我が国は付加体,火山性などの脆弱な地質と急峻な地形が広く分布しており,かつ降水量が多いため,世界的にみても土砂移動が活発な地域に分類される。加えて,山地が居住地,林業等の経済活動の場,高速道路や鉄道の経路として高度に利用されているため,土砂移動に伴い多くの災害が発生している。 本発表では,我が国における土砂移動の特徴を概観するとともに,土砂災害の軽減に向けた対策についてまとめる。 我が国は地形の急峻な地域が多いため,土塊にはたらく重力に起因する土砂移動現象がおきやすい。山腹の傾斜が35度を超えるような山岳域では,水の供給がほとんどない状態でも落石等の形態で土砂の移動が可能であり,多雨期(梅雨~台風期)のみならず冬季~春先においても,岩盤や土壌中の水分の凍結融解の影響を受けた活発な土砂移動がおきている。人間の居住域・活動域はこれよりもやや緩やかな場所にあることが多く,そのような場所では土砂がある程度の水を含んだ状態で,はじめて移動可能となる。我が国の多くの地域では梅雨~台風期に降水量が多いため,この時期に崩壊,土石流として土砂が移動し,土砂災害が発生する。
    このような土砂災害への対策は大きくハード対策とソフト対策に分けられる。ハード対策とは砂防堰堤等の構造物の建設による対策を指し,想定内の土砂移動現象であれば,ある程度確実な効果を見込むことができる。その一方で,多額の予算を要すること,生態系に対する影響があることなどの問題点を有する。ソフト対策は警戒避難や建築制限などが含まれる。コストが低い,環境への負荷が少ないというメリットがあるものの,住民の理解がなければ効果を見込むことができない。加えて短時間・夜間の集中豪雨による土砂移動に対しては避難を行うことが困難であり,対策としての確実性に劣る部分がある。 この他にも我が国では,森林の有する機能により土砂移動を抑止しようという試みが行われている。樹木根系は崩れに対する土壌の抵抗力を増加させる働きを持っており,表層崩壊の発生を抑止する機能を有している。この手法は生態系への負荷が少ないというメリットを有するが,深層崩壊などの土砂移動現象については抑止できない。 このように,いずれの手法も長所・短所を有しており,ひとつの手法では土砂災害を防ぐことができない。複数の手法を組み合わせた対策が望まれる。
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  • 日野 正輝
    612
    公開日: 2017/05/03
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    用語「広域中心都市」、「地方中枢都市」、「札仙広福」の登場と定着
     

    日野正輝(中国学園大学)

    1.はじめに
    戦後の札幌、仙台、広島、福岡の4都市の広域中心性の確立と急成長は、人口・経済力の東京一極集中とともに、20世紀後半の日本の都市化および都市システムの構造的変化を特徴づける特筆すべき現象であった。しかし、上記4都市を特定した統一した用語は存在しない。広域中心都市、地方中枢都市、札仙広福の3用語が比較的広く使用される用語としてある。
    本報告は、上記した3つの用語がいつ頃誰によって、あるいはどの機関によって使われはじめ、それがどのように広まったのかを調査したものである。

    2. 広域中心都市
       用語「広域中心都市」は、北川(1962)によって六大都市の下に位置するものの、他の県庁所在都市とは区別される新しい上位都市階層として提唱された用語である(吉田、1973)。北川は、ドイツの地理学者シェラーおよび恩師であった米倉二郎らの示唆を得て、ドイツの都市の階層体系にあるLandstadtに相当するものとして、広域中心都市の用語を使用したと言う。また、服部(1967)および二神(1970)も、1960年代後半にすでに上記4都市を指す用語として地方中核都市などの呼称が見られたが、国家中心都市に次ぐ都市階層として広域中心都市の表現を使用した。さらに、1969年日本地理学会秋季学術大会でシンポジウム「広域中心都市」が開催され、その成果が木内信蔵・田辺健一編『広域中心都市』(1971)として刊行された。こうした経緯によって地理学の分野においては、用語「広域中心都市」を定着したとみてよい。
       しかし、「広域中心都市」は早くに登場したが、地理学以外の分野に普及することはなかった。全国総合開発計画では、広域中心都市に相当する都市階層の認識があったが、その表現は見られなかった。また、時期は1985年以降に限られるが、広島市市議会の議事録から、「広域中心都市」の出現回数を見ると、わずか1件のみであった。「地方中枢都市」の出現回数が116件であったことから、広域中心都市広島おいてさえ、当該用語はほとんど用いられることがなかったと判断される。

    3. 地方中枢都市
       地方中枢都市は、中枢と言う表現からすると、大都市の成長は中枢管理機能の集積にあるとした中枢管理機能説との関連が認められるが、中枢管理機能をクロースアップした新全国総合開発計画において使用されていない。同計画では、7大中核都市、地方中核都市と言った表現が使用されていた。1977年閣議決定を見た第三次全国総合開発計画においてさえ、地方ブロックの中心都市と言いた表現が用いられ、地方中枢都市の用語は見られなかった。一方、国土庁に設けられた地方都市問題懇談会の地方都市の整備に関する中間報告(1976)において、地方中枢都市、地方中核都市、地域中心都市、地方中小都市の階層区分がなされた。この中間報告によって、都市の一般的な階層区分と各階層の名称が受容されることになったと推察される。その結果、第四次全国総合開発計画においては地方中枢都市の用語が使用されている。なお、地方中枢都市の用語は、1981年発行の中学社会科地理分野の教科書にも登場した。

    4. 札仙広福札
       札仙広福は上記2用語に比べると後になって登場した表現である。上記した広島市議会の議事録において出現する時期は第五次全国総合開発計画策定の1980年代末から1990年代前半に集中している。これには、上記計画に札仙広福の4都市が自らの意向を反映させるために連携して運動した時期にあたる。ただ、どの機関が最初に当該用語を使用したのかは目下のところ不明である。1990年代はじめに札仙広福を冠したシンポジウムを重ねて開催し、当該用語の普及に貢献した櫟本(1991)によると、広島市では4都市の比較をしばしば行っていたが、そのなかで自然と出てきた表現ではなかったかと言う。

    付記
    今回の調査において下記の方々から貴重なご教示とご便宜を図って頂いた。ここに記して感謝に意を表します。北川建次、今野修平、櫟本功、松田智仁、宮本茂、小笠原憲一、渡辺修、寺田智哉(敬称略)。
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  • 南雲 直子, 江頭 進治
    P005
    公開日: 2017/05/03
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    岩手県東部を流下する小本川では、2016年8月末の台風10号通過による豪雨によって上流部での斜面崩壊、土石流が多数発生したほか、下流部では流木や土砂の堆積による河床変動を伴う洪水氾濫が発生した。小本川のように山間地を流下する河川では、降雨後の洪水流出が早く、またそれに伴い、上流部からの流砂・流木が下流部にまで影響を及ぼすことが予想される。日本にはこのような河川は多数あり、洪水流出だけでなく土砂や流木の流出を考慮した川づくりが求められている。そこで、土木研究所ICHARMでは、次の数年で中山間地における川づくりのための技術体系を構築することを目標とし、流域の特性、災害の実態把握、発生した洪水や土砂水理現象の基礎情報を得るため、平成28年10月に小本川の本川及び支川で現地調査を実施した。このうち、本発表では流域の地形に着目し氾濫特性を説明する。
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  • 田中 健作
    P071
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに  高齢化の進む大都市圏郊外において、住民の生活の質はいかにして保たれるのであろうか。こうした関心から、本報告では京阪神大都市圏郊外を例に、高齢住民のモビリティと日常生活様式との相互関係を検討し、その特質および問題点を明らかにすることを目的とする。 2016年10月に集合住宅型のA団地において、自治会の協力を得てアンケート票を488世帯に配布し、63世帯79人より郵送回答を得た(回収率12.9%)。回答者は男性35人、女性44人、60歳以上は59人(74.7%)であった。2010年国勢調査小地域集計によると当該地区の高齢化率は37%であり、アンケートでは高齢者からの回答を多く得たことになる。アンケート調査後、10世帯(14人分、2016年1月時点)へのインタビュー調査も実施した。   2.A団地住民による生活圏の形成  A団地は兵庫県東部X市の中心部から2~3km離れた丘陵地に1960年代半ばに建設されたものである。大阪・神戸方面にアクセスする最寄りのB駅との距離は2km弱、標高差は約60mである。団地前のバス停からは日中に6本以上の最寄駅行バスが発着し、B駅周辺には複数のスーパーマーケットや飲食店、病院などが集積している。また、B駅から大阪中心部までは約30分、神戸中心部まで約40分である。一方、X 市内中心部との距離も2~3kmであり、A団地は生活利便性の高い居住地区であるといえる。  アンケート結果によると、通勤者の大部分は60代以下であり、主な通勤先は大阪市であった。住民全体の移動回数は、大阪市中心部より神戸市中心部の方がやや多いと推定される。これら主要都市への移動手段はB駅からの電車であった。一方、近隣生活圏に関して生鮮品の買物をみると、大部分がB駅周辺・週1回以上であった。その移動手段は多い順にバス、徒歩、自家用車と続いた。買物頻度の年代間差異は大きくなく、80代でやや低下していた。A団地住民はB駅を中心とした生活圏を形成している。  B駅までの移動に関し、団地内の歩行環境をみると、棟内階段への抵抗感は各年代共通して上層階ほど高く、団地内の坂への抵抗感は高年齢層ほど高かった。なお、階段や坂に抵抗を感じない人は各年代共通して3割程度みられた。駅までの移動手段は、60歳未満では徒歩、自転車、バイク、自家用車、バスの利用が分散していたものの、70代より二輪車、80代より自家用車の利用割合が低下しており、年齢の上昇に伴いバス利用と徒歩に集約されているといえる。 そのもとで自家用車はB駅を核とした基本的な生活圏を拡大させる手段として機能していた。   3.加齢によるモビリティ問題の発生  年齢の上昇に伴う移動手段の集約や住民生活圏の拡大に深く関わる運転免許の有無をみると、60代以下で免許保有者の割合が高かった。免許返納意向割合は50代以下で低かった。日常的に運転をしない人の割合が高い60代は「いずれ返納したい」層が高かった。70代以降は日常的な運転に不安を感じない人が一定数おり、「いずれ返納したい」層の割合も下がったが、「返納した」層の割合は高くなった。免許返納を返納したくない理由には、通勤利用や不便さ回避だけでなく、身分証明書になることも挙げられていた。免許保有すなわち運転継続意思、とは異なるようである。年代によって日常生活における自家用車の役割は異なっている点に留意する必要はあるが、二輪車の利用状況も加味すれば、高齢住民のモビリティの転換期は70代であるとみられる。団地内住民間の送迎サポートはさほど活発ではないため、モビリティの維持・再編に対しては、住民本人および各世帯レベルの対応が問題となる。  そこで、各世帯・個人レベルのモビリティとの日常生活との関係を、モビリティ維持型(①自家用車あり、②自家用車なし)、モビリティ縮小型(③自家用車運転とりやめ)に区分して検討した。歩行能力の低下による影響は、それぞれの類型においてみた。検討の結果、怪我や加齢による歩行能力の低下は住民の外出回数の減少をもたらしていたものの、福祉サービスの利用や家族のサポートによって住民生活は維持されていた。また、モビリティが縮小しても、個人や世帯の活動に投入する時間量は多くあり、その下でバス利用や徒歩を拡大させることにより、基本的な生活圏、日常生活を維持することができていた。しかし、加齢に伴う自家用車運転の取りやめや歩行能力の低下といったモビリティの縮小は、住民の生活の質の低下や団地内における孤立化に少なからず影響を与えていた。
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  • 青野 靖之, 徳井 雄介
    631
    公開日: 2017/05/03
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    様々な都市熱環境下での脱水過程を数値モデルで再現し,それと不快指数との関係を求め,不快指数から夜間における脱水量を簡単に推定できる方法を構築しようとした。本研究では大阪府下4地点を対象に,2011~2015年の8月における終夜晴天日(57事例)の夜間脱水量を解析した。脱水過程は二節モデルで再現した。夜間の脱水量に対する不快指数の関係(傾き)は,天空率によって大きく変化した。基準条件(不快さと調節性発汗を伴わない最も温暖な条件)に対する脱水量の増加を天空率と気象データから推定したところ,RMSEで60~90 mlで推定することができた。
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  • 片山 恵梨子, 赤坂 郁美
    P047
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに 近年都市部のヒートアイランド現象が顕在化している。冷涼な海風を取り入れることでこの高温化を抑制できる(清田・清田,2005)。工藤・加藤(2014)は相模湾海風の通過した地点の気温の上昇が抑えられていることを明らかにしている。しかし、海風による気象場の変化を詳細に捉えるためには観測地点を海岸付近を中心に高密度にする必要がある。そこで本研究では相模湾から近い距離に市街地を形成している小田原市を対象地域として海風の冷却効果の範囲、時刻による海風の冷却効果の差異を明らかにすることを目的とする。   2.調査地域概要と調査方法 本研究では沿岸部に市街地を形成している神奈川県小田原市を調査地域対象とする。小田原駅周辺には中層建造物が立ち並び、市街地を形成している。また、市の南西部は低層住宅の密集地となっている。  観測方法は定点観測と移動観測である。定点観測は2016年7月15日から9月25日にかけて、11か所の地点において10分間隔で気温の観測を行った。移動観測は2016年9月25日に2本の測線において自転車で気温と風向風速の観測を行った。観測時刻は10時30分と15時である。気温観測データには器差補正と時刻補正をした。また、海風の冷却効果の強さと気温分布の日変化との関係を調査するために、定点観測期間中において晴天海風日と曇天海風日の抽出を行った。海風日として日本列島が高気圧に覆われ、日本列島周辺の等圧線の間隔が広く、日中に海方向からの風が吹いている日とした。加えて海風日の中から一日の合計日照時間が8時間以上かつ日降水量が0㎜の日を晴天海風日とした。また、海風日の中から一日の合計日照時間が6時間以下かつ日降水量が0㎜の日を曇天海風日とした。   3.結果と考察 観測結果を図1に示す。晴天海風日も曇天海風日も海岸付近のほうが内陸部よりも相対的に気温が低く、気温差は晴天海風日で0.8℃、曇天海風日で0.4℃であった。海岸付近の気温分布に着目すると、晴天海風日のほうが曇天海風日よりも低温域の範囲が広い。また、風配図を見ると、どちらの日も海方向からの風である南南東の風が卓越している。これは晴天日でも曇天日でも海と陸との温度差により、海風が吹くためと考えられる。しかし、曇天海風日は同じ海岸付近でも西部の方が相対的に気温が高い。これは海風の冷却効果があまり強くないため、市街地で発生した人工排熱の影響を受けて気温が高くなっているのだと考えられる。
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  • 相馬 拓也
    704
    公開日: 2017/05/03
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    1.  はじめに
    モンゴルには現在でも、500~1,000頭のユキヒョウPanthera uncia(図1)が生息すると推測される。かつては「山の亡霊」と畏れられ、地域の遊牧民はその存在に畏怖を抱き、毛皮のために積極的に捕獲したり、棲息環境を攪乱することは控えられてきた。そして長年ユキヒョウの棲息圏内に暮らした遊牧民でも、その姿を目にしたことのない人物は多い。しかし、ユキヒョウと遊牧民は現在、経験のないほどの緊張関係にある。集中的な保護による個体数の安定とあいまって1990年代以降、ユキヒョウの生態行動にも変化が現れた。人間を恐れなくなり、頻繁に人前に姿を現し、家畜を襲うようにもなった。ユキヒョウと遊牧民の目撃・遭遇事故は、2013年頃を境に急増し、遊牧民の家畜襲撃被害も頻発するようになっている。とくに宿営地まで来て家畜を襲う例が多数発生している。その報復として、国内法でユキヒョウ狩りが完全に禁止された1995年以降にも、遊牧民による私的なユキヒョウ駆除が複数例確認された。 ユキヒョウが希少動物と害獣のはざまを揺れ動く存在となり、地域の牧夫たちもこの双極性に苦悶する。こうした現状を踏まえ、本調査では両者の保全生態を目的として、R1. ユキヒョウ目撃・遭遇事故、R2. ユキヒョウによる家畜被害の推移、により現状把握を行った。
    2.  対象と方法
    本調査は2016年8月7日~23日までの期間、ホブド県ジャルガラント郡、ムンフハイルハン郡、ゼレグ郡、マンハン郡、チャンドマニ群の4ヵ村で実施した。同地のユキヒョウ棲息山地①ジャルガラント、②ボンバット、③ムンフハイルハンで暮らす遊牧民105世帯を訪問し、構成的インタビューにより集中な情報収集を実施した。上記3地点に生息するユキヒョウは、合計約70~90頭前後と推測される。  
    3.  結果と考察
    R1. ユキヒョウの目撃・遭遇事故 遡及調査により、目撃事例180件、遭遇事故53件を特定したところ、2013年頃を境に急増している現状が明らかとなった(図2)。こうした「ユキヒョウ関連事故」の発生状況をみると、「日帰り放牧中」が38.5%ともっとも高く、次に馬群や牛などの「大家畜の見回り」が34.4%と高い。とくに夏季は家畜が採食活動で高所へ赴くため、その見回りの途中でユキヒョウとの目撃・遭遇頻度が高くなると考えられる。「高所への放牧」「見回り」「狩猟」など、遊牧民の生活と切り離せない日常の活動での割合が82.8%となっている。多くの地元遊牧民がユキヒョウを畏れているが、実際にはユキヒョウの対人攻撃性は低く、自身から人間に襲いかかってくることは稀である。現地居住者117名から、本人体験だけでなく伝聞を聴いても、実際に襲われたというオーラルヒストリーは1件も聞かれなかった。
    R2. ユキヒョウによる家畜被害の推移 ユキヒョウは高山帯や岩山の放牧地で食草するヤギ、また馬を好んで襲っている(図3)。2000年以降で特定できた馬の襲撃被害104頭のうち89頭が死亡、15頭が生存している。ユキヒョウの襲撃からの生存率は14.4%と低い。その場で即死しなくとも、当日~20日間以内に傷が原因で死亡している。死亡した馬で年齢が特定できた25件の平均年齢は1.04歳(満年齢)で、若年の馬の犠牲が多いことが理解できる。25件のうち14件が1歳未満の仔馬であった。ヤクでもとくに満2歳齢以下が好まれる。被害事例では、宿営地(ホト)付近まで来て家畜を襲った例が23件確認された。時期の特定できた22件のうち、18件が2010年以降で、とくに2015年8件、2016年8件とほとんどが最近2年以内に発生している。
    3.  今後の展望
    ユキヒョウ生息圏に在住する遊牧民のあいだには、「政府によるユキヒョウ被害対策への遅れ」や、「家畜被害に対する補償制度の不在」などの不満が募っている。とくに放牧地を保護地に指定されることへの警戒感や強制移動への不満が噴出している。しかし、ユキヒョウによる家畜被害の増加は、遊牧民自身の生活態度と環境配慮の欠如、例えば(PR1) タルバガンの乱獲、(PR2) 家畜の過大所有と過放牧、(PR3) 家畜防衛の怠り、などに起因する可能性もある。いわば遊牧民自身も、家畜をユキヒョウから守る努力を怠っている側面は否めない。 モンゴルの遊牧民にはかつて、自然のバランスが崩れれば必ず自分たちの生活に跳ね返ってくることを理解しながら、その環境共生観/保全生態観を伝承や戒めとともに受け継いできた。物質面、資金面、制度面等のあらゆる側面で依存体質の現代のモンゴル遊牧民には、能動的な家畜防衛という遊牧活動の原点と自己研鑽こそが、ユキヒョウと遊牧民にとっての望ましい未来を確立するように思われる。
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  • 岡田 登
    512
    公開日: 2017/05/03
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    1.はじめに
    農業のグローバル化が進行するなかで、日本では農家の高齢化や離農により経営規模が縮小し、農業後継者も減少し続けていることから、農業法人化を推し進めて産地を強化し、日本農業の構造変化を図ることが求められている。農業法人化は作業の効率化や合理化により経営上や制度上のメリットをもたらしている。これには企業による農業参入を支援することも必要であるが、それだけではなく産地の既存の農家や各種団体に対しても株式会社や農事組合法人等の農業法人化を効果的に支援していかなければならない。本研究では地域農業を維持して農村環境を保全するだけではなく、攻めの農業を目指して産地の強化を図る野菜産地を研究対象として、産地内に存在している農家や企業、各種団体等が既存の産地条件を活用しながら農業法人化するプロセスをたどり、野菜産地がどのように変容しているのかを解明する。
    2.農業法人化の過程
    2010年の農林業センサスをもとに農業経営体数から販売農家数を除き、野菜生産を行なっている農業法人数を推計すると、関東地方では1,386経営体が存在しており、続いて九州地方では1,159経営体が存在している。九州地方のなかでも鹿児島県で野菜生産の農業法人化が進行しており、とくに指宿市にそれが多い。指宿市では1970年に南薩畑地帯総合土地改良事業が事業化され、栽培作物がサツマイモから野菜へ転換された。2000年以降には野菜生産農家数と栽培面積も減少傾向にあり、キャベツ、レタス、スナップエンドウ、オクラに品目の転換が図られている。2016年に指宿市では19の野菜生産を行なう農業法人が設立している。調査事例とした農業法人では、おもに30~40代の農業者が経営している。彼らの多くは他産業に従事していたが、農業後継者として就農すると、既存の農業経営から脱却し、高収益を目指して農業法人化を進めた。一方、仲買業者が生産部門に参入し、農業法人化している場合もある。このような農業法人は生産農家の減少により、販売量を確保するために、自らが野菜生産を行なっている。農業法人にはキャベツとレタス栽培を主力にしているものと、オクラとスナップエンドウを主力にしているものがある。前者は年間70~50ha作付けしており、後者は数十haの作付である。指宿市では農協出荷と仲買業者への出荷が存在しているが、農業法人は既存の流通形態からスタートし、徐々に仲卸業者、小売店、飲食店に直接販売を行なうようになり、流通経費の削減を行なっている。直接販売には一定の販売量を確保する必要があるため、農業法人が生産した野菜の出荷量が不足している場合には、地元農家や仲買業者から野菜を仕入れて補っている。このように農業法人は農業法人化を行ない、農協に頼らない経営を進めている。
    3.おわりに
    農業法人の経営方針は一貫して経営規模の拡大と全量販売先の確保、中間手数料の削減、および直接販売である。農業法人はこの経営を実行するために、既存の産地条件から経営をスタートし、遊休農地を活用して経営規模を拡大し、農産物の安定供給システムを確立させ、さらには品質の向上を図ることで買い手の評価を向上させて、直接販売を実現させている。
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  • 原 雄一
    716
    公開日: 2017/05/03
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    アメリカには3,000kmから4,000kmに及ぶトレイル、アパラチアントレイルやパシフィッククレストトレイルと呼ばれるロングトレイルがある。ロングトレイルの文化が日本に紹介され、各地でコースが設定されてきている。日本は国土がアメリカと比べて狭いことから数10kmから200km程度のロングトレイルが主流となっているのが現状である。3,000kmのロングトレイルは、日本では到底不可能と考えていたが、南北に長い日本列島の地形特性と歴史の深さを活かし、日本を縦断する2つの歴史街道のルートを設定することができた。ルートをクラウドGISに格納し、誰もが使えるスマートフォンで見て歩くことができる仕組みを構築した。
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  • 大田 千絵
    P009
    公開日: 2017/05/03
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    Ⅰ はじめに   
    孤立林は, 大規模な森林から分離されることによる種子供給の偏向や, 林縁が伐開されることによる森林内環境の不安定化, あるいは周辺の植栽樹種の侵入など, 様々な問題にさらされている. 本研究では, 奈良盆地に位置する孤立神社林を調査することにより, それらの植生動態および保全への課題について検討した.

    Ⅱ 調査対象および調査方法    
    調査は, 奈良県田原本町の村屋神社と鏡作神社の神社林を対象として行った. 植生調査は, 神社境内のほぼ全域の中に生育する, DBH10cm以上の樹木を対象とした毎木調査と, コドラート内の組成調査を行った. 組成調査に関しては1979年に行われた調査結果と結果を比較し, 植生変化の傾向を読み取った.

    Ⅲ 毎木調査の結果   
    毎木調査の結果からSDI (Size Distribution Index) を算出し, DBHのヒストグラムとあわせて分析した.  SDIは, 小径木の多寡を表し, 値が大きいほど小径木が少ないことを示す. 現地調査に基づき, 最大DBH40cm 以上の種を林冠構成種とし, これに注目すると, 村屋神社ではイチイガシとスギのSDI値が高く, DBHのヒストグラムは, 最小クラス階を欠いた形になっていた. 鏡作神社では, スギ, クロガネモチ, ナナメノキのSDI値が特に高く, ムクノキ, エノキの値がそれに続いた. DBHのヒストグラムでみても, これらの樹種では最小クラス階の個体数が少なく, 更新が不安定な形を示していた.  一方, SDIとDBHのヒストグラムから, 更新が良い状態であると考えられたのは, 村屋神社ではムクノキ, エノキ, アラカシであり, 鏡作神社ではクスノキとアラカシであった.

    Ⅳ 組成調査の結果  
    両神社林に共通してみられたのは, 高木層におけるムクノキ, エノキの増加であった. また, スギは衰退傾向にあった.  神社別にみると, 村屋神社における顕著な変化は, 社殿裏における竹林化であった. 社殿裏は, 低木層および草本層の植被率が非常に低く, 後継樹はあまり見られなかった.  鏡作神社では, 全体的に草本層にアラカシやクスノキなど, 今後林冠を構成していくと考えられる樹種が出現しており, 村屋神社よりも更新が良いと考えられたが, 一方でネザサの繁茂が著しい調査区も存在した.

    Ⅴ 植生構造・動態の要因  
    聞き取り調査によって, 1998年の台風7号によってスギやヒノキの倒伏や枝折れが起こったことが明らかになったことから, 両神社林に共通する, 高木層における落葉樹の増加およびスギの衰退は, 風害が主な要因であると推察できる.  一方, それぞれの神社のみでみられた変化の要因を考察すると, 人為攪乱による影響が大きいと考えられた. 村屋神社の竹林化は, 台風による林分の衰退が一因ではあるが, 宮司自らタケを植栽したことも大きな要因であると考えられる. また, 鏡作神社では, 1970年代後半から移住してきた新興住宅住民による管理作業が, 植生に大きな影響を与えている. 蚊の多さや, 落葉を嫌った新住民は, 樹種の区別なく下刈りを行っているために, せっかく発芽した樹木の後継樹も生育できていない. このようにして林縁が伐開されることによって, 明るくなった林内にはネザサが繁茂するようになったと考えられる.

    Ⅵ 神社林が抱える問題と保全  
    2つの神社林調査より, 風害という自然攪乱以外にも, 植栽や伐採などの人為攪乱が, 神社林の植生動態に多大な影響を与えていることが浮き彫りとなった. 竹林化もネザサの繁茂も, 後継樹が生育しづらい環境を生み出しており, 今後の神社林の衰退が予想される. 加えて, 孤立林であるという特性上, 周辺から種の侵入によって植生構造が変化することにも注意する必要があると思われる. 現在の植生構造を維持するのであれば, それぞれ適切な管理を実施することが急務である. 
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  • 中井 信介
    703
    公開日: 2017/05/03
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    1 はじめに
    時間の経過とともに人間は生き方(生態)を変えることがある。伝統的な生業を継続して行い、変化の少ない生き方をしているように見える民族集団においても、過去との比較や、地域を比較したときに確認できる差異は、私たちに生業の変化とその要因の検討材料を提供する。
    生業の変化にはいくつかの様態がありえる。例えば多様化、単純化、専業化などである。アジアの稲作を中心とする農村の生業は、自給的な様態から、効率的な換金を主目的とした、より商業的な様態への変化が近年顕著である。
    これまで筆者は東南アジア大陸部の山地に暮らす少数民族であるモン(Hmong)族を対象に、生業の継続性と多様性に関する研究を行ってきた。先にタイにおけるモン村落の事例比較から、生業における域内多様度を検討した(Nakai 2013)。その際に、大部分の村落で伝統的な小規模家畜飼育が継続されるいっぽう、都市近郊の一部の村落において豚飼育が専業化する傾向を指摘した。本研究では豚飼育が専業化する過程とその要因の検討を目的として、タイのペッチャブーン県KN村の事例から考察する。

    2 調査対象

    KN村はピサヌローク市街から車で約1時間程度の距離に位置する。集落標高は約680mであり、周辺はなだらかな高原地帯である。KN村は1980 年代半ばに成立した。
    タイにおいてモン村落は、北部を中心とする13県に253村が分布する(MSDHS, 2002)。ペッチャブーン県には23村が存在するが、KN村は実質11村の集合体であり県のモン村落の半分を占める。KN村の人口は2014年の調査時に約5000人を示し、 特異な規模である(タイのモン村落の標準的な人口規模は約1000人)。
     
    3 結果と考察

    本研究では一部の世帯により大規模かつ専業的に豚飼育を行う3つの事例(A氏、B氏およびC氏)を確認した。事例では大型精米機の導入が共通の前提であり、精米機の導入とそれに伴う潤沢な米ぬかの確保、そしてその豚餌への利用が成立してはじめて大規模飼育が開始されていた。
    KN村では約20年前から大規模な飼育を行う一部の世帯が出現し、豚は儀礼等に備えて各世帯で日常的に飼育しておく存在から、必要時に購入して利用する存在へ次第に変化した。この意味において、KN村ではモンの伝統的な生業の1つであった豚飼育が、一部の大規模な飼育者により専業的に行われる状況に変化したといえる。
    本事例は村内において機械の導入により生産性が向上した部門が現れて専業化を進め、他はその影響により生産をやめるに至ったことを示す。これは豚の利用に伴う調達が効率化の論理に沿って最適化する過程を、人の生き方の変化として確認したとみなすことができるであろう。

    文献

    Nakai, S. 2013.Intra-regional variety of subsistence activities: A case study of Hmong hillside villages in northern Thailand. Abstracts of International Geographical Union 2013 Kyoto Regional Conference.
    MSDHS 2002. Highland communities within 20 provinces of Thailand, 2002. MSDHS: Ministry of Social Development and Human Security, Bangkok. (in Thai)
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