抄録
I はじめに
中国では,1978年の改革開放以降,生産責任制の導入により,農業経営における農家の自主権が認められた.綿花生産においては,国による専売体制が1998年まで維持されていたものの,その生産から流通まで自由化の進展がみられた.1999年以降,農民所得の向上をめざす農業構造調整の下で,土地の集積・機械化による農業の大規模化・集約化が図られた.そのような背景の下で,北京大都市圏の外縁地域に位置する綿花主産地である河北省高陽県では,ごく少数の大規模農家は企業型農業経営を実施し,経営規模の拡大を図ってきた(王,2007).本研究は高陽県にあるL農場を取り上げ,綿花栽培の開始から,現在の企業型農業経営への転換過程を考察する.
II L氏による綿花栽培の開始
1985年,L氏は地元の村民委員会と農地請負契約を締結し,高塩分・高アルカリ農地6.7haの経営権を取得した.L氏は土壌の改良と灌漑施設の設置を行い,1988年,ナシや桃などの果樹の栽培を開始した.1990年,果樹と穀物を栽培するとともに,ヤギとウサギの飼育も始めた.1992年から,中国における綿花生産の不足問題が顕著化し,政府が綿花の買い付け価格を引き上げた.その影響をうけ,L氏は1994年に村民委員会と契約する請負農地を22haに増やし,綿花栽培を開始した.
III 家族型農業経営から企業型農業経営へ
L氏は1995年に農産会社(L農場)を設立し,綿花の栽培面積を80haに拡大した.しかし,雹の被害を受けるとともに,綿鈴虫(Cotton Boll Weevil)の大量発生により,綿花の収穫はなかった.1996年以降,L農場は天候に影響されやすい綿花の栽培面積を減らし,穀物生産を拡大するとともに,薬用作物や野菜などの栽培も開始した.1998年から,L農場は綿鈴虫に強い遺伝子組み換え綿花品種を導入し,アメリカの農産会社と採種契約を締結した.2001年,L農場はすべての綿花栽培において遺伝子組み換え品種に切り替え,その面積は約333haで,出荷額は350万元に達した.
2002年,『農村土地承包法』の成立により,農地利用権の合法的な有償移転が条件つきで可能となった.同年,L農場は高陽県以外の地域への出耕作を開始し,建設した綿繰工場での加工および販売を始めた.その後,L農場は出耕作地域を拡大するとともに,各地域の綿花生産農家と契約栽培を締結し,種子の提供・技術の指導・農業機械の貸与を行ってきた.2007年現在,河北省を含む5つの省において,L農場による綿花栽培が行われており,その面積は約1,979haである.その他,河北省,陝西省,北京市におけるL農場の契約農家は584戸で,合計栽培面積は約567haである.
IV まとめ
L農場による家族型農業経営から企業型農業経営への転換過程において,作目の多様化や契約栽培の導入などにより,収益の安定化が図られた.同時に,出耕作による生産拡大と,加工・販売への参入による農業経営の多角化が実現された.
文献:王 岱 2007. 中国の農業構造調整下における綿花生産地域の変容―河北省高陽県を事例に.『日本地理学会発表要旨集』NO. 72: 108. 日本地理学会.