抄録
中国・雲南省では、国内における観光需要の増大を背景として、1990年代後半から農家民宿をはじめとする観光施設が各地で営業を開始し、農村地域のおける農家収入の確保に大きく貢献してきた。しかし、これらの観光施設の中には外部資本によって開発が進められ、地域住民が観光地域の形成に主体的に参加できない事例も多く、観光地化の進展が農家の所得水準の向上や地域社会の発展に必ずしもつながらないなど、多くの問題点が指摘されている。したがって、今後の農村地域の発展を考える上では、内発的で自律的な観光事業の運営こそが重要であり、そのための基礎的作業として自律的な観光事業が実現している事例についての詳細な分析が不可欠である。
そこで本発表では、雲南省北西部の玉龍県に位置する湖である拉市海の周辺地域を対象として、組(小隊)単位で農民による共同経営が行われている観光乗馬施設の形成プロセスと経営の実態を明らかにし、今後の自律的な観光施設経営のあり方を探ることを目的とする。農民が主体となって経営されている乗馬観光の実態や、それが各農家の所得向上に果たしている機能を具体的に明らかにすることで、地域住民による自律的な観光施設経営の可能性を探るための手がかりが得られるものと考える。
拉市海は、玉龍県の南部に位置する湖である。1997年に世界文化遺産に登録された麗江市古城区から約10km西方にあり、雲南省有数の観光地である麗江市の重要な水源の1つとなっている。省内でも有数の高原湿地として、湖一帯は自然保護区に指定されており、観察される鳥類は60種以上に及ぶといわれる。美しい自然景観を持つことから、麗江市への観光客の増加に伴い、拉市海を来訪する観光客数も増加しており、それらの観光客の多くが地元の農民が組織する観光協同組合(旅行経営合作社)が運営している乗馬やポートを利用している。
乗馬観光が開始されたのは1998年頃で、農民が馬を湖畔で放牧していた折に、ある観光客の要望で乗馬させ10元の収入が得られたことが契機となったといわれる。当時、住民の大半を占める納西族の人々は、水田耕作をはじめとする農業・漁労・家畜飼育・出稼ぎ等により生計を立てていたが、平均年収は麗江市平均に比べかなり低かった。しかし、観光客に乗馬を楽しませることにより容易に現金収入が得られることが認知され、2004年からは組単位で観光協同組合が組織されるようになり、農民による本格的な乗馬観光への取り組みが始まった。
例えば、海北恩宗三隊では2004年に集落のほぼ全戸に当る60戸で観光協同組合が組織され、各戸が馬1頭、ボート1艘を提供して営業が開始された。乗馬施設の建設や道路補修などに要する費用は各戸が共同で負担し、現在まで外部資本を全く入れずに経営が続けられている。現在は、馬の提供頭数も増加し800頭を超えるに至っており、全60戸を4つのグループに区分し、1グループがボート営業、残る3グループが乗馬営業を担当し、ローテーションで担当を交代する仕組みで運営が進められている。乗馬施設にはレストランも併設されており、これらの従業員を含めると従事者数は全体で約70人にのぼる。また、組織運営は、組合員の投票により選出された責任者を中心に行われ、責任者を中心に全員で経営方針を決定する方式がとられている。ボート料金は1人当たり90元、乗馬はコースにより料金が異なるが1人当たり180~280元であり、1日200人程度の利用者がある。これらの収益は、提供された労働に応じて各戸に毎日分配されており、組合員は安定した現金収入の獲得に成功している。
このように、拉市海周辺においては、農民たちが組単位で観光協同組合を組織することにより、住民による自律的な観光施設経営が実現されている。