日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 920
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微地形・森林景観に認められる過去の木炭生産の痕跡
-仙台市北西部、泉ヶ岳周辺を例に-
*西城 潔松林 武森下 信人
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キーワード: 二次林, 林野利用, 炭窯, 仙台市
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抄録
1.はじめに わが国では、1950年代末の燃料革命以降、丘陵地・台地に分布する二次林の薪炭林利用が急速に衰退した。その結果、人為の及ばなくなった二次林では、植生遷移が進行しているといわれている。しかし燃料革命から半世紀以上を経過した現在でもなお、二次林には、それ以前の人為の痕跡を認めることができる。そのような痕跡を読み解くことにより、過去の人為と自然との関係や、人為が景観形成にはたした役割をより詳細に論じることが可能となろう。 本発表では、仙台市北西部に位置する泉ヶ岳(1172m)の周辺を例に、微地形および森林景観に認められる過去(おそらく大正~昭和初期)の木炭生産の痕跡について報告する。 2.調査地域の概要  泉ヶ岳は船形火山群に属する第四紀火山で、地形的には奥羽脊梁山脈の東端に位置する。泉ヶ岳の東方には背面の標高300数十m程度の丘陵地が広がっており、この丘陵地上に広がる二次林は、藩政時代から木炭生産に利用されてきた。泉ヶ岳南東麓に位置する旧根白石村の資料によれば、木炭生産は明治以降急増し、1930(昭和5)年~1935(昭和10)年頃の生産量は年間20万俵前後に達した。この時期を最盛期とし、以後、生産量は減少に転じることとなる。とくに1950年代中期(昭和30年頃)以降、生産量は急減する。ただし本地域では、燃料革命以後も複数名が木炭生産を行っており、2010年末現在、少なくとも2名が継続中である。 3.泉ヶ岳周辺における過去の木炭生産の痕跡 (1)炭窯跡 過去に木炭生産が行われていた場所では、いまなお炭窯の跡が微地形として認められることがある。調査地域周辺で使われてきた炭窯の形態や大きさを参考に炭窯跡の認定基準を設定し、現地でその分布を調査した。その結果、泉ヶ岳山麓では標高790m付近まで多数の炭窯跡が分布することがわかった。その時代は、文献や聞き取り調査の結果、炭窯跡に生育する樹木の樹齢から、1920~1940年代、すなわち大正~昭和初期頃であったと考えられる。この時期は、上記の木炭生産量の増大期に当たる。 (2)森林景観  現存植生図によれば、泉ヶ岳周辺にはミズナラを主とする落葉広葉樹林やスギ・カラマツなどの植林地が分布する。植林地が分布することは、植林に先立って無樹木地が広がっていたことを示唆する。また広葉樹林に覆われる2つの炭窯跡A(標高610m)・B(標高790m)の周辺において、ライントランセクト法による樹木調査を行った。泉ヶ岳南斜面に位置する炭窯跡Aの背後斜面は、ミズナラ・アカマツ・マンサクを主とする広葉樹林に覆われている。約3割の樹木が株立ち樹形を呈しており、極相樹種と考えられるブナはみられない。また泉ヶ岳北方に位置する炭窯跡Bの周辺では、窯跡を中心に10数~20数mほどの範囲にはウダイカンバなどの陽樹からなる林分が成立し、その外側にブナが多く分布する。そのブナの中には、胸高直径が1m弱に達するものもみられる。聞き取り調査によれば、泉ヶ岳周辺の炭焼きの際、1町歩につき3本程度のブナを母樹として伐り残したとのことであり、そのような伐採施業上の措置を示唆するものかもしれない。 4.まとめ 炭窯跡の特徴(分布・時代)から、泉ヶ岳周辺では大正~昭和初期頃、木炭生産のための伐採が標高800m付近まで及んでいたことがわかる。現在もみられるスギ・カラマツ植林地は、木炭生産のための伐採跡地を利用して作られたものであろう。それ以外の場所は、伐採後、広葉樹林に覆われるようになるが、いまなお森林の種組成や樹齢構成に、伐採およびその後の遷移の過程、伐採施業上の配慮といった痕跡を認めることができる。
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