日本地理学会発表要旨集
2011年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 330
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地名の再命名
インナーシティの衰退とアイデンティティ・ポリティクス
*原口 剛
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抄録

本研究の対象地域 本研究の対象地域は、大阪のインナーシティの一角、大阪市西成区北東部に位置する簡易宿所街・釜ヶ崎である。釜ヶ崎は簡易宿所街であると同時に日雇労働市場・寄せ場であり、東京の山谷、横浜の寿町、名古屋の笹島と並ぶ「四大寄せ場」として知られてきた。また、釜ヶ崎の簡易宿所に居住する日雇労働者は、港湾運送業や建設業といった国内の基幹産業に従事してきた。しかしながら1990年代以降、釜ヶ崎における日雇労働の求人は急激に減少を始め、恒久的に職を失い簡易宿所の宿賃を支払えなくなった日雇労働者が野宿生活を余儀なくされるという事態が大規模に生じた。こうして釜ヶ崎は、「ホームレス問題」が集中的にあらわれる地域として社会的な注目を集めるようになった。脱工業化や経済のグローバル化によってインナーシティが衰退するという現象は世界各都市でみられるが、釜ヶ崎の労働市場の縮小は、これを典型的に示す事例だといえるだろう。 釜ヶ崎という地名  上記のような地域の衰退という事態を受け、日雇労働者の集住を基盤として形成された社会関係や文化もまた、大きく変容しようとしている。本研究では、このような文化的・社会的変容を明らかにするために、釜ヶ崎という地名に着目する。  釜ヶ崎という地名は、地図に記載されるような公的な地名ではない。元来小字名として存在していた「釜ヶ崎」は、1922年に町名が改正されることによって公的な地図記載からは抹消された。しかしながら、当地に位置する簡易宿所街を名指す通称として、その後も「釜ヶ崎」という名は使用され続けた。  1961年8月に勃発した第1次暴動は、「釜ヶ崎暴動」あるいは「西成暴動」としてマスメディアによって全国的に報じられ、現在までつづくネガティブなイメージ(たとえば「こわいところ」)が「釜ヶ崎」に対して付与された。これを受け、大阪市・府行政はこの地域を「あいりん」という名で再命名し、マスメディアや行政文書では当地域は「あいりん」という名で名指されるようになった。 このような過程の帰結として、当地域には「釜ヶ崎」「あいりん」という二つの通称が付与されたことになった。これら二つの地名のうちどれを使用するかという選択は、主体が置かれたポジショナリティと密接に関連している。すなわち、地域内においては、日雇労働者や労働運動体が「釜ヶ崎」という用語を使用するのに対し、町会や商店会等はそのネガティブなイメージゆえに「釜ヶ崎」を忌避し、「あいりん」を使用する。「釜ヶ崎」という地名は、このような地域内の対立関係のなかで再生産されてきたのである。 本研究の目的  しかしながら、労働市場の縮小が顕著になり地域が衰退するなかで、このような地名の再生産構造は大きく変容しようとしている。本研究では、当地域を再命名し地域アイデンティティを再構築ようとするいくつかの試みを取り上げて、当地域の文化的変容を記述することを試みる。そのことによって、インナーシティの衰退という経済的事象とアイデンティティ・ポリティクスという文化的事象の相互関係を考察する。

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