抄録
1.研究の目的 本研究では、歴史的防災施設(第2次世界大戦以前に建設された防災施設)とその関連事物が喚起する、災害の記憶を活用したまちづくりの展開をとおして、歴史的防災施設が持つ今日的意義について考察する。研究対象として、和歌山県広川町広地区にある広村堤防、北海道函館市の緑地帯をとりあげる。2.歴史的防災施設の活用 被災地では被災施設が災害の記憶を伝えるモノとして保存・公開されているが(小川,2002)、歴史的防災施設も災害の記憶を継承するモノの一つである。この場合、防災施設は地域復興の証であり、地域資源と見なすことができる。具体的な例として、緑地帯、堤防、堰などがあげられる。しかし、復興事業の遺産である防災施設は、国土開発や都市化の進展、科学技術の進歩にともない消滅の危機に瀕するものもある(越澤,2012)。 そうしたなか、歴史的防災施設を保存することによって災害の記憶を継承し防災意識を向上させるにとどまらず、当該施設を地域のシンボル・地域振興の核とする動きも見られる。これは、防災施設が喚起する災害の負の記憶とそこからの復興の記憶を活用したまちづくりと見ることができる。3.津波の記憶を継承するまちづくり 広村堤防は、1858(安政4)年に完成した津波防災施設である。国の史跡に指定されるなど文化財的価値も有する。広川町では、広村堤防とそれに関連する事物を中心に津波の記憶を継承するまちづくりを進めている。 津波災害の記憶は、2012年に109回目をむかえた「津波祭」で継承されてきた。広村堤防を開催場所とするこの行事には、地元の小学校6年生の児童と中学校3年生の生徒が参加し、防災教育の意味合いも有する。2002年からは「稲むらの火」を再現するイベントとして「稲むらの火祭り」が開催されている。参加者は、広川町役場前の稲むら広場から広八幡神社までの約2kmを、広場で採火された松明を持って練り歩く。この行事は郷土の偉人・濱口梧陵の功績をたたえるとともに、地域活性化の目的をも有している。2007年に開館した「稲むらの火の館」は、濱口梧陵記念館と津波防災教育センターを併設し、防災教育の拠点として、また濱口梧陵の功績と教訓を伝える施設である。4.大火の記憶を継承するまちづくり 函館の市街地に縦横に張り巡らされた緑地帯は、1934(昭和9)年の函館大火後の復興事業で造られた防災施設である。現在では、その一部がイベント広場として利用されている。しかし、同時期に復興事業で建てられた耐火建築物は老朽化が進み、取り壊わされるものも出てきた。函館大火の記憶の一部は大火慰霊堂における慰霊法要を通じて確実に次世代に継承されているが、近年の行政による復興小学校の取り壊しや地元住民の緑地帯に対する意識をみると、防火に対する意識が低下しているようにも見受けられる。5.おわりに 本研究では、歴史的防災施設が災害と復興の記憶を伝え、まちづくりの核として重要な役割を果たしていることが明らかとなった。過去に災害を受けた地域社会のなかで歴史的防災施設の本来の役割と象徴性が再認識され、災害に関連する他の事物とともに次世代に引き継がれることが、今後のまちづくりを進めていくうえで欠かせないと考える。