抄録
Ⅰ 問題の所在観光がホスト社会に与える文化的な影響に関して、多くの研究が蓄積されているが、それらに大きな影響を与えてきた枠組みとして、アーリの「観光のまなざし」と太田好信の「文化の客体化」が挙げられる。近年、とりわけ「新しい観光」において、地域住民の日常生活に根差したありふれたものが観光振興の拠り所として評価されつつあり、従来住民生活の一部と目されていたものや住民自身を観光資源とする動きがみられるようになった。こういった生活空間の観光化において、地域住民にとって生活空間は日常生活の場でもあるため、彼らは必ずしも「観光のまなざし」に迎合したり、意識的に文化を「客体化」するとは限らない。すなわち、従来の研究で重要であったこれらの枠組みは、「新しい観光」下で観光資源として評価され、ますます重要かつ不可欠なアクターとなってきた地域住民に、必ずしも単純に適用することができない。したがって、生活者としての側面を保持したままの観光実践を求められた地域住民のあり方を、観光振興に伴う今日的な現象として検討する必要があろう。このような観点から、本報告では徳島県三好市東祖谷地域を研究対象地として、地域住民が「観光のまなざし」をいかに理解し、生活空間のなかでいかに観光実践を行っているのかを、観光実践に対する意味付けや思惑に注目して考察する。Ⅱ 観光のまなざしと住民実践の断絶東祖谷地域における観光のまなざしと地域住民の関係は、観光のまなざしを積極的に受け止めるケース、反発するケース、ほとんど関心を払わないケースに大別できる。しかし、すべてのケースに共通して観光のまなざしに対する一定の留保がみられることが特色であり、観光実践に際しては、彼らの多くが生活感覚に基づき真摯さを大切にした実践を行っている。すなわち、観光振興や観光実践に意欲的なホストも含めて、ホストは必ずしも観光のまなざしに直接的に迎合しているわけではない。本報告で「沈潜」と呼ぶこうした関係性は、コンサルタントが重視する「素朴で真正な山村」という東祖谷地域の魅力的な特徴に結び付くものであると同時に、地域住民による観光実践の自由度の高さを保障するものである。しかし「沈潜」の地理的背景を検討することで、この一見すると双方にとって有益な関係がはらむ矛盾がみえてくる。Ⅲ 「沈潜」の地理的背景と地域の今後東祖谷地域における「沈潜」は、都市部からの遠隔性、基幹産業と観光業の関係あるいは過疎化といった地域的要因が相互に絡み合うことで生じている。とりわけ隣接する西祖谷地域と比較して、観光入込客数の増加が難しく、観光収入が低く不安定であるため、東祖谷地域の多くの住民が観光振興に対して消極的であり、これが「沈潜」を生む大きな要因となっている。一方で、「沈潜」は観光実践を行う地域住民と観光振興の効果的な協働を阻害する側面があり、将来にわたる持続的な観光振興の障害となるおそれがある。ホスト社会に対する観光のまなざしの影響やその受容のあり方は地域性と密接にかかわっている。したがって、東祖谷地域にみられるような観光実践のあり方や観光のまなざしとの関係性は、他の農村地域、なかでも観光業をめぐる状況が厳しいなかで「新しい観光」による観光振興を模索する地域においても観察されうると考えられる。