日本地理学会発表要旨集
2018年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 712
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発表要旨
ゲル地区居住者にみる,ウランバートルへの移住・移動と定着
*松宮 邑子
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抄録
1.問題の所在

モンゴル国では,近年顕著に首都ウランバートルへの人口と都市機能の一極集中が進んでいる.1990年に民主化をむかえたモンゴルでは,1990年代半ばに国内の人口移動が自由化されて以降,特に2000年代に入り首都への流入が加速化した.この背景として,民主化後の不安定な社会・経済状況に加え,1990年代末から連続的に発生した大規模な寒雪害や2002年に改正・2003年に施行された通称土地法に基づく首都の土地私有開始が追い打ちをかけたと指摘され,2000年時点で35%だった市人口に対する移住者の割合は2010年には50%を超えている.2017年現在,首都の人口は130万人を超え,全国の人口約310万人の半数近くが居住するまでとなった.市人口のうち約60%にあたる74万人の住まいがあるのは「ゲル地区(гэр хороолoл)」と呼ばれる居住地であり,ゲル地区はウランバートルの人口増加とともに拡大してきた.

ゲル地区では,居住者が自ら木や鉄の柵で敷地を囲い区画を形成する.地区内は区画が連なり街区が形成されているものの道の舗装はされておらず,車がやっと通れるほどの道幅だったり,雨が降ると歩くのも困難という場所も多い.居住者は区画の中で,もともとは遊牧生活に用いる羊毛製のテント家屋であるゲルや,木材やレンガなどを用いて自作した固定家屋を設置して生活する.ゲルを住居としつつも家畜を飼うことを主な生計手段とする例は稀である.もう一方の居住地であるアパート地区(байшин хороолoл)とは異なり,上下水道や集中暖房システムは未整備であるものの,地区内には給水所が設置され電気も引かれており,居住者は「都市的」な生活を営む.

 そもそもゲル地区の歴史は古く,1924年にモンゴル人民共和国が成立し「近代化」をむかえる以前から存在する.都市居住地としての姿は社会主義化,民主化を経てなお今日まで続いてきたが,その意味合いは時代とともに異なってきた.すなわち,都市建設の進められた社会主義時代には過渡的な居住地と位置づけられアパート化が進められたのに対し,民主化以降は再開発の進まない一方で無秩序な開発や条件不良地への区画形成が進み拡大の一途をたどっている.

2.本報告の位置づけ

これまでの現代ゲル地区を取り上げた研究では,特に2000年代の様相を例に,ゲル地区を「地方からの流入人口により無秩序に拡大してきた居住地」と位置づけ,冬季に排出される煤煙を原因とする大気汚染やアパート地区に比べ貧困層の集積する実態を,都市環境問題や社会問題として取り上げてきた.それに対し本研究では,「居住者が自ら住まい空間をつくりあげてきた」という立場から,ゲル地区の形成過程,つまりは主体である居住者がゲル地区に定着していく過程を明らかにする.モンゴルの都市化を扱った研究では,ウランバートルへの人口集中の実態やゲル地区の平面的な拡大が明らかにされてきた.一方で,その主体となる居住者がなぜ移住・移動するのか,住まいはどのように選択するのかといった,都市化の過程における人の移動に関しては十分な言及がされてこなかった.

ウランバートルの人口動態を見ると,たしかに2000年代初頭の増加は流入によるものだが,2010年代に入り増加しているのは市内における出生数である.人口ピラミッドからも,若年層の流入による増加とともにその層による世代の再生産が進んでいることが明らかだ.つまり,これまでの指摘ではウランバートルの増加する人口やゲル地区の拡大は流入者に起因するとされてきたが,ウランバートルをめぐる居住地移動を考えるにあたっては,すでにウランバートルで生まれ育った層の存在やそれらの人々の移動も無視できない実状にある.

こうした課題をふまえ,本報告では2015年および2017年に実施した現地調査の成果から,個々の居住地移動をもとにゲル地区居住者のウランバートルへの移住,その後の都市内移動を経て現居住地に至るまでの過程を分析・整理し,居住者がゲル地区に住まう過程を明らかにする.
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© 2018 公益社団法人 日本地理学会
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