日本地理学会発表要旨集
2019年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 705
会議情報

発表要旨
山岳観光と移牧
中部ネパール、アンナプルナ南麓における事例
*渡辺 和之
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録

山岳地域の観光資源のなかで、しばしば登場するのが移牧である。だが、羊や水牛を対象とした移牧は、牛やヤクのそれほど知られていない。また、山岳地域の保全活動では、国立公園や森林保護政策の影響で、放牧の規制が起こることがある。中部ネパールのアンナプルナ山麓では、エベレスト地域を国立公園とした際に起きた問題の反省から、アンナプルナ山麓を保全地区に指定し、ACAP(Annapurna Conservation Area Project)の指導のもと、住民参加の環境保全活動をおこなってきた。

発表では、アンナプルナ南麓における羊と水牛を対象とした移牧の調査をもとに、ACAP、地元の社会組織、移牧に関わる牧夫の関係を考察してゆく。調査は2018年3月と2019年1月の計3週間おこなった。

アンナプルナ山麓が保全地域に指定されたのは、1992年である。保全地域では、国立公園と異なり、住民が地域内に残留し、生業活動したまま、域内の環境保全に尽力することになる。このため、当時考えられていた住民参加による森林保全の考え方がアンナプルナ保全地域には適用された。国立公園の場合、保全政策は公園管理局の決定に従い、現地に適用されるが、保全地区の場合、ACAPの助言に従い、地域住民が組織を作り、保全計画を作成し、地域の保全活動に加わる (Stevens 1997)。また、保全地域内では観光客向けのロッジで薪の利用が禁止され、代替燃料の使用を義務化した。特に観光客が訪れるアンナプルナ内院は、特別保護地区に指定され、「車道の延長禁止、荷役家畜の立ち入り禁止、地元の文化を尊重し、特別保護地区内では肉食禁止」などの厳しい規制がかかる。

現在、ガンドルック行政村には、確認できただけでも、3組の羊飼いがいた。水牛を飼う牧夫は村ごとにいる。なお、調査村ではヤクは飼養されていない。羊飼いの季節移動を聞き取りした所、アンナプルナ南峰の南斜面やアンナプルナ内院で夏を過ごすグループがいた。羊飼いは、冬には1000m前後まで下りて収穫後の畑で滞在するが、行政村を越えて放牧する場合、放牧料を移動先の行政村に収める。またどこで誰が放牧するかは、基本的に村ごとに決まっている。ただし、その村の羊飼いと一緒に放牧すれば問題ないとのことである。移動する高度差は、羊の場合、4500m前後から1000m前後、水牛の場合は3000m前後から本村の標高(1500-2000m)になっている。

ACAPは家畜を対象にした支援活動もおこなっている。家畜の予防注射や羊毛加工の技術を導入するなどもやっていた。また、かつては、移牧の羊毛を用いた羊毛製品を作っていたが、最近は織り手がおらず、自家用のみである。また、ACAPの指導で絨毯を織って観光客にも売っているが、あまり売れないという。以上のように、ACAPの活動は、観光客や観光業者には厳しい規制をもたらすものであるが、住民生活には配慮した形になっている。牧畜に関する限り、地元住民の生業活動を妨げるものにはなっていない。

アンナプルナ周辺には、グルンやマガールなど、中間山地帯の民族が多く住む。密集した集村、石積みの家、石畳の道などの景観は、これらの民族に共通した文化である。住民もそうした伝統的な家屋の外観を残したロッジを使い、村の民族文化を観光資源としているが、観光客の関心は、あまり向かない。彼らの関心はトレッキングや山岳景観にある。「シェルパやヤクはエベレストの風景の一部」に相当する観光客の認識がアンナプルナにはない。ネパールの山岳観光には、中間山地帯のチベット=ビルマ語系の民族文化に対する視点が欠けていることを痛感した。

著者関連情報
© 2019 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top