日本地理学会発表要旨集
2019年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 704
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発表要旨
ネパール, クンブ・ヒマールにおけるトレッキング観光とそれをささえる家畜輸送
*渡辺 悌二白坂 蕃孫 玉潔韓 志昊徐 翰林レグミ ダナンジャイ
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抄録

ネパール・ヒマラヤの核心部クンブ・ヒマールでは,トレッキング観光開発が急速に進んでいる。高所でシェルパ族が行ってきたヤクの牧畜業がトレッキング観光の開発によって変容を遂げてきたことは,すでにいくつかの研究によって指摘されているが,特に2000年前後以降の著しい開発の影響については研究がない。そこで,本研究では,最近のトレッキング観光開発を明らかにしたうえで,それを可能にしている物資輸送システムについて現地調査を行った。

 2016年のエベレスト山の登山隊の人数は860人で,この地域の主要なピークの登山隊の総人数は数千人規模であった。一方,2018年のトレッカー数は5万5千人を超えている。トレッカー数の方が圧倒的に大きいため,観光による地元への影響は,トレッカーを中心に議論されてきた。しかし,必要物資が著しく多い登山隊は,物資輸送に無視できない影響を与える。そこでここでは,トレッカー,登山隊,ロッジ・食堂・商店が必要とする3系統の物資運搬について,ナムチェバザールより高所地域でデータを収集した。ナムチェバザールより低所ではヤクの使用ができず,かつてはゾプキョによる物資輸送が行われてきたが,現在ではミュール(ウマとロバの交配種)がほとんどの物資輸送を担っている。そこで,クンブ・ヒマール地域での玄関口であるルクラでミュール輸送に関する聞き取り調査を行った。

 ナムチェバザールより低所で主として荷物輸送を行っているミュールは,サルレリまでトレックで輸送されたプロパンガス,灯油,米,小麦粉などの物資を,サルレリから2日間かけてルクラまで運ぶ。サルレリには少なくとも27軒の,ルクラには8軒の問屋があり,多くの問屋はミュールを所有している。ルクラには大きな問屋が3軒あり,そのうち2軒について聞き取りを行った。1軒は,12頭のミュールを所有して,サルレリ・ルクラ・ナムチェバザールにそれぞれ倉庫を持ち,サルレリ=ナムチェバザール間で物資輸送を行っている。この家族は,ミュールで年間20万kgのプロパンガス,灯油などを運び,またカトマンズ=ルクラ間を飛ぶ小型飛行機を使って,年間20万kgの壊れやすいもの(ビスケット,インスタントヌードルなど)を輸送している。ヘリコプターも年間10〜20回ほど利用するが,無視できる輸送量に過ぎない。もう1軒は40頭のミュールを所有している。

 ナムチェバザールまでミュールで輸送された物資は,集落内にある数軒の問屋で雄ヤク・ゾプキョに積み替えられ,さらに高所の集落に分散するロッジ食堂・商店に運ばれてゆく(ただし食堂は基本的にロッジ併設,独立商店は小規模で,ロッジに運搬されるものがほとんど)。雄ヤク・ゾプキョの所有者は,ロッジから注文が来るとすぐに問屋に向かう。これを可能にしたのは携帯電話の導入である。従来,遠方の放牧地で飼育されていた雄ヤク・ゾプキョは集落の近くに置かれ,物資輸送の機会を待っている。

 一方,トレッカー・登山隊の必要物資の一部もミュールで低所から運搬され,ナムチェバザールで積み替えられる。トレッカー用の荷物の一部は,カトマンズのトレッキング会社から携帯電話でゾプキョの所有者に連絡が入ったあと,ルクラから高所まで運搬される。同様の依頼はロッジオーナーからも行われる。登山隊はナムチェバザールの上にある小型飛行機用の滑走路にチャーター機でカトマンズから運ばれた物資をヤクがそれぞれの山のベースキャンプまで運搬する。

 ヤクは,本来,所有者が居住する集落の「テリトリー」内でのみ放牧され,その放牧地の分布は,Stevens (1996)らの研究で明らかになっている。そこで,1997年,2017年および2018年に,登山道上で出会った雄ヤク・ゾプキョについて,所有者の居住村落名を聞き取りした。その結果,本来の放牧地とはまったく異なる「村外」の登山道でトレッカーの荷運びをしていることがわかった。一方,1990年代と現在とでは,ヤク・ゾプキョが運搬する物資の内容に違いが認められた。現在では調理に使用するプロパンガスや灯油を運搬するヤク・ゾプキョが多数見られる。

 ヤク所有者への2017・2018年の聞き取り調査の結果,2017年に荷運びに使用された雄ヤク・ゾプキョの延べ頭数・回数は,ロッジ・商店用が700頭・回で最大で,次いで登山隊用が462頭・回,最も少ないのがトレッカー用で90頭・回であった。

 クンブ・ヒマールでは,家畜のほかに人による物資輸送が行われているが,その量の推定は困難である。ロッジ建築のための資材のほとんどは人が運搬している。また,トイレットペーパー等かさばるものやビスケットなどの壊れやすいものも人による運搬が好まれている。

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© 2019 公益社団法人 日本地理学会
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