抄録
1.はじめに
国際地理連合・地理教育委員会が2005年に発表したルツェルン宣言では、持続可能な開発を実行する地理的能力として、自然システムや社会-経済システムに関する地理的知識や地理的理解、地理的技能、態度と価値観 を挙げている。本研究では、ルツェルン宣言のいう「『世界人権宣言』に基づくローカル、地域、国家的および国際的な課題と問題の解決を模索することに対する献身的努力」を地理的な“態度と価値観”の一つとした上で、課題解決への意欲の喚起や向上に関する従来の地理学習の課題を整理する。そして、学習上の課題を克服することを目的として、水俣病問題と支援者を題材とした単元開発を行い、高校での授業実践の成果と課題について報告する。
2.「課題解決への意欲」育成のための課題
地理教育では様々な社会的課題について学習するが、学習者は身近な地域の課題については当事者意識を持ちやすいものの、海外など遠隔地で発生している事象(貧困、民族問題、環境問題)については、しばしば当事者意識が希薄であったり欠如したりする。また、ある課題について学習して興味・関心を抱いたとしても、直接の当事者ではない自分にできることはない、と無力感から思考停止に陥る学習者も少なくない。
ある課題の直接の当事者ではない人間にできることはあるのか、その課題に関わろうとすることにどのような意味・意義があるのか、地理教育において学習者に考える機会を設ける必要があろう。
3.水俣病問題と支援者を題材とした単元開発
「課題解決への意欲」を育成するための単元開発を、水俣病事件の被害者とその支援者を題材として行った。水俣病問題を題材とすることには、以下の3点の意義がある。
① 地域的課題の動的理解
水俣病は四大公害病の一つとして学習されるが、当事者達が長期にわたって問題解決にどのように奮闘してきたのか、現在でもどれほど多くの被害者が救済を求めているのか、などについて触れられることは少ない。時間軸を入れて水俣病問題について整理しなおすことで、多くの人々の努力によって課題解決が試みられていることが理解できる。
② 地域的課題の当事者の状況把握と第3者の役割
水俣病問題では、被害者、加害企業、加害企業の労働者が多数であった市民、加害企業を地域経済の根幹と位置付けていた行政、など当事者それぞれの立場で利害が対立した。水俣病問題では各当事者の状況を統計資料などで具体的に示すことが可能であり、利害から離れた第3者が関わることの意義を考えさせることができる。
③ 支援者に関する資料の豊富さ
水俣病問題の解決には、全国からの義援金、熊本や東京の「水俣病を告発する会」など日本各地で結成された支援団体、新潟の水俣病被害者との連携、水俣に移住したり遠方から支援を続ける個人 など、多くの人々の支援があった。当時の支援の様子は新聞記事や書籍(個人の回想録)、動画(映画など)などで知ることができる。課題解決に関わる人々の空間的広がりを地理的に把握し、直接の当事者ではない人間が関わることの意義を具体的に考えさせることが可能である。
4.単元の内容
高校地理の授業単元として(1)地形図の読図による水俣の地域性の理解と当事者の状況把握 (2)支援者の空間的広がりの理解と支援の意義 を中心に考案した。資料を活用しながら主体的に考えさせる授業を実施することで、直接の当事者以外が課題に関わる意義について理解し課題解決への意欲を引き出すことができる。
付記:本研究は公益財団法人 国土地理協会の2018年度学術研究助成による成果である。