日本地理学会発表要旨集
2023年度日本地理学会春季学術大会
セッションID: 641
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ネパール,サガルマータ国立公園の主要村落における家畜所有頭数
*渡辺 悌二佐々木 美紀子六井 菜月王 婷
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抄録

はじめに ネパール・ヒマラヤの多くの地域では,伝統的にヤクの放牧が行われており,限られた餌資源を求めて季節的に異なる標高でヤクが放牧されてきた。いわゆるエベレスト街道沿いの集落においても,季節的移動を伴うヤクの放牧が報告されており(von Fürer-Heimendorf 1964, Bjøness 1980, Brower 1991, Stevens 1991など),最近はトレッキング観光の影響によって荷運びに使われる♂ヤクおよびヤクとウシの交配種が増加していることが報告されている(鹿野2001など)。しかし,これらの研究では,集落単位での家畜頭数の変化を対象としており,世帯ごとの詳細については,月原 (1992)のクムジュン村における報告を除いてまったくない。そこで本研究では,エベレスト街道沿いの集落のうちヤク所有頭数の多い,クムジュン(標高3,780 m;2022年8月時点で173世帯),クンデ(標高3,840 m;72世帯)およびポルツェ(標高3,840 m;91世帯)において,世帯ごとの家畜所有頭数データを入手し,既存研究で明らかになっている頭数と比較・分析を行った。 家畜頭数の特徴 本研究ではクムジュン村にある地方自治体オフィスに登録されているウシ科の家畜頭数データ(クムジュンは2019〜2020年の,クンデは2021年の,ポルツェは2017〜2018年の登録頭数)を入手した。その結果,クムジュンでは♂ヤク156頭,♂交配種(ゾプキョ)53頭,♂ウシ23頭,♀ヤク(ナク)115頭,♀交配種(ゾム)27頭,♀ウシ82頭の合計456頭が50世帯で所有されていることがわかった。同様にクンデでは,♂ヤク76頭,♂交配種13頭,♂ウシ6頭,♀ヤク117頭,♀交配種6頭,♀ウシ22頭の合計240頭が24世帯で,ポルツェでは,♂ヤク253頭,♂交配種39頭,♂ウシ7頭,♀ヤク124頭,♀交配種48頭,♀ウシ65頭の合計536頭が48世帯で所有されていた。クムジュン,クンデ,ポルツェの3つの集落における総頭数は,それぞれ1957年に455頭, 407頭, 495頭(von Fürer-Heimendorf 1975),1978年に429頭,308頭,408頭(Bjøness 1980),1984年に373頭,330頭,383頭(Brower 1991)であると報告されている。これらの既存研究では全世帯に対するデータ補足率が示されておらず,また頭数は出産季・販売季で変動するため,比較は必ずしも容易ではないが,本研究で得た直近の総頭数は,クンデで過去の頭数よりも減少しており,クムジュンとポルツェで1978年および1984年よりも増加していた。  月原(1992)は1991年夏にクムジュン村の約140世帯のうち102世帯で聞き取り調査を行い,そのうち68世帯が家畜を所有していることを明らかにしている。彼は村の9割以上のデータを補足しているとしており,大まかな比較しかできないが,1991年と本研究で得られた直近のデータとを比較すると,家畜所有世帯数の割合が大きく低下し,多頭数所有世帯の割合が増加して,一世帯あたりの家畜所有頭数の規模がやや大きくなったと考えられる。また,♀の頭数が減少し,♂ヤクが著しく増加したことがわかる。  ただし,♂ヤクが著しく増加したとは言え,ロッジやトレッカー・登山隊が必要とする物資の運搬に使われる♂ヤク・♂交配種の両者を所有する世帯の所有規模は,クムジュンで一世帯あたり平均4.1頭(レンジ=1〜19頭),クンデで3.7頭(1〜16頭),ポルツェで6.1頭(1〜32頭)であり,現在でも小さいことがわかる。  一方,搾乳用の♀ヤク・♀ウシ・交配種のすべてを所有している世帯については,クムジュンで1世帯あたり平均4.5頭(1〜35頭),クンデで6.0頭(1〜86頭),ポルツェで4.9頭(1〜22頭)と相対的に大規模になる。 家畜所有頭数と牧畜の将来 一世帯あたりの最大の家畜所有頭数は,クムジュンで56頭,クンデで93頭,ポルツェで36頭であり,ほとんどの多頭数家畜所有世帯が♂ヤクと♀ヤクの両者を所有している。一方,♀ウシのみを所有している世帯では,家畜所有頭数が1〜4頭と,きわめて小規模であった。しかしこれらの世帯数は,クムジュンで14世帯,クンデとポルツェでそれぞれ5世帯と,無視できないことがわかった。サガルマータではヤクが山岳景観の要素の一つとなっているが,家畜の登録数データから,ヤクを中心とする牧畜が近い将来に消失する可能性は低く,一方で住民にとってはヤクの飼育が必ずしも生活の中心に置かれているわけではないことが示唆された。

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