1.はじめに
2011年3月11日に発生した東日本大震災では、宮城県の海岸堤防(防潮堤)および護岸約160kmのうち100km以上が被災した。2025年3月時点で、365箇所、計232.3kmの防潮堤の「復旧・復興」事業が完了している。多くの海岸においては、防潮堤の嵩上げや新設の計画案が県から提示されたが、地域の景観や産業に与える影響を懸念する住民との間でしばしば軋轢が生じていた。住民による粘り強い説得と対話を通じて計画の見直しが実現した地域もあったが、復興の遅れを恐れ、景観の変化に対する寂しさを抱いたまま計画案を受け入れた地域も多かった。東日本大震災からの物理的な復興は着実に進展している一方で、海が見えなくなったことによる地域住民の喪失感は根強く残り、住民の心の復興や地域コミュニティの再生は依然として大きな課題とされている。
こうした中、宮城県宮城郡七ヶ浜町代ヶ崎浜西地区においては、嵩上げが実施された防潮堤におはじきを貼り付ける「おはじきアートよがさき」という住民主体の活動が進められてきた。本報告では、現地でのヒアリング調査をもとに、「おはじきアートよがさき」の立ち上げの過程を紹介し、活動が成功裏に継続している要因を明らかにするとともに、震災後の地域再生における住民主体の活動の意義について考察する。
2.事例地域の概要
七ヶ浜町は、仙台市中心部から東約20kmに位置する。その名称は、明治時代に代ヶ崎浜など7つの海沿いの集落が統合されたことに由来する。町の北東部に位置する代ヶ崎浜は、東側を松島湾、西側を塩竈湾に囲まれ、地区内には松島四大観の一つである多聞山や仙台火力発電所などが所在している。
東日本大震災では、町域の約3割以上が津波によって浸水し、甚大な被害を受けた。代ヶ崎浜地区では、防潮堤523mのうち約200mが倒壊し、多くの家屋が流失した。防潮堤の復旧に際しては嵩上げが実施され、従来より約1.2m高くなった。これにより、かつて日常生活の一部であった「海のある風景」は視界から遮られるようになった。
3.「おはじきアートよがさき」の立ち上げ
防潮堤を活用したアート活動は、代ヶ崎浜地区の当時の区長によって2015年頃から構想されていた。その背景には、嵩上げされた防潮堤が住民の命と財産を守る一方で、海が見えにくいのがもどかしいと訴える住民が相次いでいたことや、震災後に住民が高台や地区外に移転したことに伴い活気がなくなりつつある地域を再び元気づけたいとの想いがあった。
しかし、実現に至るまでには多くの課題があった。代ヶ崎浜が特別名勝「松島」に含まれていたため、港湾施設用地使用許可に加え、文化庁からの現状変更許可が必要とされ、関係機関との事前協議は長期間に及んだ。景観への配慮、安全性、耐久性、継続性などの条件を満たす必要があり、アートの形式や素材の選定は特に難航した。当初は絵具による壁画が検討されたが、景観保全や耐久性の観点から困難とされ、防潮堤に素材を貼り付ける方式へと転換された。複数の素材が検討されるなか、景観への影響、安全性や維持のしやすさから、最終的に子どもの玩具である「おはじき」にたどり着いた。
2018年末に必要な許可を取得した後は、地域の社会的ネットワークや震災復興を契機に形成されたつながりを活かし、複数の企業や団体、地元組織などから素材やノウハウの提供、資金面の支援を得ることができた。
4.活動の特徴および効果
おはじきアート活動の特徴としては、壁画など従来の防潮堤アートや地域活動に比べ、「参加のしやすさ」と「活動の継続性」が挙げられる。 準備段階では行政手続きや素材調達、ストーリーや原画の制作など多くの場面で困難を伴ったが、活動が始まると特別な技能を必要とせず、子どもから高齢者まで、また性別を問わず幅広い層が気軽に参加できるようになった。そのため、世代や性別を超えた住民同士の交流が自然と生まれ、地域の連帯感やアイデンティティが再構築されるとともに、海や防潮堤とのかかわりを通じて集合的記憶が再生成される契機にもなっている。
また、防潮堤に貼り付けるおはじきは時間とともに剝がれるため、修復作業が不可欠となるが、この作業を通じて、制作後も継続的な共同作業が生まれ、アートが「一過性のイベント」にとどまらず、継続的な地域活動として根づいていく。
さらに、おはじきアートは観光資源としても新たな価値を生み出している。アートが実施された防潮堤は地域の象徴的なスポットとなり、町の観光パンフレットや各種メディアに取り上げられ、広く注目を集めるようになった。とりわけ代ヶ崎浜は町の奥まった位置にあり、釣り客を除けば外部からの来訪者が少なかった地域であるが、本活動の実施により、同地を訪れる動機を持つ人々が増加し、新たな交流・関係人口の創出にもつながっている。