日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会秋季学術大会
セッションID: 312
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近世福島中部における夏季日射量の変動と人口の応答
*市野 美夏黒須 里美増田 耕一
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抄録

気候変動が人間社会に与える影響については,特に歴史社会における影響を明らかにすることで,現代や将来の社会的脆弱性への理解が深まる.本研究では,近世後期日本における異常天候,特に冷夏が農業生産や市場経済を通じて人口移動に及ぼした影響を,福島中部の1町3村(郡山上町,仁井田,下守屋,日出山)を対象に検討した.具体的には,日記に記録された天候情報をもとに月別の日射量を復元し,人口移動,死亡率,米価などの経済指標の年次変動と気候要因との関係性を時系列的に分析した.

1708年から1870年にかけて,これら4町村の人口合計は全体として増加傾向を示したものの,欠落率(許可なく転出する割合)と死亡率は天明飢饉および天保飢饉の時期に著しく上昇した.特にこれらの飢饉時には,米の収量の低下と米価の急上昇が同時に確認されており,気候的要因が経済状況を悪化させ,それが人口動態に連鎖的な影響を与えたことが示唆された.また,8月の日射量と農業生産には強い相関があり,日射量の低下が収量の減少を引き起こし,米価の高騰を招いた.その結果,翌年には死亡率が上昇し,そのさらに翌年には人口の欠落および合法的な移動が増加するという社会現象が観察された.

1830年代の天保飢饉の分析では,1833年,1836年,1838年の夏季に日光,守山,川西のいずれかの地点で著しい日射量の低下が見られ,同年末に米価が急激に高騰した.これに伴い,翌年の死亡率の上昇,その後の人口移動の増加というパターンが明確に確認された.とりわけ1836年には,守山と日光において4か月連続で日射量が大きく低下し,1837年に死亡率が顕著に上昇し,1838年には欠落率が顕著に増加した.さらに1839年においても欠落率は依然として高水準であり,天候が回復した後も人口移動の影響が継続していた可能性が示された.一方で,欠落と合法的移動では背景や継続性に違いが見られ,これらの違いに関しては今後さらに検討が必要である.

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