「平成の大合併」では,合併により成立した新しい市町村の名称に,令制国等の広い範囲を表す地名(広域地名)が転用されるケースがみられた.こうした市町村の命名は,「僭称」と呼ばれるなどしてしばしば批判されてきたが,なぜそのような命名がなされたのかについて十分に議論されているとは言い難い.そこで本稿では,広域地名を市名に採用した代表例である奥州市について,命名の背景を調査するとともに,地理的スケールに関する議論を援用することで,市町村合併の際に広域地名を新自治体名に採用することについての新たな解釈を提示したい.
地理的スケールは,ローカル,ナショナル,グローバルといった,互いに異なる範囲の存在を前提として論じられる空間概念である.ある社会的事象についてのスケールが論じられるということは,その事象の複数の空間範囲への関わりが注目されていることを意味する.たとえば既存研究では,ローカルな景観の保全運動がナショナルあるいはグローバルな環境保全団体との結びつきを強めるといった事例が,スケールの問題として議論されてきた.これを地名に適用すれば,特定の空間範囲を原義とする地名が他の空間範囲と結びつくことを,地名の,スケールとしての特徴と捉えることができる.もともと陸奥国,現在の行政区分でいえばほぼ青森県・岩手県・宮城県に相当する範囲を指す地名であった「奥州」が,岩手県中部の特定の市の名前になったことは,その一例として位置づけられる.
現在の奥州市は,隣接する金ケ崎町と合わせて,胆沢郡と江刺郡という2つの郡であった.両郡域を合わせて「胆江地域」とも呼ばれる.ここで疑問となるのが,広大な原義の「奥州」に含まれる地域の中で,なぜこの地域が,「奥州市」を名乗ることになったのかである.スケール論を敷衍すれば,市町村合併以前から当該地域と「奥州」には強い結びつきがあり,それを顕在化させる形で「奥州市」と命名した可能性が考えられる.そこで,読売新聞のデータベースを用いて,「奥州市」の名前が提示される前年の2004年に至るまでの10年間の新聞記事を検索し,原義の「奥州」に属する市町村と「奥州」という言葉が同一記事内に現れる頻度を集計した.その結果,現在の奥州市の地域で「奥州」が現れる頻度が多いとはいえず,特別な結びつきは認められなかった.一方で,「奥州」の使用が圧倒的に多かったのが,近隣の平泉町で,奥州藤原氏ゆかりの寺院や遺跡を多く抱えているゆえの結果となった.奥州藤原氏は,現在の奥州市ともつながりがあり,旧・江刺市は,奥州藤原氏の祖である藤原清衡の生誕地として知られ,それを根拠として平泉町との合併が提案されたこともあった.江刺市と平泉町との合併は結局,協議会の設置にすら至らず立ち消えになったが,こうした奥州藤原氏への意識が「奥州市」命名へとつながった可能性は否定できない.
あるスケールの政治問題に対処するために,議論の舞台を別のスケールに移すことをスケール・ジャンプと呼ぶ.市町村名に広域地名を採用することは,市町村合併を政治的に決着させるためのスケール・ジャンプ戦略としてみることができる.1つの郡に相当する地域が市町村合併で1つになる場合,郡名を引き継いだ市町村名を採用するのは自然であろう.また,中心となる旧市町村の名前が新市町村名となることも多い.しかし,後に奥州市となる地域は,2つの旧郡からなるため,その空間範囲を相違なく表すことのできる既存の地名は存在しない.また,水沢市と江刺市という2つの市が含まれるため,中心となる市名を引き継ぐのも難しい.人口規模と都市機能の面で中心性が高いのは水沢市だが,合併協議で水沢市は,市立病院や水沢競馬場の経営難による負債の問題で追及を受けており,「水沢市」の新市名への採用を強く主張するのは困難な立場にあった.さらに,合併協議の出足の遅れにより,旧合併特例法の期限内に合併するためには,新市名決定に関する協議を長引かせられないという事情もあった.こうした状況にあって,広域地名を新市町村名に採用することは,新市町村名をめぐる議論を,関係市町村のスケールから広域にスケール・ジャンプすることで,市町村合併の障害となりかねない利害対立を回避する戦略として理解することができる.ただし,その副作用として,本来の市町村よりはるかに広い範囲を原義とする地名を名乗ることになり,「僭称」と批判されかねない状況に陥っている.